第十四話「闇の監視を光の広報へ」
「……リィナ。この『主要国家要人・暗殺優先順位リスト』をシュレッダーにかけてくれ。あと、その隠れ蓑用の猛毒針も、全部ノクスの研究室に返してこい」
俺、魔王ユウヤは、城の最下層にある薄暗い「諜報部室」を訪れた。 そこには、影の中に溶け込むように座るリィナと、音もなく気配を消した隠密たちの集団がいた。 リィナは、感情の読めない瞳で俺を見上げ、静かに口を開いた。
「……ユウヤ。これを捨てたら、魔王軍の『目』と『牙』がなくなる。……それでいいの? ……敵の喉を裂く準備、いつでもできているのに」
「喉なんて裂かなくていい。今日から諜報部は『隠密部隊』を廃止して、『魔王軍・広域マーケティング広報局』に名称変更する。リィナ、お前の仕事は『命を奪うこと』じゃない。『情報を届けること』だ」
俺は、一束の分厚い資料をリィナの前に置いた。 それは、現代日本の広告代理店やSNSの運営ノウハウを(うろ覚えで)まとめた、異世界版「広報・流通戦略」の指南書だった。
「……マーケティング。……広報。……ユウヤ、また難しい言葉を使う。……私は、情報を奪うのが得意。……情報を届けるなんて、やったことない」
「やり方は同じだ。誰にも気づかれずに懐へ忍び込み、相手の心の奥底に干渉する。今まではそれを『恐怖』で行っていたが、これからは『欲求』で行うんだ。例えば、この『魔導冷蔵庫』のチラシを、各国の家庭のポストに音もなく投函してこい」
「…………。……要人の寝室に忍び込んで、チラシを置く? ……警備を潜り抜けて、枕元に。……暗殺より、難易度が高い。……でも、……面白いかもしれない」
リィナの瞳に、微かな好奇心の火が灯った。 彼女は、かつて王族を震え上がらせたその超一級の隠密スキルを、「チラシのポスティング」という平和極まりない業務に全振りすることを決めたようだった。
一週間後。 周辺諸国の王都では、怪奇現象が相次いでいた。
「報告します! 王宮の最深部、厳重に封印された宝物庫の中に、正体不明の紙片が置かれていました!」 「なんだと!? 敵軍の宣戦布告か!?」
「いえ……『魔王城直営・二十四時間営業コンビニ一号店、来週オープン。今なら唐揚げ一個増量』と書かれています……!」
またある場所では、騎士団長が朝起きて鏡を見ると、自分の額に「魔王軍・社員募集中(未経験歓迎)」というシールが貼られていたという。
リィナ率いる「広報局」の仕事は完璧だった。 誰一人として姿を見ることはできないが、人々の生活のあらゆる場所に、魔王軍の「利便性」と「豊かさ」を訴える情報が確実に浸透していった。
「……ユウヤ。報告。……全主要都市へのチラシ配布、完了。……さらに、各国の広場に『巨大な掲示板』を設置。……夜になると、ノクスの魔導映像が流れるようにした。……ターゲットの心理、……完全に掌握した」
リィナが俺の影からふっと現れ、淡々と報告する。 彼女の指先には、もはや毒の香りはなく、代わりに新商品の「メロンパン」の甘い匂いが漂っていた。
「お疲れ様、リィナ。効果は絶大だ。城の門前には、新商品のパンを求めて隣国からキャラバンが押し寄せているよ」
「……不思議。……暗殺リストを配っていた頃より、……今のほうが、……みんな、魔王軍の名前をよく覚えている。……恐怖で縛るより、……メロンパンで誘惑するほうが、……確実。……情報の力、……すごい」
そこに、エルゼが経済指標のグラフを持って現れた。
「陛下、広報局の効果は計り知れません。潜在的な顧客層へのアプローチが成功し、魔王領の『観光収入』が前月比で四百パーセント増加しました。……もはや、情報の海に溺れた人類は、魔王軍を『敵』と認識することすら忘れていますよ」
「それは良かった。情報を武器にするってのは、こういうことなんだな」
「ええ。ですが、リィナ。王都の教会の祭壇に『魔王軍特製・美肌石鹸』のサンプルを置いてくるのは、少々やりすぎではありませんか? 教皇様が『奇跡だ』と仰って、勝手に魔王軍の布教を始めてしまいましたよ」
エルゼの指摘に、リィナは少しだけ得意げに鼻を鳴らした。
「……あれは、試供品。……良いものは、……神の力を借りてでも広めるのが、……マーケティング。……ユウヤに、……教わった」
俺は、ツヤツヤの顔を片手で押さえた。 俺が教えた「広報」は、リィナという天才隠密の手によって、世界を「消費」と「広告」の渦に叩き込む、逃げ場のない情報戦略へと昇華されてしまった。
「さあ、ユウヤ。次は、……『コンビニの制服』を、流行らせる。……隠密たちに、……お揃いのエプロン。……これが、……これからの、闇の正装。」
リィナの目は、新たな「流行の創造」という野望に静かに燃えていた。




