第20話 説明責任
光輝の言葉が、静かなリビングに重く響き渡る。
『品質点』。その真実。モンスターの断末魔。痛覚のないアバターからの、一方的な解体。
宍道悦樹は、ソファに深く沈み込んだまま、顔面蒼白で動けなかった。
彼の脳裏には、光輝の淡々とした声が繰り返し反響する。
彼がここに来たのは、確かに、ある種の『懇願』に近い物だった。
長年探し求めてきた答えは、彼が想像していた以上に、おぞましく、そして救いのないものだった。
光輝は、そんな宍道の動揺を、ただ静かに見つめていた。
彼の魔力感知が捉える感情の揺らぎは、もはや政治家のそれではない。
打ちのめされ、混乱し、そして、何かを必死に理解しようともがいている人間だ。
沈黙を破ったのは、光輝だった。しかし、その声に同情の色はない。
「宍道議員。あなたは、俺が提示した二つ目の条件を、果たしてくれました。『最後まで、目を逸らさずに聞く』という、あなたの責任を」
その言葉に、宍道ははっと顔を上げた。
光輝は、冷徹な目で彼を見据え、次なる、そしてより重い『責任』を突きつける。
「俺は、この『品質点』の真実を、世間に公表するつもりはありませんでした。話がややこしくなるし、何より、この技術は、多くの人間にとっては知る必要のない、ただの『呪い』だと思っているからです」
彼は、観葉植物の影に隠した録音魔道具を一瞥する。
「……しかし、あなたは、国家権力を背景に、俺の家にまで踏み込んできて、その『呪い』の核心に触れた」
「……!」
「聞いたからには、説明する責任があなたにはある。俺にではなく、あなたが信じる『国益』とやらに、そして、この技術を利用しようと考えている全ての人々に対して」
光輝の声は、静かだが、有無を言わせない響きを持っていた。
「この技術がもたらす恩恵と、その裏にあるおぞましい代償。その全てを、あなたの口で、世間に公表してください。それが、あなたがこの情報を『国のために』求めた、政治家としての説明責任です」
それは、宍道にとって死刑宣告にも等しい要求だった。
もし、この真実を公表すれば?
『有能な冒険者は国家が管理すべき』という彼の政治的スローガンは、倫理的な大反発を受け、根底から瓦解するだろう。
隠しボス召喚という『金のなる木』も、人道的な観点から凍結、あるいは厳しい規制がかけられるに違いない。彼の政治生命は終わる。
しかし、もし黙っていれば?
光輝は、彼の葛藤を見透かしたように、言葉を続けた。
「もちろん、公表しないという選択肢もあるでしょう。その場合は、今日のこの会話の録音データ――ああ、もちろん、あなたの同意なく録音しましたが――これを、しかるべき場所に提出するだけです。どちらを選ぶかは、あなたの『責任』で決めてください」
ここまでの強権を使って踏み込んだ事実は、紛れもないスキャンダルを巻き起こすだろう。
懇願で足を踏み入れ、そして得た真実。その代償は、とても重い。
数分間の、重い沈黙が流れた。
宍道は、固く目を閉じ、何かと必死に戦っているようだった。
やがて、彼がゆっくりと顔を上げた時、その顔には、先ほどの動揺は消え、再び、能面のような、冷徹な政治家の『仮面』が戻っていた。
「……分かった。君の要求を飲もう」
「ほう」
「ただし、公表の時期と方法については、こちらで調整させてもらう。これは、国家の根幹に関わる機密情報だ。国民への影響を考慮し、正式な調査結果として、段階的に情報を開示する必要がある」
光輝は、その答えに内心でため息をついた。
(やはり、そう来るか)
時間稼ぎ。情報操作。
そして、最終的には責任の矮小化。政治家が使う常套手段だ。
しかし、今はそれ以上追及しない。切り札は、まだ自分の手の中にある。
「……結構です。ただし、『しかるべき時期』があまりにも遅いようでしたら、俺は俺のやり方で『論文の補遺』を発表させてもらいますよ」
「……心得ておく。が、聞いておきたい」
「なんでしょう」
「紛れもなく呪いだ。ただ、それを最初から公表するつもりがなかったのなら、私がここに来る。来ないに関わらず、黙っておくべきではないかな?」
「ああ、そういう話ですか」
ゲートスポットの話はともかく、品質点に関しては、公表するつもりはなかった。
悲鳴を聞いて、理解し、その上で刃を突き立てなければならないという、紛れもなく残酷な真実。
まだ十六歳の光輝にとって、それは『黙っておいた方がいい情報』だろう。
それは間違いない。
しかし……。
「人がせっかく仮面を使って隠れてたのに、土足で踏み込んできたんだ。見せしめに使われる覚悟くらいありますよね?」
「……」
約束は約束だ。
宍道が光輝のプライバシーを守るために動くかどうかは問題ないとしても。
宍道よりも賢い人間は、容易く、仮面の下の現実に踏み込んでくる。
ならば、それに対する戦術も考える。
冒険者特有の考え方だ。
まだ見えぬ需要を発見し、企画を立案し、ビジネスとして進めていく人とは違う。
冒険者とは、絶対に需要がなくならない物質を、ダンジョンから持ち帰ることを生業とする。
冒険者として実力があるということは、『社会的』にも強者である。
政治家を、国会議員を相手に、見せしめに使うことすら、精神的な壁は薄いし低いのだ。
「みせしめ。か……」
宍道は立ち上がり、玄関へと向かう。
ドアノブに手をかけたところで、彼は一度だけ振り返り、光輝に問いかけた。
その声には、わずかに、人間としての純粋な疑問の色が滲んでいた。
「……君は、なぜ、そんなにも平然としていられるのかね? この、地獄のような真実を抱えながら」
光輝は、少しだけ考える素振りを見せた後、静かに、そして淡々と答えた。
「慣れですよ。……そして、諦めです」
その答えの意味を、宍道は測りかねた。
ただ、目の前の少年が、自分とは比較にならないほどの永い時間、この『地獄』と、たった一人で向き合い続けてきたことだけは、理解できた。
宍道は、それ以上何も言わず、静かに光輝の家を後にした。
一人残されたリビングで、光輝はレコーダーを回収すると、ソファに深く沈み込む。
「……さて、どう転がるか」
新たな、そして最も厄介なゲームの幕が、今、静かに上がった。




