森を出る日
森は静かだった。風が草を撫で、鳥が囁き、遠くで獣が吠えていた。
けれど、その静寂は“平和”の証ではなかった。
それは、まるで何かが来るのを待っているかのような――不吉な沈黙。
ミィナ・クロスレインは、森の見張り塔の上で目を閉じていた。
炎に焼かれた夜から、ちょうど七年。彼女は今、十五歳になっていた。
かつての怯えた面影はもうない。
淡い銀の髪を短く刈り、黒衣の戦闘服に身を包んだその姿は、まるで“かつての魔王軍”を再現したかのようだった。
「――来たわ」
静かに目を開き、森の向こうを見据える。
土煙。
人の靴跡。
騎士たちの鎧の音。
“勇者王国”の偵察部隊が、ついにこの森に足を踏み入れたのだ。
塔を降りると、ミィナは一人の少年のもとへと向かった。
「セドリック。予定より早いわ。……迎撃は避けましょう。今は」
セドリック・ヴァルヘイム。かつて魔王に仕えた〈魔操種〉の孤児。
鋭い瞳を持つ剣士で、ミィナの右腕とも言える存在だ。
「それでいいのか?」
「まだ“始める”には早いわ。……でも、“出る”時よ」
彼女たちは知っていた。
森に永遠にはいられない。
いつか、“真実”を問い直す日が来ると。
――“なぜ我らは滅ぼされたのか?”
集会所に戻ったミィナは、老兵たちを前に言葉を発する。
「私は、外へ出ます。この森を出て、“世界に問う”わ」
どよめきが走る。
「討たれた魔王は、誰を殺した? 奪ったという“宝”は、どこにあった?」
少女の声は震えず、鋼のようだった。
「私たちは“怪物”だったのか? それとも“敵”にされたのか? ……それを、私はこの目で確かめたいのです」
老兵ゼルダンはゆっくりと立ち上がった。
「ミィナ。……それが、お前の“火”か?」
「はい。……私は、“赦したくない”。でも、“理解したい”とも思っている」
その答えに、誰も反論しなかった。
そして夜明け前――
ミィナとセドリックを含む三人の若き魔族が、静かに森を抜けた。
それは、“第二の物語”の始まりだった。
勇者のいない世界で、彼らは“魔”として生きる。
過去と対峙し、“正義”の名を問い直すために。
世界が信じてきた「英雄譚」の裏側に、声なき叫びがあったことを、誰もまだ知らない――