第14話 前兆
迷いの森。
別名死の森とも呼ばれるこの森は非常に迷いやすく、毎年多数の死者が出る。
数メートル先すら見えなくなる程の濃霧。魔力や磁場は乱れ、魔法は使えず方位磁針は狂ってしまう。
さらにそこは多種多様な生命が存在し、もちろん魔物も多く生息する。そのため、一度迷ってしまえば脱出することは叶わないだろう。
そのまま自身の正確な位置や方角すら分からずに奥地へ行ってしまえば、強力な魔物に蹂躙されることになる。
しかしそれは自ら行ってしまったらの話だ。
普段なら奥地に生息する魔物は人里には現れない。
現れるはずはない。
「ハッ……ハッ……!!」
何だ何だ何なのだあれはッ!
どうしてこんなところにオーガがいるのだ!
それに、あんな黒いオーガ、見たことない!
必死に足を動かしあの魔物から逃げる。
共にいたはずの仲間はもう居ない。あの黒いオーガに食い殺されたからだ。
一瞬だった。バキッと木が折れたような音がしたと思ったら、タンクが脇腹を殴られ吹き飛んでいた。
口から血を吹き出し、ひと目で絶命したと分かった。
もちろん直ぐに動いた。だが全く歯が立たなかった。硬い皮膚に刃が通らず、為す術なく皆殺された。
俺は逃げた。
仲間が生きたまま食い殺され、助けを呼ぶ声を振り切って必死にその場から逃げ出した。
タンクすら一撃だったのだ。俺なんて骨すら残らない。俺はまだやりたいことが沢山ある。死ぬわけにはいかねぇ!
それに誰かが街に戻って、ギルドに伝えなければならない。
あいつを、あの黒いオーガの存在を!
「ハッ……ハァッ、ハァッ」
ここまで来れば大丈夫か?
まだ森の中だが、かなり走ったからもうすぐで抜けれるはずだ。
だがさすがに疲れた。体力がもうない。
一旦止まって息を整えてから……。
ゾワリと、背筋が凍るような感覚がする。全身から鳥肌が立つ感触を覚える。
本能的に理解する。
ここから逃げなくては、足を動かさねば!
「うっ、ぐッ!」
疲労が溜まっていたのだろう、一瞬動けなかった。
黒い大きな手が、片手で口元を鷲掴みにし骨ごと砕くように力を入れられる。
ミシミシと軋むような頭蓋骨の音がする。
そんな、嘘だ。やめろ! やめてくれ!
俺は、俺はまだ死にたく、まだ、死ぬわけにはいかっ
バキッと、一際大きな音が森の中で響く。
もがき苦しんでいた男はピタリと動きを止め、手足は力なくだらりとする。
興味を失われたのか、男は粗雑に放り投げられた。
死体に飢えた魔物が群がる。
黒いオーガはさして気にせず、森の中へ帰って行った。
◆◇◆
もはや習慣となってきたが、いつも通りに依頼が貼られたクエストボードを眺めていく。
特に変わり映えがしない。
せいぜいクラルス草の採取依頼が増えてきているくらいだ。
最近流行病が急増してきていて、クラルス草が不足気味らしい。
シエルもちょくちょく仲良くしてもらってる人から特効薬を頼まれている。今なら買取価格も高めだし採取依頼もアリだな。久しぶりに受けようか……。
まあいいか。地味にクラルス草探すの面倒くさいし討伐依頼受けたついでに採取しよう。
別に私は冒険者で生計を立てている訳では無いしやりたい依頼だけしてよう。
そうと決まれば早速依頼受けるぞー。
この前受けようとしたグリーンウルフの討伐依頼を手に取る。
前はクリードに話しかけられて止まったからな。短剣も何回か試し斬りはしたが、まだ本格的には使ってないから、ちょうどいい。
「……おっ、嬢ちゃん! 今から行くのか?」
ラミーネさんに受注の手続きをしてもらい、ちょうど行こうとしたタイミングでギルマスに話しかけられる。
「そうだが、何か用でも?」
「ん? ああいや、特に用がある訳じゃないんだが、一応あんた、要注意人物だからな」
「要注意人物?? 何故だ」
不服である。私は何もしてない!
