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第一章 7

上品な濃い茶色の中に描かれた葉。着る事なんてないと思っていた浴衣に袖を通せば、三つ編みにしたくなかったからとはいえ、今はハーフアップがギリギリの長さがもどかしくなる。

 それでも、付き合った日もまだ浅い二人にとって初めてのデートらしいデートとなれば、自然と心は浮かれていった。

 8月の日差しの強さも、陽は落ちてないものの夕方に差し掛かろうかという時間では、心持ち柔らかく感じる。待ち合わせ場所の公園には、美希の方が先に到着したようで、柏木の姿はまだ見当たらない。空いていたベンチに座り、履き慣れていない下駄の鼻緒を緩めるように力をいれ摘んでいると、影がさした。


 「ごめん、待たせた?」


 頭上から届いた声に、下を向いていた顔を上げる。


 「ううん、今来たばっかり」


 下駄に足を通して立ち上がろうとすれば、躊躇いなく当然だと言わんばかりに差し出された右手。


 「ありがとう」と手を乗せて立ち上がる。


 お互い浴衣を着てこようと決めていたから、相手の格好に予想はついていたけれど、柏木の持つ雰囲気と浴衣がとても合っていて、気安く似合ってるなどと言いづらかった。


 「ちょっとだけ、美希が丈の短いやつとか、派手なピンクの浴衣着てくるんじゃないかって思ってた」


 歩き出してすぐに、柏木が言ったやや失礼な台詞。


 「期待に添えずスミマセンね」


 美希が棒読みで返事をすると、更に笑い声が返ってくる。眉根に力が入ったまま隣に顔を向ければ、そんなしかめっ面とは正反対の、優しい微笑みが飛び込んできた。


 「冗談だって。その浴衣、すっごく似合ってる」


 「あっ、ありがとう。雅人も似合ってるよ、本当に」


 気恥ずかしさから顔を逸らした美希に、柏木はまた笑う。履き慣れない下駄の為、ゆっくりと公園の出口へ進む二人が小さく声をあげたのは、ほぼ同時だった。


 清潔感のあるアップスタイルと、生成りの、美希よりも淡い色合いで纏められた浴衣姿。浴衣美人と称するに十分な魅力を持って現れた、美希が最も会いたくない女がいた。


 「夏目…さん?」


 いつもなら、誰かしらを連れている夏目の隣には誰もいない。それのせいだと決めつけていた違和感は、夏目の顔が俯いたままで、すれ違う人を避けようともせず道の真ん中に立ったままだった事から、得体の知れない恐怖へと形をかえた。


 「なんでアンタなの?なんでなんでなんで」


 繋いだ手は離さずに、伺うように近づいた美希と柏木にも、その言葉ははっきりと聞き取れる。


 「なんでアンタが柏木君の手を握ってるの?なんでそんな頭悪そうなのに私より模試でいい成績とるの?なんで私よりアンタの話を皆学校でするの?ねえなんで?なんでそんなに私の邪魔して苦しめるの?」


 呟きは、一文字を重ねるごとに大きくなり、柏木が、繋いだ手に力を入れて美希の体を庇うように引き寄せた。


 と同時に、俯いたままの顔が正面へむく。 そして、何かを強請るよう首を傾けた仕草で二人を見つめた。口元は頬を押し上げるように弧を描き、頬は涙の筋がくっきり残り、双眸は吊り上がりただ憎悪と怒りを宿す。


 「気をつけて、楽しんできてね。お祭り」


 より上がった口角。今しがたの事などなかったかのように話す夏目に、美希も柏木も何も言わずに、夏目の脇を抜けようと再び歩き出した。


 本当は走りだしたいが、下駄ではそうもいかない。それでも、明らかに歩調を速めた二人は、一秒でも早く出口を目指す。


 出口まであと数歩のところで、そっと後ろを振り返った美希が絶句した。


 すり足で足音をたてずに美希の傍まで近づいていた夏目が、今度は喜びに溢れた笑顔を零していた。


 「私ちゃんと言ったよね、気をつけてって」


 こう言いながら美希の肩へとぶつかった夏目に、美希はふらついてしまう。体勢を立て直せると思っていた美希の意思に反して、美希は尻もちをつく。

 腹部が熱い。理由も分からずに熱を感じた部分に手を伸ばせば、浴衣の生地ではなく生温かいぬめりが纏わりつく。


 視界に収めた赤色が自身の血液だと理解した時には、笑い続ける夏目の声も、出血が止まらない患部を押さえ、泣き出しそうな顔で美希を呼び続ける柏木の顔も、全てがぼんやりしていた。


 どうして?


 どうして私がこんな目に合わなきゃいけない?


 憎い。あの女が、私を受け入れようとしなかったあの学校が、田舎くさく排他的なこの土地が、全てが憎い。


 許せない。私だけがこうして苦しむなんて。


 この苦しみから逃れられはしないのならせめて……


 ――――みんな、死ねばいい。




 

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