第四話 領主の側近
投稿が遅くなって申し訳ありません。
新暦528年火の月59日
カルド村で錬金術を学び始めてから2年が経った。8歳になったメルクは身長も少し伸び、筋肉も程よく付き始めている。錬金術の修業はルイズのスパルタ指導の甲斐もあって、錬金術発動5要素の内、合成・構築・強化の3つをマスターしていた。魔法の勉強に少し躓いたが、錬金術を学び出してからの成長速度は凄まじく、ルイズから「あたしの知る中では群を抜いて速い」と言われたほどだ。今は分離の要素を学んでいる最中だ。
「さてメルク。簡単な分離はほぼ完璧になってきたが、複雑な分離や複数同時の分離には荒さがある。今日はその辺を重点的にやるよ。この特製泥水に溶けてる成分を全て分離してみな。」
そう言うとルイズは机の上にドス黒い液体の入った器を乗せた。心なしか粘度があり異臭も漂っている。メルクの顔は否応無く歪む。
「ば、ばぁちゃん……何混ぜたらこんな不気味な水が出来るのさ……。」
「それを突き止めろって言ってんだろバカタレ!色々混ぜてあんだよ。四の五の言ってないでさっさと始めな!」
ルイズに急かされると、メルクは器に向かって両手を翳し、魔力を込める。すると手から文字やら図形やらが伸び始め、円状の魔法陣が完成した。
「ふむ。錬成陣の描画にかかる時間は随分と速くなったねぇ。だが荒いね……ほらここ!陣の縁に歪みが出てるし形も楕円形だ!魔力を均一に掛けられていない証拠だよ!魔力の乱れは分離の精度に関わるって何度も言っただろう!それにお前なら描画速度もまだ詰められるよ!精進しな!」
ルイズは成長した所は素直に褒めてくれるが、褒めた以上にダメ出しが多い。些か厳し過ぎる指導だが、こと錬金術に於いては手を抜くつもりは無いようだ。
「分かってるよー!でも今はこれが精一杯なんだって!最初からばぁちゃんの様には出来ないよ!」
メルクの語気がやや強くなる。すると、手元の陣が微かに揺らぐ。
「ほら!取り乱すんじゃ無いよ!陣が揺らぎ始めた!集中して平静を保ちな!」
「積極的に集中力を削ぎに来てるのはばぁちゃんだろー!ばぁちゃんが静かにしてれば僕だってもっとしっかり描画出来るんだぞ!」
「ほんとに口の減らない奴だね!全く集中できる環境じゃ無い所で失敗しても、そうやって言い訳するのかい!?」
バックヤードの喧騒はジルの居る店舗スペースにまで響いていた。
「ははは……お師匠は相変わらずですねぇ。」
ジルが2人の口論を聞きながら苦笑いを浮かべていると、店の入り口が開き、ドアベルがチリンとなった。
「よぉジル!おーおー!今日もやってるねぇ!何言ってるかは分らねぇが、喚き声が外まで聴こえてきたぞ!錬成術師の修行ってのは皆んなああなのか?」
店の入り口には赤茶色の髪を短く整え、無精髭を蓄えた中年男が立っていた。体格も良く、服の上からでも筋肉の隆起が分かる程だ。ジルはすぐ音風でルイズに客入りだと伝えた。錬金術を学ぶ事は禁忌であるが故に、村人に2人は錬成術師の修行をしていると周知してある。
「いらっしゃいませ。ラルグさん何かご入用ですか?野良猫捕獲用の罠でしたらまだ余ってますよ……おや?今日はライツ村長とお呼びした方がいいですかね?」
ジルは気さくに来店の挨拶をするが、ラルグの後ろに誰かが控えているのを見てやや声色を引き締める。
「別にラルグで構わねぇさ。ライツ村長なんて呼ばれるのはむず痒くてしょうがねぇや。あー、今日は泥棒猫の捕獲の件じゃ無くてな。用があるのはこちらさんなんだが……」
ラルグが少し身体を横に移動させると、長めの黒髪を後ろで纏め、上等な衣服に身を包んだ男が現れた。細身だが、しっかりとした体格の男だ。ラルグより10歳ほど若そうに見える。男は一歩前に出て一礼すると自己紹介を始めた。
「お初にお目にかかります。錬成術師カースティン殿。私の名はトニル・アバルディ。ザース・フォン・リクトルーゼ伯爵の補佐官をしている者です。本日はラルグ・ライツ殿の御紹介で、カースティン殿にお頼みしたい件があり推参いたしました。」
