その後
彼女がサフィア家に恩を売った理由。
彼を、匿う場所を作るため。
当主は彼女の差し金で自分たちの立場は頑強になったと理解している。公然と言えないようなことでもどうにかやってくれるだろう。
彼の研究資料とまだ彼に教えていない魔法の詰まった本たち。そして彼を携えて、彼女は当主のもとへ行った。
「ああ、君が彼女の弟子か。」
興味深そうに彼を観察する当主の視線を嫌がって少年は少女の後ろに隠れる。それを無常に引っ張り出して頭を下げさせる少女。
「これから、この少年、名前は……?」
「え、師匠忘れたの?」
「聞いてない。」
「しょうがないなー。俺の名前は、シディアン。」
師弟のやり取りを微笑ましそうに眺めていた当主はふと顔を正す。少女の周りに銀粉が漂い、その表情は硬い。少年も口をつぐみ、その場の雰囲気が静まった。
「また、次の任務を任されるようだ。」
少女の諦めたような口ぶりは少年を苛立たせた。理不尽な怒りだということも、このいかにも自由そうな少女が、自分のためだけにここに留まってくれるようなことはないと分かっていた。ただ、その大人びた少年にしては珍しく行き場も理由もない怒りであり、それをうまく逃がすようなことに彼は慣れていなかった。
大人(?)二人の話が始まっているのに割り込み、少女の手を強く握る。その手は滑らかで冷たかった。
「………次に会うのはいつ?」
「会うのは確定なのか。」
「勿論。」
「そうだなー。この仕事が終わったらついでに帝国付近も掃除してくるから数十年はかかると思うけど。」
「確約するのはまた、生きているうちに会うことだけでいいから。」
「しよう。約束だ。」
その自由な微笑みが少し憎らしい。そう思いながらも彼女の手をそっと撫でてから放す。
そして少年はずっと、サフィア家の当主と話し込む少女を見つめた。その姿を眼に焼き付けるために。
話が終わると少女は魔法ですっと消えた。きっと今任された仕事をしに行っているのだろう。
「さあこちらへ。君専用の建物へ案内しよう。この建物に入った後、あの方が戻るまで何があっても出てきてはいけない。たとえ、何かが侵入したとしても、火の気があったとしても。」
「そんなものを恐れはしない。彼女を、ずっとここで待つ。」
当主の念押しを軽く流し、そっと決意を述べる。他人に宣言すれば、しばらくの間、数十年くらいはこの気持ちは揺らがないだろうと思ったから。
婚約したサフィア家の長女と王太子が国王として即位し、第一子がお生まれになったころ。
サフィア家でも一人の男児が生まれていた。名をタンザイトという。その持って生まれた魔力も魔法も質の高いもので、その気配に反応して集まった研究者たちが子を産んだばかりの母親の横で赤子をいじっていた。
そして、勿論少女もその屋敷に降り立ち、その力の根源がじじいたちにいじられている様をじっと見つめていた。
その背後から彼女を包み込む影。その髪は漆黒で、三十路を過ぎても若々しいその容姿は数多の女性を虜にする。でも、彼は、少年ではもうなくなった少年は、少女に囚われているから。
「師匠遅いって。……忘れてたよね、約束。」
「そんなことはない。ただ、厄介な新興国の相手をしていて遅れただけだ。」
「じゃあ、どうして俺の目を見ないの。どうしてあの赤ん坊ばかり熱心に見つめるの。」
彼から距離を取るように後ずさる彼女をすっぽりとその両腕で包む、いつか彼女がしてくれたように。手に籠る力は比にならないほどだが。
「約束を、果たしてね。俺は一生貴方に囚われたままなんだ。そんなの不公平で、少しくらい、ご褒美をくれたっていいじゃないかよ。」