声を届かせるために
逃走から五日後。
ミィナたちは、王都の貴族区に潜り込んでいた。
そこは、高位階級の住まう特権階級の街。
石畳は整い、庭に咲く花々すら監視の目をかいくぐらねば見られない世界。
だが、そんな場所にこそ、《語る価値》がある。
「……ターゲットは“彼”で間違いないのか?」
セドリックが低く問う。
「ええ。リュシアン・アラフォード侯爵。王国の歴史院の上級顧問。
“聖剣譚”の編纂を統括した人物。……でも同時に、“空白”に疑問を抱いた唯一の内側の人間でもある」
侯爵――リュシアンは、“正義の中に綻びを見た”ことで知られている。
しかし彼は沈黙した。
語れば、粛清されると知っていたからだ。
だからミィナたちは、揺さぶりをかけることにした。
方法は一つ。
――“事実”を突きつける。
貴族街の郵便局に、偽名で一通の封書が届いた。
宛名は「侯爵リュシアン・アラフォード閣下」。
中には、ラディス・ファウストの遺稿の一部、そして封印された地下教会で回収された記録の写し。
翌朝。
屋敷の応接間で、その文書を開いたリュシアンは、しばし手を止めた。
「……この筆致……まさか……」
驚き、震える。
そこには、自らが編纂から除外した“幻の章”に酷似した内容があった。
『私たちは、正義に殺された。
罪の名のもとに、炎で焼かれた。
それでも、私たちは――生きたかった』
リュシアンの手が止まる。
窓の外、鳥が鳴く。
いつも通りの朝。だが彼の胸には、七年前の“あの光景”が蘇っていた。
勇者の行軍。
炎に包まれた国。
それを、彼は遠くの丘から見ていたのだ。
――“あれは本当に、救済だったのか?”
その夜。
ミィナは、貴族街の裏門で男と対峙する。
仮面をつけた従者を装い、情報を渡しに来たとだけ告げて。
「……どうして、私にこれを?」
侯爵が問う。
声には確かな怯えと、かすかな期待があった。
ミィナは答える。
「あなたが、唯一“外から見ていた”から。
――そして、黙ったから。
だから今、“選ばせに来た”んです。あなた自身の手で、真実を世に出すのか。それともまた、見なかったふりをするのか」
侯爵は、言葉を失う。
だが――その瞳に宿ったものは、確かに“覚悟”の灯だった。
「……君の名前は?」
「名乗っても、記録には残りませんよ。私たちは“魔”ですから」
ミィナは微笑み、踵を返す。
「でも、歴史に“火”をつけることはできます」
こうして、語り部たちは次なる火種を置いた。
王国の中枢に、静かに、確かに。
それは――
嘘で塗り固められた“英雄譚”に、最初の《傷》を刻む行為だった。