「登録初日に二度の喧嘩沙汰、異常な身体能力、あと記憶喪失らしいが出身不明。今のところ害はなさそうだから何もしてないだけで、かなり怪しいからな?」
「……まぁ、認めよう」
私も同じ立場だったら注目はする。
ちなみに記憶喪失は異世界から来たなんて言う訳にはいかないから適当についた嘘だ。
これが何かと便利で、色んな質問にとりあえずで答えられる。
この世界は様々な髪色や目の色がいるが、私やシエルみたいな銀髪は珍しい。
私は特に紫の目が珍しいらしく、貴族に間違えられる。一般的な庶民は緑色や碧眼が多い。
冒険者登録する時にラミーネさんが困惑していたが、その時もどうやら私が依頼に来た貴族だと思っていたらしい。
レナトスでもよく落ちぶれた貴族の箱入り娘だと思われて舐められた態度を取られる。
「ハッハッ! 不満そうだな。受けた依頼は討伐か?」
「ああ。グリーンウルフの討伐だ。ついでにクラルス草も採取してくるつもりだ」
「それはありがたい! ウチでも薬は作っているが、まだまだ足りていないからな」
ギルドは冒険者が持ってきた薬草や魔物を加工ないしは解体をし、商人などに売って利益を出している。
流行病の特効薬も製造中だ。
「ああそうだ。グリーンウルフの討伐なら迷いの森方向へ向かうんだろ? 前のホブゴブリンの件からなんかきな臭くなってるから、気をつけろよ」
「きな臭いとは?」
「魔物の様子がおかしい。普段居ないはずの場所にいたり、単体で動く魔物が複数でいたりな」
「ふむ……警戒はしておこう」
ホブゴブリンの死体が無くなっていることにも関連していそうだ。
なにか強大な魔物がいる可能性がある。
グリーンウルフはそこら辺に結構いる魔物だし、ささっと終わらして早めに帰ろう。
……と思っていたが、ぜんっぜんいないぞ。
どうなってる? 普段なら嫌でも出くわすのに、今日に限って見つからないこととかあるか?
物欲センサーってやつ?
昼前に出て昼過ぎくらいに帰る予定だったのに、もうかれこれ三時間近く経っている。
今は開けた場所にいるが、さっきまで森の中まで探し回った。なのに音すらしない。いた痕跡は残ってるのに、姿だけ消えてるみたいだ。
仕方ない。今日は一旦切り上げて、また後日探そう。依頼は期限内であればいつでもいいからな。
ただレナトスの業務やシエルとの時間を失いたくないから基本的に残したくないのだが。
ちょうどよくクラルス草の群生地の近くだし、適当に何束か集めてから帰るか。
雑草に似てて見分けづらいが、私の脳内には植物図鑑をインプットしているから問題なし。特徴に合わせて的確に回収していく。
見た目は完全にただの雑草なんだが、ここから特効薬ができるのだから面白い。
「……ふむ」
バキバキと、木を押し倒すような音がする。相当な威圧感と、物理的な大きさをよく感じる。
地響きを鳴らし、現れたのは全長四メートルくらいの腰蓑を巻いた筋肉質の鬼、俗に言うオーガというやつだ。
だが書物の知識だと本来は赤っぽいはずなんだが、なんか黒い。
多分、こいつがギルマスの言っていた例の魔物だろう。オーガは一体でBマイナスの魔物、ウルフもゴブリンも碌に太刀打ちできない。森の魔物の異常行動を引き起こすのに十分な理由がある。
洞窟にいたホブゴブリンはこれから逃げてきた個体たちなのだろう。
向こうもこちらに気づいたのか、黄金色の目を向ける。丸太を棍棒のようにして持ち、敵意に満ちた様子だ。
さて、どうしたものか。