第六話「死なせないための地獄」
「……陛下。……お客様が限界です。心のダムの決壊はもう秒読みかと」
ノクスの不気味なナレーションが、地下室に響く。 目の前では、廃人スープと蚊のASMRで精神を極限まで削られたクラリスが、見たこともないような神々しい光を放ちながら宙に浮いていた。
「ユウヤを殺し、私たちの心まで弄ぶというのね……。いいわ、もう許さない。この命、神に捧げてでも、あなたを道連れにする!」
クラリスの周囲に、黄金の魔法陣が何十層にも展開されていく。 それは神聖魔法の極致であり、術者の寿命そのものを魔力に変換して放つ、禁忌の自爆魔法だった。
(待て待て待て! クラリス、それを使ったらお前が死ぬ! 仇なんて討たなくていいから、頼むからやめてくれ!)
俺は必死に手を伸ばし、彼女を制止しようとした。 魔王軍の面々には俺の本音が届いているはずだ。俺は背後のエルゼたちに、泣きつくような声で叫んだ。
「エルゼ! ノクス! 止めろ! 今すぐあれを止めないと、クラリスが死んじゃうだろ! 俺はどうなってもいいから、彼女を助けてくれ!」
「……陛下、ご心配なく。……彼女の魔力は計測済みであり、今の出力なら陛下を1%も削れません」
ノクスが淡々とゴーグルを操作しながら答える。
「俺のダメージの話をしてるんじゃない! 彼女の命の話をしてるんだよ!」
「なるほど。陛下は、彼女を『死という救済』からすら遠ざけ、永遠にこの苦悶の中に留めおきたい……とおっしゃるのですね。なんと深淵なる独占欲。承知いたしました」
「そうじゃない! 話を聞けよ!」
俺が絶望している間にも、クラリスの魔力は臨界点に達しようとしていた。
「――神よ……今、すべてを……焼き尽くしなさい!!」
カッ、と世界が白く染まった。 直撃すれば、城の地下三階層は消し飛ぶはずのエネルギー。 だがその瞬間、俺の体が勝手に動いた。
『――警告:超高出力エネルギーを検知。魔王専用カウンター「神殺しの顎」を自動起動します』
「えっ」
俺の背後から、漆黒の巨大な影が飛び出した。 それはクラリスが放った黄金の光を、文字通り「バリバリ」と音を立てて喰らい尽くし、さらにその余波を数百倍の衝撃波に変えて、勇者一行へと跳ね返したのだ。
『……ハハハハ! その程度の光で、我が闇を照らせると思ったか! さあ、キサマらの命を『利子』として徴収してやろう……!!』
「いやああああああ!!」
跳ね返った衝撃波に飲み込まれ、クラリスたちが壁まで吹き飛ばされる。 俺が「ごめん! 大丈夫か!?」と駆け寄ろうとすると、俺が動くたびに床から黒い棘が突き出し、逃げ場を塞ぐように彼女たちを囲い込んだ。
「……素晴らしいカウンターです、陛下。……ただ防ぐだけでなく、相手の魔力を『絶望』として再変換して返却する。……ノクス、データは取れました?」
「……完璧です。……これを量産できれば、世界なんて一週間で滅びるでしょうね…」
「滅ぼさなくていいから! 早く回復魔法をかけてやれよ!」
俺はボロボロになったクラリスに手を差し伸べた。 せめて、せめて「本心」が少しでも伝わればと、ボロボロと涙を流しながら。
「……クラリス、もういいんだ。もう戦わなくていい。俺が、俺が全部なんとかするから。君たちはここで、何もせずに……ただ、生きていてくれ」
俺は、ボロボロになった彼女の頬に触れようとした。 勇者時代のパーティーで、誰かが傷ついた時にいつも交わしていた、励ましの言葉。
だが、スピーカーから響いたのは、この世のものとは思えないほど重く、執着に満ちたド低音だった。
『……もはや貴様らに、自由も、死も、安らぎも与えぬ。我が支配の檻の中で、永遠に我が「私物」として飼い殺してくれる……。キサマらの人生の最後の一秒まで、我が楽しむための時間だ……』
「……ひっ…………あ……あああ…………」
クラリスの瞳から光が消えた。 それは「助かった」という安堵ではなく、死ぬことすら許されない永遠の地獄を宣告さた者の絶望だった。
「……陛下。……独占欲、すごい。……彼ら、もう、陛下以外の色、見えない。……完璧な、軟禁。……おめでとう」
ノクスが、カチカチャとゴーグルを鳴らしながら祝福(?)を述べる。
「違う……! 俺はただ、みんなに安全な場所でニートになってほしかっただけなんだ……!!」
必死の弁明も、外の世界には、
『……逃がさぬ。貴様らの存在意義は、ただ我が傍らで絶望を反芻することのみ。……この城こそが、貴様らの世界のすべてだ……』
という、極悪非道な支配宣言として響き渡る。
「素晴らしい。これぞ『魔王の愛』ですね。彼らを生かさず殺さず、勇者としての誇りすら奪って私物化する。その冷徹なまでの執着心、我らも見習わねばなりません」
エルゼが満足げに手帳に記録し、バルガスは、
「ガハハ! さすが陛下、女子供にも容赦なしだ!」と拳を打ち鳴らす。
俺は、意識を失ったクラリスの隣で、膝をついて項垂れた。 スープの効果で無駄にツヤツヤになった俺の顔に、一筋の涙が伝う。 だがその涙さえ、呪いの魔力を帯びて床に「ジィィ……」と焦げ跡を刻んでいく。
俺が彼らを思えば思うほど、彼らの世界は狭く、暗く、逃げ場のない檻に変わっていく。
「……日本に、帰りたい……」
俺の小さな、あまりにも小さな本音は、もはや誰の耳にも届くことはなかった。




