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ヘッジホッグの酒場から

ついに明かされるマリナの過去とは!?


評価&応援ありがとうございます!

買い物も終わり、ヘッジホッグへと戻ってきたあたしは、いつものように艦内バーのカウンター席へ腰を下ろす。

氷が溶けていくグラスを指先で転がしながら、ひとり、酒を味わう。こうして静かな時間を過ごしていると──ふと、昔のことが頭をよぎる。


 


──あれは、たしか12歳の頃だった。


あたしの両親は、小さな輸送船を営んでいた。でも、あるとき航路の事故で、二人とも帰ってこなかった。

親戚なんてあてにならなかったし、残された金も家も、すぐに他人の手に渡った。


あたしは放り出されるようにして、スクラップ11のスラムに流れ着いた。


 


毎日、腹をすかせながら、鉄くずの山でゴミをあさる日々。

空腹と寒さに泣く夜が、何日も続いた。


そんなある日──背中に声がかかった。


「なあ、金……欲しくないか?」


振り返ると、ニヤついた目の男が立っていた。


「いい仕事があるんだが、どうだ?」


汚れたコートの袖が、あたしに差し出される。


その時のあたしに、迷う理由なんてなかった。


……あたしは、迷わずその手を取った。


仕事は、単純だった。

男から渡された小さな包みを、指定された場所で誰かに手渡す。それだけ。


今になって思えば、あれは──たぶん、違法薬物か何かだったんだろう。


でも当時のあたしには、そんなことはどうでもよかった。


 


あたしが“選ばれた”理由も、きっと単純なものだ。

子供で、孤児で、どこの誰かも分からない。

裏路地に紛れて歩いていても、誰も気にしない──むしろ、見て見ぬふりをするような存在。


そういう“都合のいい存在”だったってだけ。


 


それでも。

あたしは、その仕事で初めて“自分の稼ぎ”を手にした。


いくらかの手間賃。小銭。それだけ。

でも、それで──あたしは、腹を満たすことができた。


久しぶりに食べたあったかいパンの味、今でもはっきりと覚えてる。


それは“人として生きるための味”だった。




それからも、あたしの“仕事”は続いた。

男から包みを受け取って、別の人に渡す。ただそれだけ。毎日それだけ。


同じような路地、同じような顔、同じようなやりとり。

淡々とした日々。でも、そんな時間が、いつまでも続くなんて──思ってはいなかった。


 


その日は、いつもと同じように、待ち合わせ場所に向かった。


けれど、男は来なかった。

十分、三十分、一時間……何時間待っても、影も形も見えなかった。


 


そんな時だった。ふと、鼻につく匂いに気が付いた。


鉄のような、さびたような──けれど、どこか温かくて、生々しい匂い。

“血”の匂いだった。


 


足が、勝手に動いた。

あたしはその匂いを辿って、裏路地のさらに奥へと入り込む。


そして、そこで──見つけた。


 


男は、血だまりの中で倒れていた。

目を開いたまま、うつろな顔で、もう二度と動くことはなかった。


皮肉なことに、あたしが渡すはずだった小さな包みが、手の届かない場所に転がっていた。


男の身体は、すでに冷たくなっていた。


 


あたしは、何も言えず、何もできず、ただそこに立ち尽くした。


“こういう終わり方もある”──そう思った。



それからのあたしの生活は、大きく変わった。


──自分は、“いつ死んでもおかしくない”。


そう思うようになってから、何もかもが、急にどうでもよくなった。


お酒を飲み始めたのも、そのころだった。

そして、ほどなくして──ギャンブルに手を出した。


最初は、興味本位だった。けれど、不思議と勝てた。

流れを読むのが得意だったのか、癖を見抜くのが早かったのか……とにかく、あたしには向いていたらしい。


勝ち金だけで、食べていける程度には稼げた。

──いや、稼いでた。


 


けれど、それも長くは続かない。


ある日のこと。いつもより少し多めに勝って、気分よくスラムの路地を歩いていたとき──

背後から、複数の足音がついてきた。


振り返ると、ガラの悪そうな男たちがいた。

口元に笑みを浮かべながら、手にしたナイフをチラつかせて。


「なぁお嬢ちゃん、ちょっと勝ちすぎじゃねぇか?」


「運がいいと、命が短くなるって知ってたか?」


そう言って、じりじりと近寄ってくる。


 


──本能だった。


あたしは、何も考えずに走り出した。


袋小路じゃないことを祈りながら、ただ、走った。

ぐにゃぐにゃと入り組んだ路地を、転びそうになりながら、全力で。


追いかける足音が背中に迫る。


それでも、あたしは必死に走った。喉が焼けるように痛くても、足がつりそうでも、振り返らずに。


そしてようやく──

ネオンと喧騒のあふれる、大通りへと飛び出した。


 


人通りの多い場所。


そこでようやく、追いかけていた連中は引いた。

ナイフは、群衆の中では目立ちすぎるからだ。


 


