リゲル国──3
その声は、女性の声だった。
今までの人生で、見たことがないような人。
贔屓目に見ても悪目立ちしかしていない、赤が基調の、黄の入り混じった長髪。すべてに敵対するかのような鋭く大きな目に、左手の指には、これでもかと派手な指輪をしている。これも派手な、長い足を誇示するかのようなぴっちりとした赤色のスーツに、足にはヒール。赤と黒が散乱してあるコートを羽織っていて、その奥にはこれまた見たこともないような赤い服装で、上半身を隠している──そしてなにより、僕から見れば巨人にも見えかねないほどの身長。
誰だ、この人?
「あなたは……」
エリザベスさんが、そんな、僕の後ろの扉から堂々と入ってきた女性を睨む。
なんだ?誰なんだ、この人は。
「──よお。右大臣様よ」
と。
女性が喋り始めるのと同時に、空気が引き締まるのを感じた。今までトール王の発していた温和な空気ではない、弱肉強食の自然界のような空気。
誰もが、この女性に目を奪われている。
「そんで、元気かぁ?こんな狭っ苦しいところで仕事してると寿命が縮むぜ、国王様よぉ」
続けて、謎の女はトール王にも話しかけた。国王にも同じ調子のその言葉遣いは、まるで子供のようだった。見た目とのミスマッチ感が半端ではない。
本当に、誰なんだ?
「……ふぉふぉ、お主に心配されるほど耄碌しておるように見えるかの?」トール王は少し笑って、そう答えた。「それは心外じゃな」
「国王なんてのは座ってりゃいいんだから楽で良いよなぁ。飯の方から運ばれて来るんだろ? そりゃあ、体も頭も思考も腐っちまうだろうよ」
「お主に言われとうないがのぉ」
な──んなんだ、これは。国王に死刑判決を言い渡されるかと思ったら、謎の女性が乱入して、謎の会話を始めた。
なんだ、この状況。
どうやらこの女性は、国王やエリザベスさんとただならぬ親交があるようだった。国の頂点に向かって、この口の利き方。それがまずいことくらい、田舎者の僕でも分かる。
「そんで……」
その女性はそこで、国王との会話をやめ、僕を見た。
なんだろう。そんな目で見られても、さっきから少しも状況が飲み込めていないんだけれど──それは僕だけなんだろうか。
ただ一つ。
ただ、一つ、考えるべきなのは。
この女性は、国王の死刑宣告を止めた人間だということ。国王の死刑判決を、この人は止めたということ。僕はそれを、頭で理解していた。この人は、僕の死刑を止めてくれた。
なら、この人の目的は。
その女性は僕を見た後、己の長い指を僕に示した。その動作すら、堂々としたものだった。
「お前か。あたしのカギは」
「…………?」
カギ?
カギって──あの扉に取り付けるやつのことか?
もちろんのこと、僕は無機物などではない。命ある人間のはずだ。
ならば、カギというのは。
その場の全員が怪訝そうな顔をする中で、ただ一人、その女性だけは確信に満ちた顔をしていた。
「……まずは、説明してもらえんかの? なぜお主がここにおるのか」
「そうですよ! なぜあなたがここにいるのか、説明しなさい!」
と、トール王とエリザベスさんに問われる女性。
その前に僕としては、そもそもこの女性が誰なのかから教えて欲しかったけれど──二人にとっては旧知みたいなのだ。話はそうは進まないだろう。だから、僕は自分で予想する必要がある。
本当に誰なんだ?
エリザベスさん──右大臣と言われていたエリザベスさんにも、言葉遣いは変わらなかった。国王にすらタメ口を貫く時点で、向かうところ敵無しのような人間なのは、想像に難くない。なら、残る選択肢はなにがあるだろうか。
と。
二人に質問を飛ばされた女性は、それでも、その疑問の解消に動くことはしなかった。
かわりに──カツカツと、僕の前まで無言で歩いてきた。
「…………?」
「なにをする気?」
僕の困惑と、エリザベスさんの困惑が同時に発生した。
けれど──それすら聞こえていないような足取りで、謎の女は僕の前にしゃがみ込んだ。
「お前……ソラって奴で合ってるな?」
「…………」
女性が間近で喋りかけてきた──整った顔立ちの顔が近くまで接近してきていて、息すらかかるほどの距離で声が聞こえる。最初の言葉は、僕がソラであるかの確認だった。
ソラは、確かに僕だけれど。
カギといい──僕に用があるのだろうか?
