第十五話 「剣を置いた者たち」
王都アレクシア。
かつては「秩序と正義の象徴」を自称していたこの国の騎士団本部は、今や半分が空き部屋だった。
「……また、辞表か」
宰相グレゴールは、机に積み上げられた羊皮紙を見下ろし、深く息を吐いた。
この一ヶ月で、騎士団の四割が退職している。
理由は、誰もが口を揃えて同じだった。
――魔王軍に、転職しました。
「裏切り者どもが……!」
若い貴族出身の騎士が憤る。
だが、彼の声には、かつての威勢はなかった。
「裏切り、とは違う」
そう静かに言ったのは、元第一騎士団副団長、ロベルトだった。彼もまた、今日付けで騎士章を返上した一人だ。
「彼らは、ただ……剣を振る理由が、分からなくなっただけだ」
会議室が、重苦しい沈黙に包まれる。
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ロベルトは、昨夜のことを思い出していた。
魔王領との国境近く。
かつてなら「討伐対象」でしかなかった魔物の村で、彼は偶然、元部下と再会したのだ。
「……団長?」
声をかけてきたのは、オークだった。
いや、正確には「元・オーク討伐対象」。
今は、魔王軍で働いているという。
「お前……その服は……」
「ええ。制服です。動きやすくて、洗濯も楽で」
オークは、照れくさそうにエプロンを引っ張った。
その村では、人間と魔物が同じ食堂で食事をしていた。誰も剣を持たず、誰も怯えていない。
「……お前たちは、怖くないのか。魔王が」
ロベルトがそう問うと、オークは少し困った顔で答えた。
「怖い? ……ああ、そりゃ怖いですよ。有給を無断で消化すると、直属の上司にめちゃくちゃ怒られますし」
「そうじゃない……」
「でも、殺される心配はありません。むしろ、働きすぎると強制的に休まされます」
その言葉に、ロベルトは何も返せなかった。
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王都に戻ったロベルトを待っていたのは、訓練場の光景だった。
若い騎士たちが、剣を振っている。だが、その動きはどこか鈍い。
「魔王軍、また新しい魔導具を出したらしいな」
「全自動風呂洗浄……? なんだそれ」
「うちの実家、もう魔王領の商会と契約したらしい」
誰も、「討伐」の話をしていない。
ロベルトは、その瞬間、悟ってしまった。
――彼らはもう、敵を敵として見ていない。
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数日後。
元騎士団員たちが、王都の酒場に集まっていた。
「……俺さ、昨日、魔王軍の面接行ってきた」
「マジかよ!? お前、団長候補だったじゃねえか」
「聞いてくれよ。
『なぜ剣を置いたのか』って聞かれてさ……
正直に『人を守る仕事がしたかった』って答えたら」
男は、苦笑いしながら言った。
「『では、物流警備はいかがですか?
命を守る確率が、討伐任務より三倍高いです』って」
酒場が、静まり返る。
「……それで?」
「採用だ。来週から、魔導冷蔵庫の護衛だってよ」
誰かが、グラスを置いた。
「……俺たち、今まで何やってたんだろうな」
その問いに、答えられる者はいなかった。
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王城では、国王が苛立ちを隠せずにいた。
「なぜだ! なぜ、魔王軍に誰も逆らわぬ!」
宰相が、震える声で答える。
「陛下……彼らは、恐怖で支配しておりません。
剣で脅しているわけでもない」
「なら、何だと言うのだ!」
「……生活、です」
宰相は、窓の外を指した。
王都の市場には、魔王領から届いた品が溢れている。
冷たい飲み物。
安価で丈夫な道具。
夜でも明るい魔導灯。
「彼らは、人々の『明日』を握っています。
それを壊すには……我々は、まず自国民の生活を壊さねばなりません」
国王は、言葉を失った。
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その頃、魔王城。
「……陛下。……元騎士団員の応募、また増えた。……面接、追いつかない」
リィナが、淡々と報告する。
「騎士団長クラスも、結構来てる。……『剣の使い道がない』って、泣く人もいる」
俺、魔王ユウヤは、頭を抱えた。
「俺は……戦争を終わらせたかっただけなんだ……結果、……剣を持つ意味そのものが、……消えた。」
ノクスが、どこか楽しそうに言う。
「人は、敵がいなくなると、正義も迷子になりますからねぇ」
エルゼが、静かに締めくくった。
「陛下。彼らは今、『帰る場所』を探しています。祖国でもなく、騎士団でもなく……剣を抜かずに存在できる場所を」
俺は、ツヤツヤの顔で、苦笑した。
「……ニート養成所みたいになってきたな、魔王軍」
だが、その笑顔の裏で、俺は確かに感じていた。
この世界から、「戦うための正義」が、静かに、しかし確実に消え始めていることを。
それが、救いなのか。
それとも、もっと大きな歪みの始まりなのか――
剣を置いた者たち自身ですら、まだ答えを知らなかった。




