第15話 白仮面とSランク冒険者
あの日、歴史を揺るがす発見がなされてから、数日後。
ダンジョン配信のトレンドは、一人の男によって完全に塗り替えられていた。
『【メダル確定ドロップ】隠しボス討伐 RTA 36回目』
白仮面は、変わらず、圧倒的な投影魔法で編集しつつ、ボスを単独で討伐する配信を繰り返している。
コメント欄のなかで『反応すべき』と思ったことに関してはしっかり対応しつつ、スパチャも飛んできて、その収益は依然と比べ物にならないほどだ。
彼は、淡々と、そして効率的に『Gメダル』を生産し続ける、一種の『工場』と化していた。
表層でゲートスポットを探し出し、隠しボスを召喚し、神がかった剣技で討伐し、確定ドロップしたメダルを回収する。
そのサイクルを、彼は一日に何度も、生配信で繰り返し続けた。
コメント欄は、熱狂と、そして一つの巨大な謎に支配されていた。
>>今日のノルマ達成!
>>うおおおお、36体目!
>>マジで100%ドロップじゃん……どうなってんだこれ?
>>他のAランクパーティーが深層で試しても、メダルが出たり出なかったりするって話だぞ。
>>幸運スキルでも持ってんのか?
>>いや、運じゃない。と思いたい。ただ、動きを見てもなぁ。それが『本当』なのかどうかわからん。
>>生配信なのに動きが本当かどうかわからんっておかしいだろ。
白仮面は、まだ秘密があるが、明かしてはいない。
そのため、彼の行動は、視聴者にとって神がかり的な『幸運』か、あるいは誰も知らない未知の『スキル』のように映っていた。
「――さて、36体目、討伐完了」
いつものように召喚した隠しボスを、投影魔法で編集しつつ討伐する。
ボスが塵となって消滅し、その場に残されたゲートから、白仮面はダンジョンの通路へと戻った。
ドロップしたメダルを拾い上げ、視聴者に見せびらかした、まさにその瞬間だった。
通路の奥、薄暗がりの中から、一人の女性が、音もなく姿を現した。
雪のように真っ白な長髪。全てを見透かすかのような、氷の瞳。
その姿を認識した瞬間、コメント欄は爆発した。
>>え、嘘だろ……
>>氷室凍華!?
>>本物!? なんでSランクがこんな表層に!?
>>おいおいおい、とんでもないのが出てきたぞ!
ここは、魔力濃度の低い『表層』。
白仮面にとっては、自らの力が最大限に発揮されるホームグラウンド。
一方で、氷室凍華にとっては、その力が著しく制限されるアウェイのはずだった。
しかし、彼女が放つ『Sランク』という絶対的な格と、幾多の死線を越えてきた者だけが持つ威圧的なオーラは、そんな物理法則すら捻じ曲げ、その場を完全に支配していた。
凍華は、攻撃の意思を見せず、ただ静かに、白仮面へと歩み寄ってくる。
そして、彼の配信カメラが回っていることを完全に理解した上で、その唇を開いた。
「見事な手際ね」
鈴を転がすような、しかし、どこまでも冷たい声。
「まるで、どこを斬ればお目当てのものが出てくるか、最初から知っているみたい」
その言葉に、白仮面の動きが、わずかに、しかし確かに固まった。
白仮面の秘密……いや、『秘密があるのだ』ということそのものに確信している。
初めて自分と同等、あるいはそれ以上のレベルで物事を見ている存在との対峙。
白仮面は……警戒は、しなかった。
「……企業秘密、というやつですよ」
当たり障りのない返答。しかし、凍華は意に介さず、さらに核心へと踏み込んでくる。
「世界はあなたの発見に湧いている。国も、ギルドも、大企業も、あなたのその『法則』を欲しがっているわ。あなたを管理下に置こうと、すでに動き出している。……でも、あなた自身は、そんなことには全く興味がなさそうに見える」
彼女は、白仮面の仮面を射抜くように見つめ、言った。
「単刀直入に聞くわ、『白仮面』。あなたの本当の目的は、何?」
究極の問い。
コメント欄も、固唾をのんでその答えを待っていた。
しかし、白仮面が答えるより先に、凍華は、ふっと視線を逸らした。
「……まあ、いいわ。それよりも、一つ忠告しておくことがある」
彼女の視線の先には、何もない。
だが、白仮面には、彼女が誰のことを言っているのか、正確に理解できた。
「その目的のために、一人の不器用な少女を、あなたの『実験』に付き合わせるのは、感心しない。私は、弱い者いじめは好きじゃないの」
朝垣夏帆。
その名を出さずとも、それは、彼女に対する明確な牽制だった。
凍華は、白仮面が夏帆に剣を渡した行為を、単なる善意などではなく、彼なりの何らかの意図を持った『実験』であることまで、完全に見抜いていた。
沈黙が、場を支配する。
配信上で、世界最強の女から、逃げ場のない『尋問』を受ける白仮面。
数秒後。
彼は、初めて、凍華に向かって、楽しそうな、そしてどこまでも不遜な声色で、こう返した。
「……面白い女だな、あんた」
その言葉に、凍華は表情一つ変えなかった。
ただ、その氷の瞳が、面白そうに、わずかに細められる。
「光栄ね。あなたのような『歴史』そのものに、そう言ってもらえるなんて」
「……あんた、俺が何者か、どこまで分かってる?」
「さあ? ただ、『Eランク』ではないことだけは、確かでしょうね」
t凍華は、こともなげに言う。
その一言は、彼女が世間の評価など全く意に介さず、自分自身の物差しでしか物事を測らない、絶対的な強者であることを示していた。
>>面白い女、だと……?