「…………そうだけど、なにか──」
用ですか。
と、最後まで言うことは出来なかった。
突然、左頬に痛みが走ったのだ。
「───!」
自分の体が、宙に浮いているのを感じた。
そのまま、部屋の壁に叩きつけられるまで、僕の体は吹き飛ぶ。視界が定まらない中、背中に激痛が感じられたところで、僕の体は停止した。背中が痛いということは、背中から壁に激突したのだろう。
身体が何度も回転したはずだから──胃の底から物が逆流してくるような感覚がする。
「…………が、ぁあ、おぇ」
「……な、なにを、しているの⁉」
そんなエリザベスさんの声が耳に入ってきた。いや、それは今は気にしなくてもいい。
頰と、背中の激痛に耐えながら、壁にぶつかってへたり込んだ姿勢のまま、僕は女性を睨む。この女性は──いや、女性だよな? どう考えても、力は男のものだけれど。
見ると、女性の右の拳が握られており、少しだけ赤くなっていた。まるで、サンドバックを殴ったかのような握り方だ。
で、僕は吹き飛んだ。ということは、おそらく、あの硬く握られた拳で僕は殴られたのだろう。思いっきり、目で追えないほどの速度で。
「くっくっくっ」
その女性は、笑いを堪えるように下を向いた。開いた右手には爪の痕が残っており、僕の考えを強く裏付ける根拠に──
なった、けれど。
それを理解したところで、痛みは引かない。背中もだけれど──やはり、殴られたであろう、左の頬が。
痛い。
「……お前は無茶をするのう」
国王の声も、そこで聞こえた。まさか、どう考えても奇行以外のなんでもないこの行動を、少なからず予想していたんだろうか。
いや、それは今はどうでもいい。
この女性のこと──いや、それよりも、自分のことだ。
「──がっ、ぉえ……」
息を止めることで、なんとか痛みを逃そうとする──それと同時に、頭が痛みを感じなくさせようとしているのだろう、いつもより思考の速度が上がっているような気がした。
なんなんだ、この女性は。急に殴ってくるなんて──死刑を止めてくれたように感じたのは間違いだったのか? それとも、死刑前の人間に人権などないから、サンドバックにしてしまえとか、そんな考えを持っているのだろうか。
そんなことを考えながら、女性を睨み続ける。それは女性にも届いたようで、軽くウインクをされた。
どうやら、僕が感謝していると受け取ったらしい。
酷い間違いだった。
「国王様よぉ、ここは一つ、あたしの頼みを聞いちゃくれねぇかぁ?」
それから。
国王に向き直り、そんなことを言う女性。人にものを頼む態度とは、到底思えなかった。あれか、他人を駒としてしか見てないような、そんなタイプの人なのか?
「……申してみよ」トール王はしばし考えて、そう応じた。「聞くだけ、聞いてみようではないか」
「こいつの経歴は聞かせてもらったぜ。自分の幼馴染を殺した……否、消したとか」謎の女は間髪入れず、トール王に答える。「それはそれは、結構なことじゃねぇか。普通なら豚箱に入れて、死刑だよなぁ」
「だから、今からトール様が死刑を言い渡そうとしているんでしょう!」我慢ならないというように、そこでいきり立って、エリザベスさんが話に入ってきた。「あなた、それを邪魔していることを自覚してますか⁉」
誰も、殴られた僕のことなど気にしていない。大事なのはあくまで死刑の方だというように、話が展開されていた。
「あなた、王の御前ですよ!」
「だが、こいつはこう言ったんだろ?」
エリザベスさんの言葉を遮り、そこで、女性は言葉を渋った。いや、渋るというよりは、あえて言うのを溜めているような──じっくり間を持たせて、演出を入れているような、そんな雰囲気だった。頬の痛みが徐々に弱くなるにつれて、その空気が長く感じられるようになる。
やがて、謎の女性は、
「目の前で消えた、ってなぁ」
と、僕を親指で指して、そう言った。
それは、僕の証言だった。
僕がこの七日、何度も訴えた言葉。
「もちろん、人殺しの虚言かもしれねぇが、あたしはそうは思わないね。それなら、いくらでも言い訳のしようがあるだろうしな」女性は勝気に笑いながら、言葉を補強していく。「誰も信じねぇようなことを言うメリットなんかねぇ。そうだろ?」
「そこまで考えて、こいつが証言している可能性だってあるでしょうよ! 疑わしいのは変わりないでしょう!」
エリザベスさんも負けじと、言う。大声で張り合っているような感じだった。死刑を邪魔されたのがそれほど、癇に障ったのだろうか。いや、単純に仕事を横取りされたような気分になっているのかもしれない。それが嫌で、エリザベスさんは謎の女と口論をしているのかもしれなかった。
が。謎の女性はエリザベスさんのことなど視界の外のように、
「ああ、そうだね。あたし達がその場にいなかった以上、想像でしか話せねぇんだから、疑わしいのはそうだろうよ──だがな」
と、言葉を並べる。
それは、エリザベスさんではなく、国王に向けての言葉だった。
「こいつは、使えるかもしれねぇぜ」
「…………」
じっ、と。
国王と、いまだ名前も知らない女性が、目を合わせている。
なにか──お互いに感じ取っているものでもあるんだろうか。国王と女性の関係も知らない僕には、その間に交錯しているであろう思惑など、想像すら出来なかった。
「……なるほどのぅ。お主がここまで出張ってきたのは、それが理由か」
「あたしが動く時は、いつでもそれだけが理由さ」
「…………エリザベス」
トール王は謎の女性から目を切って、エリザベスさんを向いた。
「っ、はい、なんでしょう?」国王に呼びかけられたエリザベスさんは、国王を向き、すぐに返事を返した。「死刑ならば、やはり、予定通りに──」
「この二人を客室に案内してやれ。そこから先は任せる」
「……はい?」
エリザベスさんからそんな、素っ頓狂な声が出た。
数瞬。時間が止まる。そんな錯覚を得る。それから、エリザベスさんが戻ってきた。
「……はぁ⁉ いや、トール様、良いんですか⁉」
「よい。ソラ君に関しては不問とする」
え?
今──今、なんと言った?
不問──って言ったのか?
「……な、そんな」
エリザベスさんの口から、息が漏れる。多分、僕も同じような顔をしているだろう。
不問って──どういうことだ?
エリザベスさんも、僕も、おそらく国王も。
この場の誰も予想していなかったであろう、こんな状況で。
「くっくっくっくっ」
この謎の女性だけは、大胆不適に笑っていた。