隠れ里《ネル=アーク》
森は、全てを隠してくれる。
炎に焼かれた国も、英雄に討たれた王も、何一つなかったかのように。
逃げ延びた者たちは、南方の“深緑結界”へと辿り着いていた。
大陸でも最も古く、魔王国が成立する以前から存在していた森――“アンスレアの禁林”。
そこに、魔族の古き血が護ってきた隠れ里《ネル=アーク》がある。
その存在は、魔王にすら告げられなかったという。
それは、いざという時の“最後の逃げ道”として守られてきた。
「……ラディス様が、戻らないままなんて」
か細い声で呟いたのは、あの赤い瞳の少女――ミィナ・クロスレイン。
まだ八歳の彼女は、父も母も王城で失った。だが泣くのをやめたのは、もう二日前のことだった。
焚き火の傍、彼女の隣に座るのは、角の折れた老魔族。
元・軍医のダリオ・グレイズ。彼は灰を見つめながら、静かに言った。
「ラディス様の決断を無駄にするな。……今、生きている者の責務は、未来を作ることだ」
「でも……どうすればいいの? みんな、怖いって言ってる。人間は“正義”で、わたしたちは“魔物”で……」
「そうだ。連中は、そう言う。だがな、ミィナ」
彼は、焚き火にくべた枝を指差す。
「あの火は、燃えるから悪いのか? あたたかさを与えるから良いのか?」
少女は小さく首を傾げた。
「意味を与えるのは、火ではなく、見る者だ。……“正義”も、同じことだよ」
その夜、里の集会所では、老兵たちが集まっていた。
「このまま育てるだけではいずれ追いつかれる。森の外に出る者が必要だ」
「スパイか? 潜伏か? どちらにせよ、命を落とす」
「だが、魔王国は滅んだ。いま、我らには“国”も“名”もない。ただの亡者に過ぎん。……ならば、選ばねばならん。“どう終わるか”ではなく、“何を残すか”を」
静かに語るのは、元将軍補佐・ゼルダン。
彼は手の甲に刻まれた〈魔紋〉を見つめながら言った。
「子らを鍛えねばなるまい。剣も、術も、言葉も。“虐げられた者が、抗う術”を」
「その先に何がある?」
「選ばせるのだ。戦うか、赦すか。復讐するか、誇りを守るか。……我らは、その土台を作る」
そして月日が流れた。
燃え尽きた魔王国の、最後の火種は。
やがて“ひとつの意志”を持ち始める。
――「勇者は、なぜ我らを滅ぼしたのか?」
その問いを胸に、少年少女たちは剣を取り、魔術を学び、言葉を交わしながら。
もう一度、世界と向き合う日を待っていた。
それは、やがて訪れる“復誓の章”の序曲である。