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0月0日

作者: 宵待 黒

12月31日、世間が年の瀬として初詣に向けて準備をしたり、お祝いをしたり、そばを食したりと色々と忙しない日。

私は、そんな時勢の逆を行くかのように何もしていなかった。

出かけることも、何かを見ているわけでも、何をしているわけではなかった。

正確に表現をするのならば、生命維持に必要な呼吸すらしていなかった。

いつも暮らしている部屋の中で一人静かに首につながれた縄によってぶら下がっていた。


限界だったのだ。仕事も、プライベートもそれに付随する人間関係すらも。

唯一とも言える救いであった近所にある見捨てられた教会と呼ばれる廃墟をすみかにしていた野良猫とのふれあいも、誰か分からないが人間の手によってその命を奪われていた。きっと苦しかっただろうな、そう思いながらせめてもの手向けとしてすぐそばに埋葬し手を合わせた。

そうして、すべてを手放すために自身の持っている「命」を手放した。


気がつくと、暗い部屋のベッドの上で目が覚めた。まどろみの中で数え切れないほどの疑問が頭に寄せては返す。

まさか失敗していたのか。またあの日々を生きていかなければいけないのか。


そんな絶望感に苛まれながらいつもの癖でスマホを手に取り時刻を確認する。

暗い部屋になれた私の目にはまぶしすぎるほどのディスプレイに映し出されていたのは

「0月0日 00時00分」という文字列だった。


「は?」

自然と声が漏れ出ていた。なんなんだこれは。スマホの故障を疑い、すぐそばにあったテレビのリモコンに手を伸ばしボタンを押した。

しかしいくらチャンネルを切り替えようとも、どの番組もやっていなかった。

ただ砂嵐のような画面が表示されるだけで何一つ情報を得ることが出来なかった。


頭の中に浮かんでいた微かな予想が現実味を帯びてきていた。ここはきっと死後の世界なのだろう。

そうか、死んだ人間は天国や地獄に行くものだと思っていたが、どうやらそんなことはないらしい。

少しでも状況を整理するために外に出てみることでより状況が分からなくなった。

そこには一面灰色の空と、青い色に輝く月が浮かんでいた。

全くもって理解できない目の前の光景に困惑しぼうっと突っ立っていると、ふと足下に生き物の温かさを感じた気がした。

そしてその温かさが離れたと思ったら、少し離れた場所から何かが聞こえた気がした。いや、何かなど分からないようなものではない。あれは、あの声は、あの何度も聞いた鳴き声は。いつも癒やしをくれていたあの猫の鳴き声だ。

そうか、もしここが死後の世界だというならきっとあの子も来ているのか。そう思った私は、いても立ってもいられず、寝間着のまま外に飛び出しその声の聞こえる方向に足を動かし始めた。どうせここには私の格好を見る人なんていないだろうし。


