序章
恵子の子供の頃から高校、大学との道筋
序章
天辺 在 月
月 在 天辺
月は天辺にあるのか?月が天辺ではないのか?
おじいちゃんはビールで酔うと中国語でそう言っていた。
子供の頃は、日本語よりも中国語の方が実はよく理解していた私に誰も気づいてはいない。
おじいちゃんは12歳の時死んだ。
「恵子を大学に行かせろ。」
それが遺言だった。
酒と女を愛し、おばあちゃんを何度泣かせたかわからない。
最初の孫だった私は、おじいちゃんに一番愛された女だった。
「恵子がかわいいから、女のとこ行くのやめるわ。」
おばあちゃんは泣いて喜んだ。
私がおじいちゃんの家に行くときは必ずいた。
どんな用事も蹴飛ばしていたというのは後で知った。
現代の浪花の好色一代男、肝臓ガンによる肝不全で没。
ヒラドツツジが満開の五月十二日、享年六十四歳。
本人曰く「十歳まで生きられない」と子供の頃に言われた人物で、戦争中に赤痢にかかり、不治の病の時代の結核になるわ、重度の糖尿病でインシュリンを打つわ、早すぎたのか、遅すぎたのかわからない死。
毎朝木刀をふり、今で言う健康体操、乾布摩擦は怠らず、ランニングもし、ラジオ体操も欠かさず、お経をあげ、青汁よりすごい野菜ジュースを飲んでいたが、それでも散った。
いや、セブンスターと晩酌をやめればあと五年は何とかなったぞ、と今ではツッコミたい。
とにかくおじいちゃんが死んでしまって、私の人生は大きく狂ったことに間違いはない。
昭和と血族を引きずって生きている恵子に共感してもらえるような物語を書きたいです