アダソン兄弟の父親の生き立ち編
ここでの登場人物(アダソン兄弟から見ての祖父母)
アダソン兄弟は生まれてから祖父母の生前の顔を一度も見たことがありません。
どアダソン兄弟のおじいちゃんに当たる人は大統領を8年連続で務め親日家だったアダソン家の第12代目家主ジェイコブマン・アダソンでした。
一方、アダソン兄弟から見ておばあちゃんに当たるアンジェリア・アダソンは、ジェイコブマン・アダソンが大統領の2期目を目指す際に、2期目を目指すことに意見が食い違ってしまい離婚してしまっています。
つまり、アダソン兄弟の父親は途中で1人親になってしまいました。すでにこの時点で13代目の家主継承順位1位になっていました。
アダソン兄弟の両親が亡くなる約35〜36年ほど前に遡ります。
この頃のジェイコブマン・アダソンアダソンは、8年間の大統領の任期が終わってから5年ほどが経っていました。
ジェイコブマン・アダソンが大統領を務めていた頃は、父親もホワイトハウスで過ごしていました。
アダソン兄弟の父親は、当時20代前半でまだこの頃はあの黒縁メガネではなく、また違うメガネをかけていました。そしてフィラデルフィア国際大学で法学部と経営学部を学び優秀な成績を収めていました。そして、その成績がフィラデルフィア国際大学の海外留学担当の先生に認められ、約3年半ロンドンのオックスフォード大学への留学が決まりました。
しかし、留学が決まったと同時に父親にとって最愛の1人親だったジェイコブマン・アダソンアダソンが、5年ほど前まで務めていた大統領の公務で頑張りすぎたこともあって任期終了してから4年後あたりからその疲れで体調が悪くなってしまって70代半ばで急死してしまいます。
父親もその時はアダソン家の病院に駆けつけ、ジェイコブマン・アダソンアダソンが父親に残した最後の言葉が次の内容でした。
「アレックス、大統領時代一緒に日本に来日したが付いてきてくれて本当にありがとう。また、アレックスが結婚して私の孫が見たかった。次は、アレックスの番だ。イギリスの留学で多くのことを学んできてくれ。今までありがとう・・・。」
という言葉でした。
そして、ジェイコブマン・アダソンも同様にアメリカの国葬として行われます。父親はジェイコブマン・アダソンアダソンの死を惜しみながらも土葬前の家宝引き継ぎ式で『善』の3種の神器を受け取り20代前半という若さで父親が13代目の家主になりました。
国葬が終わり、ロンドンへ留学しましたが留学中やはりジェイコブマン・アダソンも亡くなってしまい1人ぼっちになってしまった影響やこの頃白まだ家主の実感も湧かないことももあって留学先のロンドンでバイトもしながらオックスフォードでの留学でも最初の頃は人間関係もうまくいかず落ち込んでしまいました。
そして、生まれ故郷のフィラデルフィアに帰りたいと途中でホームシックになってしまいました。
しかし、留学から1年ほど転機が訪れます。
父親は休日の朝はいつも、ロンドン市内を散歩していましたがバッキンガム宮殿の前の庭(https://zkg10.com/posts/9be23d92)を通っているととても綺麗なものを目にしました。そこにはオレンジデュカットという薔薇で埋め尽くされていました。
それを見た瞬間父親は、元気をもらいその後人柄が変わり留学の人間関係もうまくいくようになりました。
また、父親はあまり目立ちたがり屋ではなかったのですが、オレンジデュカットという薔薇との出会いがきっかけで美意識高めるようになったきっかけにもなりました。つまり、この頃から人柄だけではなく少しずつではありますが男性化粧したりオシャレしたりして美形男子をめざすようになりました。
それ以降オレンジデュカットを入手して、お守りとし留学中に滞在していたロンドンの別荘(アメリカンギャングボーイになる場所)に飾るようになりました。
マックが麻薬廃墟倉庫で麻薬開発とアメリカンギャングボーイを創立させる伏線にもなっていますが、マックに場合は悪の方向へロンドンの別荘でそのようにしてしまうため、悲しいかもしれません。
上記が、アダソン兄弟の父親のオレンジデュカットという薔薇が好きになったエピソードになります。
アダソン兄弟の両親は、大学も同じで年齢も同年だったにも関わらずFBIに就職してから出会った理由が、父親が大学と大学院生活のほとんどが留学していたために、大学時代にアダソン兄弟の母親と出会う機会が1度もありませんでした
父親が、生まれたのがジェイコブマン・アダソンアダソンが50代の時で遅めに生まれたことがわかります。
アンジェリア・アダソンと結婚はしたものの、なかなかすぐには生まれなかったという設定があります。
ジェイコブマン・アダソンは、孫であるアダソン兄弟が生まれるまで生きていたかったという強い望みがありましたが、それは叶いませんでした。
アダソン兄弟の父親の幼い頃の夢は、意外にも野球選手でした。