1-4.ワイバーン
上空100メートルだろうか、それは飛んでいた。
青空を覆いつくす黒い鋼――それは巨大な航空機を連想させ、まるで1つの集合体だ。しかし、違う。あれは1つ1つが別の意思を持った生物である。
「…………」
数はいくつか――目視で確認はできないが、ざっと100はこえる。
ケンイチは、空に浮かぶワイバーンの群れを後にし、とりあえずリーベを探した。彼女の傍に居れば大丈夫だ、と思っているから。
「住民の皆さんは、こちらへ!」
冒険者協会の役員たちが住民の避難を開始させた。その中には、ローナの姿も見える。
戦えず、冒険者としての資格が無い人たちで大混乱を巻き起こし、怒声が飛び交う。
しかし、だからと言って喧嘩は起きていない。女、子供、高齢者を押しのけるなんてことはせず、手を貸し合っていた。
ときどきそういう人を目にするが、そういう人たちはこの王都ルティーナの住民ではないのだろう。恰好に華が無く、みすぼらしい。
「教育が行き届いてんのかなぁ」
マナーの良さに驚いた。
住民の案内をしていたローナと目が合うと、彼女は走ってきた。
たゆんたゆんに体を揺らし、ザ・女走りをしながら彼女はやってくる。
「け、ケンイチさん……」
日頃運動していないのだろう、息をぜーぜー吐き、顔は汗だらけだ。
「冒険者として登録しますので、戦っても構いません。その場合、報酬金もお出しします」
「まじ?」
「えぇただし1人1匹は討伐をしなければなりませんが」
「やります!」
ケンイチは勢いよく言った。
「それは良かったです……。ちなみに魔法は何を?」
「防御魔法ってやつです」
目をぱちくりさせる。
「えっとーランクは?」
「超最弱と言われてました」
「………」
ローナは言葉を失い、心配そうな面持ちになる。
「私たちと一緒に住民の案内をしませんか? 報酬金は出ませんが、死ぬことはないですよ」
「えっ」
死ぬ……?
どうやら確定事項らしい。
うそだろ。
「…………」
ケンイチは悩まなかった。というか、悩めなかった。リーベを探したいし、それに魔法なのだ。絶対にどうにかできる、という安心感がある。
「いや、俺戦います。やらせてください」
「でも……」
と言ったが、ローナは口を閉じた。
代わりにたったひと言、
「絶対に死なないでください」
と口にし、元の仕事へと戻っていく。
「あぁ俺死ぬんだなぁ」
まわりの扱いからして、戦力外なのは間違い無し。それでも、やりたい。死ぬかもしれないが、冒険者と言う職業を堪能したかった。
思えば、この世界に来る前も、トラックに轢かれて死んだのだ。今更、死ぬことにどうということはない——怖いけど。死ぬほど嫌だけど。
「………」
ワイバーンが逃げる住民たちを見つけたのか、一気に急降下し、火球を口から放った。
火球は一直線に飛び、住宅にぶつかった瞬間、ボン! と体を響かせる音と共に橙色の炎を打ち上げた。
逃げる住民たちは、暴走状態となる。冒険者協会員たちの誘導を無視して、自分たちの考えで避難を開始した。
「押さないでください!」
ローナがそう叫ぶが、誰も聞く耳を持たない。
この状況を早くどうにかしないと――ケンイチは、逃げる住民たちとは反対方向へと走る。理由は、武装した人たちがそっちの方向へと向かっていたからだ。
少し走ると、噴水と高い塔が見えた。
噴水は花冠を頭に付け、体に布を巻いたまさに女神の像が手に持っている盃から水を流していた。
塔はそこから少し離れた位置――リーダー的存在の人間が立っているステージの後方にある。塔はレンガ造りで、高さは10メートル。てっぺんには鐘と紫色の屋根があり、まるでこの王都の観光スポットのようだ。
「…………」
ケンイチは野球で鍛えた脚力と体力によってそれほど疲れなかった。辺りを観察しつつリーベを探す。
ケンイチが来た道のほかに3本の道があるみたいだ。噴水を中心に十字の道から続々と人がやってきている。
集まった人たちは面構えが明らかに違う。覚悟を決め、これから戦うのだと意思がハッキリと見える。
「ここに集まってもらったのは、他でもない。ワイバーンの討伐だ」
ステージにいるスキンヘッドの男が演説を開始する。
体格はよく、全身鉄の塊で覆われ、あごには髭を生やしていた。目つきは三白眼のように鋭く、睨まれでもしたらあまりにもの恐怖に泣く子も黙るだろう。
「冒険者協会からも依頼書が発行された。報酬金は1人7000ルッツ。5匹目以降は、1匹ごとに200ルーツ加算される」
高いのだろう、男女問わず歓声をあげた。
「ただし今回の依頼内容は、本部からの援軍がくるまで持ちこたえる事だ。目先の利益にとらわれず、生きてここを脱しろ! いけ!!」
