英雄の記録、魔の沈黙
人間の街は、眩しかった。
白い石畳。鐘の音。市場を行き交う人々の笑い声。
“魔王に国を奪われた悲劇の末裔たち”は、今日も平和の中でパンを買い、歌を歌っていた。
「……本当に、戦争があった街とは思えないわね」
ミィナは、黒い外套のフードを深く被りながら呟いた。
その隣で、セドリックはわずかに唇を引き結ぶ。
「それだけ“勝者”の物語が浸透してるってことだろ。……俺たちが滅んだ理由なんて、もう誰も覚えちゃいない」
「“勝者が歴史を書く”ってやつね」
ミィナは目を細め、街の広場に目を向ける。
そこには、大きな銅像があった。
聖剣を掲げ、笑う青年。
その足元には、“倒された魔王”が蹲っている。
――それは、明らかに侮辱的な意匠だった。
「勇者アルベルト・クロウレイン……か」
その名は、かつてラディスが口にした男と同じだった。
彼らは中央図書館へと足を運ぶ。
目的は、“公式の歴史記録”の閲覧。
魔王国についての記述が、どう書かれているのかを確かめるためだ。
受付の女性に身分を問われるが、セドリックが用意した偽の紹介状で無事に通される。
「一時間以内だ。長居はできない」
「わかってるわ」
そして彼女たちは、古文書室の片隅に辿り着いた。
そこに並ぶ厚い革表紙の本――
『第七魔王戦役記録』『聖剣史抄』『アルベルト英雄伝』……
ミィナは震える指で、ひとつの書を開いた。
――『魔王国:混沌と破壊の象徴。七つの異形種族を率い、人間の大陸を脅かした独裁国家。
生贄を捧げ、呪術で力を得る。王は狂気に支配され、最期には聖剣に討たれた』
「……全部、でたらめじゃない」
息を呑む。視界が滲む。
彼女が知っている“魔王”は、あんな残虐者ではなかった。
誇り高く、民を守るために命を賭けた、ひとりの“王”だった。
ページをめくる。
だがどこにも、ラディスの名はなかった。
ゼルダンも、ダリオも、誰も記されていない。
あたかも“魔王国には個人の魂などなかった”と言わんばかりに。
「書き換えたのよ……全部……!」
ミィナの指が震える。
「私たちが、ただの“悪”だったことにすれば――勇者は、永遠に英雄でいられるから……!」
そのとき、セドリックが鋭く反応した。
「誰か来る。逃げるぞ」
二人は本を閉じ、書架の裏手から非常通路を抜ける。
衛兵の影がすぐに追ってくる。
だが追跡を振り切り、夜の街へと消えた。
屋根裏の隠れ家に戻ったあと。
ミィナは、夜の灯の下で静かに言った。
「……私は、許せない。でも、殺し返したいわけじゃない。
ただ、“真実”を奪われたままでいるのが――悔しいの」
そして、彼女の中で何かが決まった。
“嘘の歴史”に、抗うために。
“滅んだ側”の声を、世界に知らしめるために。
火は、再び灯されようとしていた。