その場にへたり込み、あたしは泣いた。

恐怖と、安堵と、色々な感情が一気に押し寄せてきて──止まらなかった。


だけど。


誰も、“見ないふり”をするだけだった。

すれ違う人は、ただ通り過ぎるだけ。誰ひとり、声をかけてはこなかった。


──ああ、ここじゃ泣くことすら、贅沢なんだ。


そう思った。




気が付けば、4年が経っていた。


鏡に映る自分は、もう貧相な子どもではなかった。

頬の線は少し丸くなり、体にもそれなりの曲線ができていた。


──でも、それがどうしたっていうんだ。


あたしの生活は、何も変わらなかった。


相変わらず、ギャンブルで日銭を稼いでいた。

顔を覚えられないように、場所を転々としながら。

危ない奴には近寄らない。逃げ方も、隠れ方も、無意識に体が覚えていた。


勝った金で飯を食って、負ければまた何か売って、飲んで、寝る。


生きるための“才能”だけは、無駄にあった。


 


──でも、それだけだった。


 


楽しいわけでもない。

嬉しいわけでもない。


ただ、死なないために生きている。それだけ。


そんな日々の中で、あたしは酒の量をどんどん増やしていった。

飲んで酔って、目の前の“今”をぼかしていれば……少しだけ、楽になれた。


あたしがどうなろうと、誰も気にしない。

気にしてくれる人間なんて、最初からいなかった。


だから、酔っぱらって吐いて倒れて、明日目が覚めなくても──

別にそれでもいいかな、なんて。


 


けれど──




ある日、酒場で女に声をかけられた。


星間海賊ギルドの受付嬢だという。こんなあたしに何か用か、と尋ねれば、ギルドに興味はないか、と言う。


「興味ない」


あたしはそう答えた。しかし、女は話を続ける。こんな毎日でいいのか、まっとうな仕事に就きたくはないのか。


「そんなこと、無理だよ」


そう答えた声は、自分でも驚くほどに小さく、掠れていた。


酒におぼれ、ギャンブルで日銭を稼ぐだけの毎日。

それが恥ずかしいなんて思ったことはなかった──

……いや、本当は思わないふりをしていただけだ。


 


「そう言うと思ったよ」


受付嬢の女は、嫌な顔ひとつせず、グラスの水を口に運んだ。


「でも、そうやって生きてるあんたを、誰かがちゃんと見てるってことは……悪くないと思わない?」


「……は?」


「スラムで“死なない”だけでも大したもんだよ。私、あんたみたいなの、何人も見てきたけどさ。ほとんどは途中で潰れる。自分から終わらせるか、他人に壊されるか」


その言葉は、なぜだか、真っ直ぐに胸に刺さった。


「──だから、声をかけてみた」


女は立ち上がると、懐から小さな金属プレートを取り出し、テーブルに置いた。


星間海賊ギルドの仮IDカードだった。


「別に、すぐに来いって言ってるわけじゃない。ただ、あんたが“このままじゃ嫌だ”って、少しでも思ったときのために。場所は星間海賊ギルド支部。いつでも来な」


そう言い残して、女は酒場を出て行った。


 


仮IDが置かれたままのテーブルに、あたしはしばらく座り続けていた。


手を伸ばすのも怖かった。


その一枚が、自分の人生を変えるかもしれないことが──

なぜだか、直感的にわかってしまったからだ。


──“変わる”って、怖い。


でも、“このまま”の方が、もっと怖いかもしれない。


 


あたしは震える手で、そっとそのプレートを掴んだ。


それが、“今のあたし”の終わりで、“今の仲間”と出会う始まりだった。




あたしは操縦の才能があったらしい。初めて触るシミュレーターで、トップクラスの成績を取った。周りの反応はすごかった。期待の新人、そう誰かが言った。


ギルドの登録はスムーズに進んだ。


晴れて正規のギルドメンバーとなったあたしは、ギルドから借金をして中古の戦闘艦を買った。今までの稼ぎが子供の小遣い程度に見えた。


お酒はやめられなかったが、日々が輝いて見えるようになった。




仲間もできた。

最初はギルドの斡旋で組まされたチームだったけど──何度かの依頼をこなすうちに、“信頼”ってやつが芽生えていった。


艦の中で交わす、なんてことのない会話。任務を終えたあとに飲む一杯。

それが、たまらなく心地よかった。


ようやく、あたしは“生きてる”って実感を得られたんだ。


……とはいえ、順風満帆ってわけじゃない。


無茶な任務もあったし、仲間を失ったこともある。


そのたびに、また酒に逃げそうになって──

でも今は、それを“分かったうえで”飲んでる。


逃げじゃない。けじめだ。……嘘。お酒大好き。


 


──そして今。


あたしは、あのころ買ったオンボロの中古艦とは比べものにならない、最新鋭…ではないけど新型の宇宙船に乗ってる。


仲間もいる。艦長はちょっと生意気で、子どもとAIに振り回されてる変なやつだけど──


だけどさ。


あのころのあたしが見たら、きっとこう言うと思う。


「なんだ、案外、悪くないじゃん」ってさ。


 


バーカウンターのグラスに、わずかに残った琥珀色の液体を見つめながら──

あたしは、そっと微笑んだ。


「……さて。今日の分はおしまい。明日も、ちゃんと頑張りますかね」


そう呟いて立ち上がり、空のグラスを軽く掲げる。

──いや、やっぱり。


「コウキ、やっぱもう一杯お願いね~!」


「お前なぁ……!」


ヘッジホッグの艦内に、いつものやりとりが響き渡る。


──マリナの過去にあった“痛み”も、“孤独”も、もう、ここにはない。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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次回もどうぞ、お楽しみに!

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