スキンヘッドの男の言葉と共に冒険者たちは、走った。
一気に姿が消え、あっという間にいなくなる。
「はやすぎ……」
それからと言うのも、空を飛ぶワイバーンに向けて光の弾が一直線に飛ぶ。
当たったワイバーンは黒煙を巻き上げ、地面へと落ちる。
気付いた他のワイバーンが地面に向けて、火球を放ち、爆発した。
まさに地獄絵図だ。
「負傷した! 衛生兵を!」
「こっちにもお願い!」
爆発音。
悲鳴。
怒声。
巻きあがる砂ぼこりに黒煙は空へと舞い、橙色の炎が地面に渦巻く。
「……どうすればいいんだ」
勢いよく飛び出たのは良いが、行動したのは良いが、この状況を打破することができない。
打破するための魔法が無い。
しいて言えば、防御魔法だが、果たしてあの空に浮かぶワイバーンたちに届くのか――それでも何もしないまま人が死んでいくのは、見ていられない。
そんなとき
「…………?」
無言で瓦礫を押しのけようとする少女の姿が目に入る。
耳元まで伸びた栗色の髪。年齢は10歳半ばと言ったところだろう。首から下を覆った丈の長いピンクの服は、少女に安らぎをもたらせてくれたが、しかし、素足となった両足を見てただ事ではないと思わせる。
そんな少女が必死に瓦礫を押していた。目じりに涙を浮かばせ、鼻から鼻水を垂らして、必死に動かしていた。
誰かに手伝ってもらうことを考えたが、しかし、それだとかえって戦力が減る。ならば、と瞬間的に考えたケンイチは、咄嗟に行動を起こした。
「大丈夫か?」
少女の元まで走り、スピードを落とす。
見ると、長い茶髪の女性が落下した家の壁の下敷きとなっていた。
「今助けますから!」
壁を持ち上げようと力を込めるが、びくともしない。
顔を赤くし、全身全霊で持てる力全て使っても全く動かない。
一度力を緩め、もう一度トライしてみるも状況は全く変わっていなかった。
「クソッ。なんでだよ」
助けたいのに、自分の無力さが思い知らされる。悔しい。ただただ何もできない自分が悔しい。
やはり、自分の力には限界があるのか――そう思っていた時
「ケンイチ。手伝うわ」
見ると、リーベが居た。
「リーベ!」
あまりにも嬉しくて、泣きそうになった。
「協会に探しに行ったんだけど、いなかったから心配したわ」
そう言って、瓦礫を掴む。
「一緒に力を込めましょう。せーの!」
2人の力が同時に入る。
1人でやったときよりも幾分か楽になり、少しだけ動いた。だが、それは数センチ程度で彼女を逃がすための空間も、場所も出来上がらない。
「私のことは良いです。この子をお願いします」
涙ながらに女性が訴える。
少女は首を振り、女性の手を掴んだ。
「私のことはいいから、本当に」
女性の言葉を少女はずっと拒否し続ける。ただ言葉は発さない。いや、喋れないのだろう。
助けを呼ばない理由が分かった。
「ダメね、動かないわ」
リーベは難しい顔をして、膝を折った。
「この子は、必ず助けます。だから——」
突然、真後ろが爆発し彼女の体が宙を浮く。
プカプカとまるで風船のように。
「リーベ!」
瞬間、彼女は爆風の勢いでそのまま家の中に叩きこまれる。壁を破壊し、家具を貫き、重苦しい音と共に床を跳ねながら、奥へと吹っ飛ぶ。
ケンイチは幸い、その爆風には巻き込まれなかったが、体が絶えず尻もちをついていた。
「…………」
どうする。どうする。どうする。どうする――空へと目を向けた。
「………」
そこいた。
体調は6メートル。黒い鱗はまるで鉄のようだ。顔はほぼドラゴン。前足と翼は一体化しており、長く伸びた指の間に膜を広げているのだろう。コウモリに構造上もっとも近い。
足の指の数は全部で4つ。3本の足趾を前に出し、最後の1本は人間でいう所の踵部分に生えていた。
これがワイバーンか――翼竜は、口を開き何かを待っていた。よく見ると、それは白い煙を上げ、口内に黒い塊――汚物のようなものが顔を出している。
瞬間、その塊に火が付き、おおきな火の玉となったその刹那、ワイバーンは吐いた。
まるで息を吹きかけるかのように、簡単な動作で口から飛ばしたのだ。
一直線に放たれた火球が女性、少女、ケンイチに向けられていた。
悩んでいる暇はない、女性と少女を守るために勢いのまま前に出るケンイチ。
何か出ろ――たったその思いのまま手を前に突き出し、目を強くつぶった。
火球が近づいてくる。パチパチと音を立てた熱の塊は、触れでもしたらケガどころではない。
――ヤバい、どうする?
気持ち一つで出てしまっていたから、作戦を考えられていない。やりたいことがまだあったのに――死を確信したが、一向に死が訪れない。
恐る恐る目を開け、見た。
そこにはオレンジ色の板が火球を受け止めていたのだ。