火は、声を持つ
その夜、街の至る所に、黒い紙が貼られた。
手描きのそれは不格好だったが、目を引いた。
聖剣の記章に、赤い×印。
そしてただ一行、こう記されていた。
『勇者は、何を救い、何を焼いた?』
最初は、誰もが悪戯か、異端者の戯言だと思った。
だが翌日には、街の井戸端に、広場に、教会の扉にまでそれは現れた。
「なあ、またあったぞ、あの紙……」
「“勇者に焼かれた子どもたち”? 嘘だろ?」
「でも、昨日の市場で配られてた小冊子、読んだか? あれ……妙にリアルだったぞ」
人々の中に、わずかな“疑い”が芽を出す。
ミィナたちは、夜に動いた。
《記録の守人》が持つ“封じられた証言”を短編にまとめ、街の人間に匿名でばら撒いた。
そこには、魔王国で暮らす市民の記録。
パン職人の手記。魔王に仕えた軍医の報告。幼い姉妹の交換日記。
どれも“魔物”の声とは思えぬほど、人間くさいものだった。
そして今夜もまた、三人の影が街の屋根を駆ける。
「……反応は悪くないわね。驚いてるだけじゃない。“信じたい”と思ってる」
ミィナは屋根の端で風を受けながら言った。
「じゃあ……“揺らいでる”ってことか」
セドリックが呟く。視線は、遠く王城の灯へと向いていた。
「王国が築いた“正義”の像を、いま崩しかけてる。でも……問題はここからよ」
そう、問題は――
“民の疑念”が、やがて“統治者の怒り”を招くということ。
その証拠に、王都からの密命を受けた特務部隊《聖環騎士団》がすでに街に潜入していた。
◆ ◆ ◆
一方、地下の記録庫では、老婆――“記録の守人”が別の巻物を広げていた。
それは、勇者アルベルトに仕えていた神官の“懺悔録”。
『魔王は、民に“学び”を与え、“火”を与えた。
だが王国はそれを“呪術”と呼び、“危険”として葬った。
我々は“知らぬふり”を選んだ。
それが世界を救うと、思い込んでいたから』
「勇者はな……間違ったのさ。……だが、彼は“自分が正義だと信じた”まま死んだ」
老婆はぽつりと呟く。
「ミィナ、お前はどうする。“正義”を取り戻したいのか? それとも、世界に復讐したいのか?」
少女は、静かに目を閉じた。
「……まだ、答えは出てない。でも……声を取り戻すまでは、私は止まらない」
そして再び、夜がやってくる。
街角に貼られた黒い紙。
それを破り捨てる騎士団の手。
だがまた別の手が、同じ文を記した紙を貼る。
“魔王軍は、本当に悪だったのか?”
かつて燃やされた声が――
今、火を灯している。