1-プロローグ・写ってはいけない
午前2時14分。
安堂真帆は、寝る前の習慣のようにスマートフォンを手に取り、画面に向けて自分の顔を映した。アプリ「BEAUTIES」が立ち上がると、鏡面のようなUIが即座に表示され、滑らかなフィルターが彼女の顔を包んだ。
「……今日も肌が死んでる」
ぼやく声は、誰にも届かない。
画面の中の自分は、ほんの少しだけ頬が高く、目がぱっちりと大きくなっている。ライトを当てなくても、瞳が艶めいていた。「BEAUTIES」の“自然加工”は、他のどんなアプリよりも「自分がこうありたいと思う姿」に近づけてくれる。
誰もが言っていた。「これは、最も美しい自分を映す鏡だ」と。
だがそのとき、不意に、画面の中の真帆が瞬きをしなかった。
違和感は、ほんの一瞬だった。
自分が瞬きをしたそのタイミングで、鏡の中の彼女は目を見開いたまま、じっとこちらを見ていた。
「……あれ?」
眉をひそめてスマホを傾けたが、もう元に戻っていた。
アプリのバグか、それとも疲れ目の錯覚か。
スマホを伏せた瞬間、真帆の耳に、ひとつかすかな息の音が届いた。
「…………」
自分のものではない。部屋には誰もいない。
それでも、彼女は直感的にわかってしまった。
——今、アプリの中に、自分ではない誰かが写っていた。
画面は、消えていた。