リクトルーゼ領は、ここカルド村も属する領地で、王領の南方に位置している。領地を納めているのはザース・フォン・リクトルーゼ伯爵。領民想いで義理堅い事でも知られている。錬金術師の同居人も居るだけに、ジルは内心気が気でなかった。
「リクトルーゼ伯爵様の……。申し遅れました。私、錬成術店『星の家』の店主をしています。ジル・カースティンと申します。気軽にジルとお呼びください。以後、お見知り置きを頂ければ幸いです。」
トニルに引けを取らない綺麗な所作でジルは礼を返す。
「領都トルニドからでしたら馬車で3日の道程。さぞお疲れでしょう。そちらの商談席にお掛けください。すぐに疲労回復効果のあるお茶をお持ちします。」
「お心遣い痛み入ります。」
ジルは店の一角に設けてある商談スペースにトニルとラルグを案内した後、お茶の準備をすると言ってバックヤードに入っていった。
「ルイズ様、坊ちゃん。今しがたリクトルーゼ伯爵の側近の方が見えられました。何やら頼み事があるのだとか……。くれぐれも大声で錬金術の話は控える様にお願いします。」
ルイズは一瞬眉を顰めるが、すぐに承知したと返事をする。
疲労回復茶を淹れて商談スペースに戻ると、客人2名の視線がジルに集まった。
「なんだ?俺の分まで淹れてくれたのか?悪いじゃねぇか。」
「ラルグさん。お茶は1人分だけ淹れるというのは難しいんですよ。ですからお気になさらないでくださいい。」
ジルはニコッと笑って2人の前にお茶を運び、最後に自分の分のお茶を置く。そして椅子に腰掛けると訪問の意図を尋ねた。
「それでトニル様。私に頼みたい事がおありだと言う事ですが……どの様なお話でしょうか。」
トニルは出されたお茶を一口飲んでから話を始めた。
「おぉ、これは中々に上等なお茶ですね。一口飲んだだけで身体が楽になった気がします。ジル殿は相当腕の良い錬成術師とお見受けしました。」
ありがとうございますとジルは頭を下げる。トニルはもう一口お茶を啜り、話を続けた。
「単刀直入に申し上げますと、ジル殿にポーションの作製を依頼したいのです。」
あまりに普通の商談だったので、ジルは少し拍子抜けするが、表情は崩さずに対応する。
「ポーションの作製ですか。今は何の予約も受けていないので構いませんが、具体的にはどの様なポーションを御所望でしょうか。種類によって個数や納期が変わりますので。」
「これは失礼致しました。そうですね……中等級以上の体力回復ポーションを……明日からだいたい60日以内に出来るだけ多く用意していただきたいのですが、どの程度作製可能ですか?」
ざっくりとした依頼だなと思いつつ、顎に手を当ててジルは少し考える。
(素材の在庫からすると、中等級の体力回復ポーションなら1日20本……休日も入れれば……)
「中等級ポーションでしたら、60日で約1000本は作製出来ますよ。高等級ポーションだと素材の都合で10……いや、15本は作れるかと思います。お値段は中等級が一本銀貨5枚。高等級は一本大銀貨1枚と銀貨5枚になります。」
「それは素晴らしい。では、全て中等級でお願い致します。もしも1,000本以上出来れば追加分の料金もお支払いします。」
そう言うと、トニルは懐から大金貨5枚を取り出して机の上のトレイに並べた。
「なっ!だ、大金貨なんて持ち歩いてんのかよ!流石は伯爵様の側近だな……。」
並べられた大金貨を見てラルグは戸惑いの表情を見せる。通常、大金貨は大口契約の商談の席や高難度クエストの報奨金ぐらいにしか使わないので、一般的な生活を送っていれば、まず見る事はない。
「普段から持ち歩く事はありませんよ。大金貨は使いどころを選びますし、大銀貨の方が使いやすいですからね。」
即決の商談に少し驚きを見せつつ、ジルは置かれた大金貨を確認する。
「大金貨5枚。確かに。では、ポーション作製依頼の契約書を作成致しましょう。」
