第2話 「血祭り」
熊が吼えた。
地を割るような咆哮が、夜の祭囃子をかき消す。
太鼓の音が途切れ、提灯の灯りが震え、群衆の目が一斉に闇の奥を凝視した。
次の瞬間――。
一頭の熊が突っ込んできた。
屋台が木っ端みじんに吹き飛び、焼きそばの鉄板が宙を舞う。
火花が散り、油がはじけ、熱せられた鉄片が観客の腕を焼いた。
悲鳴。怒号。
「熊だ! 逃げろ!!」
*
熊の視界に、赤い影が走る。
小さな人間――子供。
腹の底から涎があふれる。
かつてはただの「食料」でしかなかった存在が、今は“もっと大きな意味”を帯びて見える。
弱い。捕らえられる。群れを乱せる。
狩りの理屈を、熊は理解してしまっていた。
*
「こっちに来るな!」
青年が子どもを抱えて逃げ出す。
だが、熊は屋台を薙ぎ払いながら一直線に迫ってくる。
その眼は、獲物を追う動物のそれではなかった。
“追い詰め、反応を楽しむ”――そんな冷たい光を放っていた。
老婆が転んだ。
「助けて! 誰か!」
伸ばされた手を、誰も取らない。
群衆は四散し、互いを突き飛ばし、ただ自分だけが助かろうと走る。
「やめろ! 押すな、押すなぁッ!」
足を踏まれ、子供を突き飛ばされた母親が絶叫する。
*
熊の爪が振り下ろされた。
鉄骨の柱が容易く裂け、火花が散る。
その光に照らされた熊の口元は――笑っているように見えた。
「化け物だ……!」
誰かがそう呟いた瞬間、群衆の恐怖は臨界点を越える。
逃げ惑う人間たち。
血に濡れた熊。
そして、夜空に残る祭囃子の残響だけが、異様に楽しげに響いていた。