灰のなかに残る灯火
風が吹いた。炎は低く唸り、天へと煤を舞い上げる。
魔王城の中枢、かつて〈智の塔〉と呼ばれた石の書庫が、崩れながら静かに崩壊していく。
ラディスは瓦礫の中を進んだ。
黒鉄の肩鎧には、すでに幾筋もの裂け目が走っていた。左腕は動かない。だが右手には剣がある。まだ倒れるわけにはいかなかった。
彼は剣士ではない。元々は“魔王直属の魔導戦士”の一人であり、各地の外交を司る文官でもあった。けれど、今は違う。
生き残った者が、立つしかなかった。
隠し通路の封印を解除する。
骨のような枝が絡みついた扉が軋み、開かれた先には、子どもたちと数人の老兵が集まっていた。
皆、震えていた。だが目だけは、諦めていなかった。
「……準備を。今すぐ、南の地下道を抜ける。森の奥へ」
ラディスが告げると、老兵のひとりが口を開いた。
「……ラディス様は?」
「私は残る。追手を止める。……最後くらい、役目を果たさせてくれ」
その言葉に、小さな手が彼のマントを掴んだ。
「やだ……!」
震える声。角の小さな少女だった。魔族の子だ。青白い肌に赤い瞳、涙で濡れた頬に煤がついている。
「やだよ……! ラディス様まで、いなくなったら……みんな、本当に……!」
「……大丈夫だ」
彼はそっと、頭に手を置いた。
「生きて。真実を見届けてくれ。それが、私たちに代わる“反証”になる」
「……?」
「“魔は滅ぶべき悪”だと。あいつらはそう信じている。ならば、お前たちはそれを覆せ。生き延びて、証明するんだ。俺たちは、生きる価値があったと」
声が震えそうになるのを、奥歯で噛みしめて抑える。
剣を背に戻すと、ラディスは最後に笑った。
「俺は――道を作る。お前たちは、未来を歩け」
そして、彼は地上へ戻った。
魔王なき玉座の間に、聖剣を手にした勇者がいる。
「まだ残党か……魔王の犬め」
勇者は言う。剣が輝く。聖なる光に祝福されたそれは、魔族の肉体を拒む。
だが、ラディスは笑った。
「勘違いするな。“犬”ではない。“誓い”を継ぐ者だ」
彼は剣を抜き、走る。
燃える城で――最後の戦いが始まった。
そしてその夜、誰も知らぬ森の奥で、小さな集団が息を潜めた。
それは、滅びゆく魔王軍が残した“灰のなかの火”――
……否。
いつか再び燃え上がる、“希望”の種だった。