第十六話「剣を置かなかった者たち」
王都第二騎士団の詰所は、かつての喧騒が嘘のように静まり返っていた。
壁に並ぶ武勲の盾も、今では埃を被り、誰も磨こうとしない。理由は単純だ。
磨く者が、もういない。
ここ三か月で、団員の三割が辞職した。理由は様々だと書類上はなっている。
「家庭の事情」「健康上の問題」「進路変更」。
だが、誰もが分かっていた。彼らは皆、魔王軍に行った。
「……これで、国は守れるのか」
元副団長レオンは、詰所の窓から王都を見下ろしながら呟いた。
街は平和だった。むしろ、ここ数年で一番落ち着いている。
盗賊の被害は減り、物価は安定し、難民の流入も止まった。理由は明白だ。
魔王軍が、治安と経済を同時に押さえたから。
「笑えねえ冗談だ」
剣を持つ者より、剣を使わない者の方が、世界を安定させている。それが、今の現実だった。
詰所の奥から、足音が響く。
ミレイアだった。
かつて回復術士として、前線に立ち続けた女騎士だ。
「……また、辞表が出たわ」
「誰だ」
「第三小隊のカルド。昨日まで“魔王軍は敵だ”って言ってた人」
レオンは、返事をしなかった。
「最後にね、こう言ってた」
ミレイアは、少し言いづらそうに目を伏せる。
「――“戦わなくても人を守れるなら、そっちを選びたい”って」
レオンは、拳を握った。
それは裏切りでも、卑怯でもない。正論だった。
だが正論は、剣を握り続けてきた者の心を、容赦なく抉る。
「俺たちは……何を守ってきたんだ」
騎士団は、確かに命を懸けて戦ってきた。だがその結果、守れたのは“国の体面”と“上層部の安心”だけではなかったのか。
一方、魔王軍はどうだ。
・労働環境を整え
・民を飢えさせず
・敵対国の兵すら受け入れ
・剣を振るわずに人材を吸収している
それはもはや「軍」ではない。国家そのものだった。
夜。
王都の酒場では、騎士たちの会話が変わり始めていた。
「魔王軍、福利厚生が本当にやばいらしい」
「怪我したら即治療。治らなきゃ配置転換」
「なあ……俺たち、何でここにいるんだ?」
かつてなら、不敬罪だった言葉だ。だが、誰も咎めない。
団長室は空席のままだった。
前団長は「病により辞任」となっているが、真相は違う。
――自分が、部下を守れなかったと悟った。
それだけだった。
レオンは一人、訓練場に立っていた。
月明かりの下、剣を振る。
速く、正確で、無駄がない。誰よりも鍛え抜いた技だ。
それでも、胸に浮かぶのは疑問だけ。
「……この剣は、誰のためだ」
魔王軍では、剣は“最後の手段”だと聞く。
まず交渉し、まず守り、まず満たす。
それでもダメな時だけ、剣を抜く。
それは、本来騎士が目指す姿ではなかったのか。
翌日。
王都に、正式な通達が出た。
「魔王領との武力衝突を避け、外交的関係を模索する」
騎士団の存在意義が、音を立てて崩れた。
剣を持つ理由が、消えたのだ。
「……終わりだな」
誰かが呟いた。
だが、終わりではなかった。行き場を失った剣は、最も危険になる。
レオンは知っている。
このままでは、騎士団の中から二つの勢力が生まれる。
一つは、魔王軍に流れる者。
もう一つは、現実を認められず、憎しみに縋る者。
「……魔王を、許せるわけがない」
誰かの低い声が、夜の詰所で響いた。
レオンは振り返らなかった。
その言葉の先にある未来を、見たくなかったからだ。
剣を置いた者たちは、安らぎを得た。
剣を置かなかった者たちは、理由を失った。
そして世界は、魔王軍という“戦わない力”を中心に、静かに再編されていく。
それが平和かどうか、まだ誰にも分からないまま。