>>おい、白仮面がSランク相手にマウント取り始めたぞ……
>>肝が据わりすぎだろ
>>てか、凍華様も煽り返してるし!
>>「歴史そのもの」って、最大級の賛辞じゃねえか
>>この二人、会話のレベルが違いすぎる……
「あんたほどの人間が、わざわざこんな表層まで、俺に説教しに来たのか? 弱い者いじめがどうとか、らしくないな」
「説教ではないわ。確認よ」
凍華は、きっぱりと言った。
「あなたの『実験』が、ただの気まぐれな残酷さから来るものなのか。それとも、何らかの哲学に基づいたものなのか。それを見極めに来た」
「で、答えは出たのか?」
「ええ」
凍華は、小さく頷く。
「あなたは、弱い者いじめをするタイプではない。ただ、自分の哲学に誠実すぎるあまり、他人の感情を考慮しないだけ……ある意味、一番タチが悪いわね」
それは、非難でありながら、同時に、彼の本質を正確に射抜いた、的確な評価だった。
白仮面は、仮面の下で、初めて苦笑のような表情を浮かべたかもしれない。
>>タチが悪いwww
>>Sランクからのお墨付き頂きました
>>夏帆ちゃん、マジで実験台にされてただけだった……
>>でも、おかげで再起のきっかけ掴んだわけだしな
>>白仮面流の荒療治ってことか
「……それで? 俺の目的とやらは、まだ気になるか?」
「ええ、もちろん」
「そうか」
白仮面は、一度、天を仰ぐように首を傾け、そして、配信カメラの向こう、全世界の視聴者と、目の前の絶対的強者に向かって、こう告げた。
「俺の目的は、もう達成した」
その言葉に、凍華の眉が、わずかにピクリと動いた。
「……どういうこと?」
「俺は、長年かけて一本の論文を書き上げた。そして、先日の配信で、その論文を世界に向けて発表した。ただ、それだけだ」
隠しボスの法則の発見。
ダンジョン攻略の歴史を覆す、その世紀の偉業を、彼は、ただの「論文発表」と、こともなげに言い放った。
「その論文が、世間でどう評価され、どう利用されるのか。俺は今、その『査読』の結果を、高みの見物と洒落込んでる最中でね。だから、国がどうとか、ギルドがどうとか、正直、どうでもいい」
それは、あまりにも傲慢で、あまりにも純粋な、一人の研究者の言葉だった。
金も、名声も、支配も、興味がない。
ただ、自らの探求の成果が、世界にどう受け止められるのか。彼の興味は、そこにしかない。
>>論文……だと……?
>>査読……?
>>俺たち、壮大な研究発表に付き合わされてただけなのかよ!
>>スケールがデカすぎる
>>つまり、マジで、冒険者稼業はただの趣味……いや、研究のためのフィールドワークだったってことか
>>この男、マジで何者なんだ……
コメント欄が、彼の思考のスケールに追いつけず、混乱している。
その中で、凍華だけが、彼の言葉の本質を正確に理解していた。
そして、彼女は、他の誰もが気づいていない、最後の核心を突く。
「……なるほど。論文は発表された。けれど、その論文には、まだ『結論』の最も重要な部分が書かれていない、ということかしら」
その言葉に、白仮面の動きが、初めて明確に止まった。
「……何が言いたい?」
首をかしげる白仮面に対し、凍華は、決定的な一言を放った。
「その、『確定でメダルが落ちる現象』。……あなたのその、ひねくれた性格と、無関係ではないんでしょう?」