しばらく足を動かしていると、見慣れた道に行き着いていた。この道の先にある建物は、そう考えると自然と足がより早く動き出した。


少し息を切らしながらたどり着いたのは、見捨てられた教会と呼ばれていた場所だった。私があの子会っていたのもここだった。

乱れた息を落ち着かせるように深く呼吸をしながらその教会跡に足を踏み入れると、奥の方に人影が見えた。

この場所まで走ってくる間にも人間のようなものには出会うことはおろか見かけることすらなかった。

だからだろうか。少し寂しさを感じていたのか分からないが、私は自然と声をかけていた。


「あの、すみません。」

その声に気がついた彼はこちらを振り返った。

灰色の髪に青い瞳を持つ彼は、どこか寂しそうな笑顔を浮かべながら

「ここに来たんですね」そう呟いた。

私はなぜかその悲しそうにも聞こえる声を聴き、無性に彼に手を差し伸べたくなった。

しかし頭の片隅で、よく分からない現状で迂闊な行動をするべきではないという考えが働き伸ばしかけていた手を押さえつけた。


「あぁ、すみません。よく考えれば、誰だよおまえ。って感じですよね。」

そう言って人懐っこさを覚えるような口調でこちらに話しかけてきた彼からこの世界のいろいろな話を聞いた。

どうやらここは未練を持った魂が来る場所で、何か手放したくないようなものがある人が来るようだった。

「その、それが本当ならあなたにも未練があるの?」

そう聞いた途端にやらかしたと感じた。普通誰だって未練を抱えて死ぬなんて悔しいだろうし、そんな簡単に人に話すことではないよな、と思い直したのだ。

「すっ、すみません。」

しかし、彼には気を悪くしたような色は見えず、むしろ穏やかな表情で、

「…感謝を伝えたかったんです。ただ一言でもいいから、ありがとうって。」

その言葉を聞いた私はより後悔した。あんな表情を浮かべるほど、大切な人に思いを伝えられなかった事を考えると、胸が痛くなったからだ。

そうして顔をうつむかせていると、

「やっぱり優しいんですね。」

と、どこか嬉しそうに声をかけてくれた。

どこが優しいというのだろう。自分本位な好奇心で彼の心の大切な部分に土足に踏み入ってしまうような人間なのに。むしろ優しいのは私を気遣ってくれている彼の方だと思った。


すこしの沈黙が二人の間に残った。

そのとき、ふと頭をよぎったことがある。どうして私はこの世界に来たのだろう。

すべてを手放す事が出来たはずで、何一つ未練なんて無いはずだと考えていたはずなのに。

そんな風に思考にふけっていると、彼が小さく笑っているのに気がついた。

こちらが見ているのに気がついた彼は、「すみません、馬鹿にしているわけではないんですが、真面目そうに考え込んでいるのに、パジャマ姿なのがツボに入ってしまって。」そう言われてようやく、私は自分の今の格好を再認識した。

みるみるうちに顔が熱くなってきた。

そんな様子を見た彼は更に笑い出してしまった。

いつしか私たちは打ち解けはじめ、次第になんてことの無いような他愛もない話をした。

彼が好きな魚料理の話、私の今までの愚痴や、彼の好奇心が人一倍強かった話。

そして、私はいつもこの場所にいたあの子、あの小さく温かい猫の事を話した。

あの子について話しているうちに次第に、自分の未練に気がついた。いや気がついてしまった。私は最期にあの子に会いたかったのだと。あの子に感謝を伝えたかったのだと。

今となってはどうやってもかなえることが出来ない願いなら気がつかないままがよかったな、と自然と口から漏れ出ていた。

すると目の前にいた彼はとても悲しそうな顔をした。

そして、そんな悲しいこと言わないで、きっとその子もそんなに考えてくれていたことを嬉しく思ってるはずなんだから。

そのどこか実感のこもったような言葉に私は心の奥が温かくなったのを感じた。


それからも私たちはいつまでも話していた。

体感的には24時間、話通していたのではないかとすら思えた。

そのときどこからか大きな時計の鐘の音が聞こえてきた。

私が不思議に思っていると、彼が口を開いた。

「そろそろ時間だね。」

そう言って彼は私の手を取って歩き出した。

「どこに行くの?」そう尋ねた私に向かって彼は優しい笑顔を浮かべながら

「お別れだね。」と答えた。

見捨てられた教会の出入り口に向かって行く彼の後ろ姿からなぜか懐かしい匂いがした気がした。

何も答えになっていないその返答と彼の匂いが結びつきかけていた時、気がつくと目の前に迫っていた出口は明るい光に包まれているように向こう側が見えなくなっていた。

「きっとここのことはあまり覚えていられないと思う。短い夢だったと思って忘れて、今度こそ最期まで生きて。」そう言って彼は私の背中を優しく押してくれた。

「あなたは、いや君は…」

口まで出かかっていた灰色の毛と、青いきれいな瞳を持った小さな猫への感謝の言葉を言い終える前に私の意識は闇の中に消えていった。

「ありがとう」どこかからそんな声が聞こえた気がした。



私は強い衝撃によって目を覚ました。

どうやら全体重がかかっていたひもが切れてしまったようだった。

そんなに太ってないけどな。いささか不満げな気持ちを抱きながら切れたひもをよく見てみると、ほつれているひもの周りには爪の跡や小さな生き物が噛みついたような跡がついていた。

それを見たとき頬を温かい涙が伝った。ふと、温かい何かがそばで涙の跡をなめてくれたように感じた。

時計は1月1日を告げた。



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