第8話 「崩壊」
倉庫の空気は、息が詰まるほど重かった。
停電で非常灯すら落ち、わずかなスマホの光だけが人々の顔を照らしていた。
その時――
「ギャァァアアアアッ!」
隣の通路から、悲鳴が突き抜けた。
全員が振り返る。
一瞬の沈黙。
そして、壁一枚向こうから響く肉を裂く音。
「やめろッ! 誰か助け――」
声は途中で途切れ、鉄と血の臭いが倉庫にまで漂ってきた。
少女が泣き出し、母親がその口を押さえる。
震えが広がる。
「もう……もうダメだ……」
若い男が崩れるように座り込み、頭を抱えた。
*
「落ち着け……落ち着け!」
警備員が必死に声を荒げる。
「シャッターを破られたわけじゃない、まだここは安全だ……!」
だが、その言葉は誰の耳にも届かない。
さっきの「犠牲」が証明していた。
安全など、どこにも無い。
「……俺たちは、餌なんだよ」
老人が呟いた。
「奴は……一度に全部を殺さない。少しずつ……遊ぶように……」
沈黙。
その言葉の重さに、誰も反論できなかった。
*
やがて、不穏な動きが始まった。
「もう我慢できん!」
若い男が立ち上がり、スマホのライトを掲げた。
「ここにいても、死ぬだけだ! 俺は出口を探す!」
「待て!」
止める声を振り切り、男はバリケードを動かし、通路へ飛び出した。
数秒後――
「……ひっ……」
廊下の闇から、男の悲鳴が短く上がり、止んだ。
残された者たちは声を失った。
あまりに早すぎる結末。
母親が嗚咽を漏らす。
少女は小さな声で呟いた。
「……やっぱり、お父さん来ないんだね……」
その声が、倉庫にいる全員の心を崩壊させた。
*
次第に、人々の間に疑心暗鬼が芽生える。
「泣き声を止めろ! 子どもがいるせいで見つかる!」
「黙れ! うちの子に触るな!」
押し殺していた恐怖が、次々に他者への敵意へと変わっていく。
互いに罵り合い、泣き叫び、もはや静寂すら守れなくなった。
その時――
――ドンッ。
再び、シャッターが叩かれた。
今度は一度きりではない。
リズムを刻むように、ゆっくりと、何度も。
人々の争いは一瞬で凍りついた。
熊は聞いていたのだ。
彼らが壊れていくのを、楽しむように。
「……あいつ……人間の心を……壊そうとしてる」
誰かの震える声が、暗闇に溶けた。