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第三章 1

 「――き、美希!」


 名前を呼ばれて、重い瞼を開けた美希の目に、涙を浮かべる家族と、柏木の姿があった。


 「美希、もう大丈夫だからね。しっかり休んで、早く治そうね」


 こう言って、優しく美希の手を握った母親の顔には、しっかりとクマがあり、やつれて見える。

 代わる代わるかけられる労いの言葉を聞きながらも、美希は、とても夢では片づけられない記憶に気を取られていた。それでも、人から向けられる優しい視線と、快適な室温、握られた手の感触が、今こそが現実なんだと伝えている。


 どこかぼんやりとしていた頭は、美希の意識が3日間戻らなかった為で、ただ、夏目に刺された傷は、運よく内臓を深く傷つける事もなかったのだという。


 「ごめんな、俺がちゃんと庇ってれば……。あいつの様子がおかしいのは分かってたのに」


 母親が、現状の説明をし終えた頃、柏木がベッドで横になっている美希に深く頭を下げる。


 「雅人、謝らないで。雅人はなにも、悪くない。だから、そんな顔しないで欲しい」


 顔を上げた柏木は、あの時と同じ、泣き出しそうな辛い顔をしていて、自分がそんな顔をさせているのだと思うと、いたたまれなくなった。


 「私の方こそ、せっかくのお祭りだったのに。……トラウマになっちゃうよね、いきなり彼女が刺されたとか」


 重くならないように、あえて軽い調子でいった言葉に、部屋の重苦しい雰囲気を変える程の力はなかった。それでも、自分の意識がない間に、藍や遥達もお見舞いにきてくれたことを聞くと、少しだけ気持ちも明るくなる。


 「美希、もう少し柏木君と話していたいかもしれないけれど、体力も戻ってないんだし、ちょっと休みなさい」


 気付けば1時間が経っていて、美希自身も少し疲れを自覚していたけれど、それでも美希は首を縦には振らなかった。次はいつ、柏木が来てくれるのか。もしかしたら、美希といるのが辛くて、謝罪も終えた今、来なくなってしまうんんじゃないかとさえ思えてならなかった。


 しかしそんな心配は杞憂に終わり、夏休みが終わり2学期に入ってからも、柏木も藍達も、時間の許す限り美希を訪ねてきてくれた。

 退院が決まった頃には夏も終り、窓を開ければひんやりとした風が入ってくるようになった。


 無理をしなければ、学校にも問題なく通える。入院していた間に、両親も友人達も、転校を勧めてくれた。しかし、美希は以前なら嬉しくて堪らなかったその勧めを断り、今の学校へ通い続ける事に決めていた。


 学校側からすれば、むしろ転校してほしいとさえ考えていただろうけれど、夏目が起こした事は、夏目が100%悪いだけではなくて、美希の態度も、夏目の周りにいた友人たちも、きちんと指導できなかった学校にも、責任がある。


 こう考えられるようになったのは、あの意識がない時間にあった出来事がきっかけなのかもしれない。

 ただ、どう説明しようとも夢としか相手には捉えられないだろう話をする気にはなれず、あの事は、誰にも話してはいなかった。


 「美希、よかったらうちに遊びに来ない?」


 10月も半ばに入った休日。突然の柏木の誘いに、断る理由もなく、お邪魔する事にした。

 近所とはいえ、駅寄りのマンションに住む美希とは対照的な、庭の広い日本家屋。柏木と書かれた表札をちらっと見つめつつ、迎えに来てくれた柏木と共に門をくぐる。


 「お邪魔します」と一声かければ、奥の居間から柏木の祖母が出てきて、温かく出迎えてくれた。


 「ばあちゃん。この人俺の彼女で、若槻美希さん」


 少し気恥ずかしかったのか、柏木は美希の手を取ると、自分の部屋のある2階へとそそくさと上がろうとする。


 「待ちなさい、雅人」


 そんな柏木の動きを一言で止めた、柏木の祖母は、美希をみて優しく微笑むとこう言った。


 「雅人の部屋に行く前に、私とがーるずとーくしましょう、美希さん」

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