第一話 権藤資隆死す
錆のような味がした。
鉄のような匂いがした。
宙に浮くような虚脱感と、一文字に走る焼かれるような痛み。
俺は死んだ。
霧のような薄靄がかかる新宿歌舞伎町のゲロと小便臭い路地で。
俺は死んだ。
「権藤さん!!」
「お、おい! こいつマジでやりやがったぞ!!」
「立花くんやばいって! どうしよう!!」
「き、救急車だ!! 早くしろって!!」
「なんなんだよこいつ!!」
「マジで....腹ぁ切りやがった....」
チンピラに半グレに取り巻きの女が口々に喚く。このきっかけになった馬鹿な後輩が泣きながら何度も謝る。路地の隙間からは、面倒事に巻き込まれないように騒ぎをちらちらと遠巻きに見ながら足早に去っていく通行人。
ははっ、次の消防士試験はちょっと延期だな。
今度は学科もばっちりだと思ったんだが、こう腹具合が悪くちゃあ、いけねえや....
薄靄が徐々に湿り気を帯び、霧雨へと変わっていく。
真っ赤に燃えていた、俺の腹から流れ出る体温を奪っていく。
冷たくなった。
意識が遠のいた。
俺は死んだ。
─────はずだった。
「あぁ? なんだぁ? こりゃあ?」
無機質な真っ白い空間。
いつだったか、映画だのモデルの撮影だので一面真っ白なスタジオを借り切っていたりするというのを見た事があるが、そういった感じだ。上を見てもどこを見ても、ずぅっと白いままで地平線も天井も、ましてや照明なんてものもどこにも見えやしない。
いや、一つだけ、あった。
一人だけ、いた。
市役所だとか不動産屋だとかにでもありそうなちゃちなオフィス用のデスク。机の上にはノートパソコンと、他には分厚いファイルが積みあがっている。
「あ〜....あんたここの人? 俺ぁさっきまで歌舞伎町にいたはずなんだが....」
これまた安物のオフィスチェアに座った、色白で、細くて、黒ぶちメガネに七三分けの、いかにも生真面目な役人とでもいうような見た目の男に声をかけた。
声をかけると、それまでノートパソコンの画面に集中していて俺に気が付いていなかったのか、ビクッと体を動かし「あっ!」「えっ? もう?」「どうしよう!」などと言いながら、ファイルをバラバラとめくったり、ノートパソコンの画面を見直したり、腕時計を何回も見直したりと、忙しなく視線をきょろきょろと行ったり来たりさせた。
「え〜、どうしよう。いきなりだよ〜」
「今回はえ〜と〜....」
「これってどうなんだろうな〜....」
「四二条の三項だとぉ....」
「お〜い、聞いてんだろ? なんなんだ? ここは?」
「あ~、はい、えっと、少々お待ちください」
机越しの男は手をひらひらとさせて面倒くさそうにチラリと一瞥すると、またぶつぶつと言いながら、書類と画面とファイルを行ったり来たりし始めキーボードから指が離れた。
────バンッ!!!!!
「おい、兄ちゃん。聞いてんだろ? ここはどこかってよぉ?」
力強く、音を立ててノートパソコンが閉じられた。机越しの青瓢箪と、お互いの吐息がかかるほどの距離に顔が近づく。
筋骨隆々の体。左頬を一文字に横断する傷。生命力を感じさせる太い眉。堀の深い顔に鎮座する野獣のような生命力を持った瞳。
「ひっ!! な、なんですか! 無礼ですよ!! そ、それに、その神器は人間如きが触れていいものでは────」
「ゴチャゴチャとさっきからうるせぇぞ!! 俺はここはどこなんだと聞いてんだろうが!!!」
ふわりと、ワイシャツにスラックス姿の男の体が宙に浮く。机の上のファイルやら書類やらがバタバタと音を立てて落ちていく。目も合わせない、挨拶もしない、流石に失礼が過ぎるってもんだ。それなら、俺もその流儀に則ってやろうじゃねえか。
「ぐえっ....」
「ふ、触れるなんて....不敬が....」
「じゃかあしい!! てめえから売ってきた喧嘩じゃろがい!!」
真っ白な空間に怒号がこだまする。
「と、とにかく....放してください....」
もはや涙目になった目の前の男を、それ以上追い詰める趣味は無い。
パッと手を離すと、べしゃりと地面に倒れた。
「で? ここは一体どこなんじゃい。俺は死んだはずだがここがあの世ってやつなんか?」
ゴホゴホと咳をしながら、吐き出し切った空気を必死で吸い込み、入りきれなくなった空気がくんずほぐれつと空回りをして、また咳をする。
そうして、多少なりとも落ち着いたのかヨロヨロと立ち上がり始める。今度は目を合わせた。が、すぐに逸らした。そして一度ごほんと咳ばらいをして大きく息を整えると。
「....えぇっと、はい、そうです。権藤資隆さん、あなたは死にました。あとここはあの世ではないです」