ジルは机の脇にある棚から魔方陣の描かれた契約書を取り出し、今回の商談の内容をサラサラと書き入れる。全て書き終わると契約書をトニルに差し出した。
「トニル様。ご確認をお願い致します。」
コクリと頷くと、トニルは契約書に目を通し、一通り確認するとジルを見て再び頷く。「では」と、ジルは片方の魔法陣に手を置く。トニルも反対側の魔法陣に手を置いた。すると契約書が淡く光だし、まるで溶けるように消えてしまった。
「これで契約成立です。ポーションはお受け取りに来られますか?こちらから発送も可能ですが。」
「こちらでの受け取りでお願いします。」
「かしこまりました。」
お茶を啜りながら2人の商談を見ていたラルグが区切りが良いと見たのか話に加わって来た。
「なぁ、ジル。俺は商談についてはからっきしなんだが、錬成術師ってのはそんな大金を稼ぎ出せるのか?冒険者よりよっぽど羽振りがいいじゃねぇか。」
「ラルグさん。こんな依頼がぽんぽん舞い込んで来るわけ無いでしょう?有るとすれば、王都や領都で軍と契約しているお抱えの錬成術師くらいですよ。」
ジルは視線をトニルに移して尋ねる。
「トルニドには私より能力の高い錬成術師も居た筈ですが、一体何故こんな小さな店に大口の依頼をされたんです?」
トニルはティーカップを机に置くと、少し沈黙してから答える。
「ジル殿は先日、トルニド周辺で魔物狩りがあった事はご存知ですか?」
魔物狩りとは、強力な魔物や厄介な魔物を領主の命で討伐する事だ。
「えぇ。存じております。」
「魔物は無事討伐できたのですが、今回は特に魔物の数が多く領軍にもかなりの被害が出ました。当然、備蓄していた各種ポーションも目減りした訳です。領軍と契約している錬成術師には既に別のポーションを依頼してありますが、量が量だけに契約している錬成術師だけでは作製に時間を要してしまいます。近頃は各地で魔物の活動が活発でしてね。早急に備蓄を整える為に各地の有力者に優秀な錬成術師を紹介してもらっているのです。」
ジルは、なるほどと相槌を打つ。
「俺の知る中で、ジルは5本の指に入る錬成術師だからな。即決で紹介したぜ。」
ラルグは何やら誇らしげに腕組みをしている。
「ところでジル殿。一つ尋ねたい事があるのです。実はとある薬を探していましてね。優秀な錬成術師のジル殿であれば何か情報をお持ちではないかと。」
「薬ですか?ポーションでは無く?」
ジルが小首を傾げて聞き返す。
「えぇ。薬の名は『星の雫』と言います。ご存知無いですか?」
やや声色を変えたトニルから薬の名前を聞くと、ポーカーフェイスだったジルの表情が驚愕の表情に変わる。
「その後様子だと……ご存知なのですね?」
「いえ……私は……何も。」
歯切れの悪い返答しか出来ないジルを見るトニルの眼光は鋭さを増す。しばしの沈黙の後、トニルが何か言おうと口を開いた瞬間、バックヤードからメルクとルイズの大声が響いてきた。
「うおおお!出来たー!!!」
「バカタレ!大声を出すんじゃ無いよ!ジルからお客様がいらしてるって聞いてただろ!?」
不穏な空気を吹き飛ばす喧騒に、トニルは表情を緩めて溜息を吐いた。
「これはこれは。錬成術師の師弟が同居されていると聞いていましたが、元気の良い方々だ。……だいぶ長居してしまいましたね。私は次の訪問地に向かわねばなりませんので、そろそろお暇させて頂きます。ではジル殿。ポーションの件よろしくお願いします。薬については日を改めて。」
そう言って一礼するとトニルは店を後にした。ラルグは何が何やらと思いつつも、何かすまねぇなとジルに言葉をかけ、トニルを追うように出ていった。トニル達が帰った後もジルの表情は険しいままで、冷や汗が頬を伝っていた。
やっと錬金術が出てきましたね。
数ある小説の中から『Alchemy Record』をお読み頂いた方には感謝しかありませんが、ご感想を頂ければ創作意欲も高まりますので、是非お待ちしております。