第1話(続き)
本文:第1話(続き)
熊は、暗闇の中で鼻を震わせる。
血の匂い。肉の匂い。――人間の匂い。
かつては単純に獲物を探すだけだった本能が、いまや異様なほど鮮明な思考を伴って膨れ上がる。
「これは弱い。これは速い。これは……捕らえられる」
言葉にならない理解が脳を走り抜ける。
*
一方その頃、山裾の小さな集落では祭りの準備が進んでいた。
太鼓の音、屋台の明かり、子どもたちのはしゃぎ声。
「今年も無事に迎えられたな」
そう笑う老人の顔に、不安は微塵もなかった。
しかし、屋台の裏手にいた青年がふと耳を澄ませた瞬間、背筋を冷たいものが走った。
――何かがいる。
獣臭。土埃。腐敗した血の臭い。
それが、祭囃子の隙間を縫って忍び込んできたのだ。
*
熊の眼に、明かりが映る。
赤い提灯。人間の影。群れ。
腹が鳴る。
だがそれ以上に、頭の奥で疼く衝動があった。
「試せ」
「壊せ」
「奪え」
それは熊のものではない。
喰らった“何か”が、内側から命じている。
*
「――おい、熊だ!」
誰かの叫びが祭り会場を凍りつかせた。
振り返った群衆の目に映ったのは、闇を割って現れる巨影。
四つ足のはずの熊が、奇妙にゆらぎながら立ち上がり、まるで人を見下ろすかのように二足で進み出てくる。
口元には涎、だがその瞳には、異様な“理解”の光。
恐怖と混乱が弾けた。
「逃げろ!」
「子どもを連れて!」
「消防団を呼べ!」
阿鼻叫喚の中、熊は――静かに、一歩を踏み出した。