第7話 白仮面から夏帆へ、門出の祝代わりの剣
ドアスコープの奥にいる、『白仮面』
別にアバターは、ダンジョンの中でしか使えないわけではない。
どこかの転移スポットに登録し、『アバターが破損した時に、自分の体がどこから出てくるのか』を決定する必要はある。
加えて、『転移スポットの質』によって、どこまでスポットから離れられるのかも違う。
いろいろ制約はあるが、いずれにせよ、『アバターでマンションの廊下にいること』そのものはなんらおかしいことではない。
夏帆は震える手でドアチェーンをかけたまま、わずかに扉を開けた。
「な、何の用ですか……」
「ここで立ち話もなんだろう。入れてもらいたい」
有無を言わせない、静かな圧力。
夏帆は一瞬ためらったが、ここで彼を追い返すという選択肢は、今の自分にはなかった。
チェーンを外し、ゆっくりとドアを開ける。
少女の一人暮らしの、簡素なワンルーム。その玄関に、フル装備のアバターが静かに佇んでいる。あまりにもシュールな光景だった。
「……どうぞ」
招き入れると、白仮面は部屋の中を見回すでもなく、ただ夏帆に向き直った。
「それで、罰ゲームの魔石100キロ。どうやって集めるつもりだ?」
同情も、気遣いもない。
まるで、契約の履行状況を確認するエージェントのような、冷徹な問いだった。
「あの配信の後、君の事務所とスポンサーがどういう状況か、俺でも予想はつくが」
「……それは」
言葉が詰まる。
彼の言う通りだ。事務所はもう、まともに機能していない。マネージャーからの電話は、おそらくその混乱の渦中からのものだろう。
彼が逃げ道を許さないことを悟り、夏帆は、堰を切ったように、自分の置かれた絶望的な状況を語り始めた。
「事務所は……もう、ダメだと思います。さっきネットニュースで、紅玉重工さんからの損害賠償請求と、スポンサー撤退の記事を見ました」
「だろうな」
「ルビー・シリーズは、事務所が借りていたものなので……もう、使えません。私の剣も、鎧も、もう……」
武器も、防具もない。
そんな状態で、どうやって魔石を100キロも集めればいいのか。
「……どうすればいいのか、分かりません。でも、やらなきゃいけないって……それだけは……」
俯く夏帆。その沈黙を破り、白仮面は背中側に持っていた細長い袋から、一本の剣を取り出した。
それは、アンヴェイル・クロックがドロップした、流麗な片手剣だった。
黒を基調とした鞘に、白銀の装飾が施されている。
「罰ゲームは、出来ないことを設定するんじゃない。嫌なことを設定することに意味がある」
白仮面は、その剣を、部屋の中央にある小さなローテーブルの上に、静かに置いた。
「今の君に武器もなく魔石を集めさせるのは、ただの『不可能』の押し付けだ。それでは、罰ゲームとして成立しない」
「……え?」
「これは施しじゃない。君が『責任』を果たすための、最低限の『道具』だ」
彼は、少しだけ間を置いて、こう続けた。
「……門出の祝い、とでも思っておけ」
夏帆は、顔を上げた。
目の前にある、見たこともない美しい剣。そして、それを置いて立ち去ろうとする白仮面の後ろ姿。
感謝よりも、あまりの展開に、頭がついていかない。
「ま、待ってください……!」
呼び止めると、白仮面は仮面越しに、わずかに振り返った。
「なんで……なんで、こんなことを……」
「言ったはずだ。君が『責任』を果たすためだ。俺は、俺の哲学を曲げるつもりはない」
それだけ言うと、彼は玄関へと向かう。
ただ、何か、言いたいことが出てきたのか、夏帆の方を向いて……。
「……その剣、君が今まで使っていたものより、少し『正直』だ。せいぜい使いこなせるよう努力することだな」
最初から最後まで、光輝は、押し付けるだけだ。
彼にとって、『失敗した時に、周囲から無限の責任を押し付けられないため』に、『罰ゲーム』を提示したに過ぎない。
装備を失うことはなかったため、そういう意味で、会社側が負うことになった損害は最小限になっている。
……最小限でも致命的なのは、それは単に、戦略と企画が悪かっただけとして。
「ただ、そうだな……このままだと納得できないのもわかるし、もともと君が挑んでいたボスに、勝手に俺が割り込んだだけってことで」
「ますます納得できないんだけど」
ボスというより、『モンスター』なのだ。
倒せなければ意味がない。
そして倒したのが白仮面なのだから、剣は白仮面が持つべきだ。
それが普通だろう。
「別に、割り込んで手に入れたアイテムは、もともと挑んでいた奴の物。なんて言うつもりはない。倒したやつが得をする。それがダンジョンだ。ただ、要らない物を誰かに渡すとなったとき、その選択肢として君が選ばれたというだけだ」
「……ねぇ、性格、ねじ曲がってるって言われない?」
「今もネットでそういわれてるな。セリフが一々腹立つとか、君が倒される前に割り込んでおけばよかったとか」
「自覚してるなら、なんでそんな……」
「正しいことと、適切であることは別だ。『めちゃくちゃだが上手くいっていた経営戦略』が前提なら、君が隠しボスに挑んだことは『正しい』が、倒せない人間を送り込むなんてのは不適切だ」
「……」
「いろんなことを引き受ける覚悟が君にはある。それは見ていてわかる。本心を言えば……そうだな……」
少し考えている様子だが、すぐに口にした。
「『君にとって適切な力を手にしたとき、君がどうなるのか気になった』……そんなところだ」
「た、ただの知的好奇心で、私にこれを渡すってこと?」
「そういうことだ。それじゃ、必要なことは済んだから、あとはそっちでやってくれ」
光輝はそれ以上、夏帆には何も言わず、部屋を出て行く。
一人残された部屋に、夏帆は呆然と立ち尽くしていた。
ローテーブルの上に置かれた、一本の剣。
それは、彼女の絶望の象徴であった隠しボスが遺した、あまりにも皮肉で、そして、あまりにも美しい希望の光だった。