声なき者たちの書架
真実を語る者は、いつも声を殺される。
それが“正義”とされるものに都合が悪ければ、なおさらだ。
街に潜伏して三日目の夜。
ミィナとセドリックは、地下水路を歩いていた。
案内役は、一人の老婆。
古びたマントを羽織り、顔のほとんどをフードで隠していたが、その歩みには迷いがなかった。
「……あんたたち、“焔の生き残り”だろう」
老婆が低く言った。
「魔王国が焼かれた夜、城から逃げ延びた子どもたちがいたって噂は、私らの耳にも届いていた。まさか本当だったとはね」
「あなたは誰?」
ミィナが問うと、老婆は薄く笑った。
「《記録の守人》と呼ばれている。……世界が忘れた真実を、燃やさずに残すのが仕事さ」
辿り着いたのは、古い教会の地下。
そこには、外の図書館とはまるで違う“もう一つの歴史”が広がっていた。
崩れかけた書棚。手製の巻物。血で書かれた証言。
――“英雄譚”の裏で、黙殺された記録の数々。
「ここにあるのは、すべて“消された歴史”。勇者軍によって廃棄、あるいは改竄された真実の断片さ」
老婆は一本の巻物を取り出す。封蝋には、黒い炎の紋章。
「これは、ラディス・ファウストの遺稿。……お前の命を繋いだ男の、最後の記録だ」
ミィナは、目を見開く。
「……ラディス様の?」
「彼が何を思い、何を託し、どんな“嘘”と戦ったのか。読みな。お前には、その資格がある」
巻物をほどく。筆跡は荒れ、所々がにじんでいた。
それでも、明確に記されていた。
『人間は正義を語り、剣を掲げる。だが彼らが斬ったものは、恐怖に震える子どもだった。
私はそれを止められなかった。
ならば――この記録を、未来に託す。
私たちは、ただ“生きたかった”だけだった。』
文字を追うミィナの目に、涙が浮かぶ。
「……ラディス様……」
老婆はそっと続けた。
「いいかい、少女。“正しさ”とは、“語られた数”で決まるものさ。
声を奪われた者に、歴史は残せない。だから――今、誰かが“語り部”にならなきゃいけないんだよ」
ミィナは、その言葉を心に刻んだ。
自分の命は、“あの夜”に終わっていた。
それでも今ここにいるのは、“言葉”を受け継ぐため。
セドリックが問う。
「守人。……その“語り部”を育てるために、手を貸してくれるか?」
老婆は短く頷いた。
「望むなら、力を貸そう。だが気をつけな。
真実は、人を殺す。……特に、“信じた正義”にすがる人間を、な」
こうして、ミィナたちは“語り部”としての一歩を踏み出した。
それは剣ではなく、言葉で抗う戦い。
世界に問う、“誰が悪だったのか”を明かす旅。
――そして、勇者の名のもとにすべてを隠していた王国が、
彼らの動きに気づき始めるのは、もうすぐだった。