イサ
イサはざっと洗い動根を切り落とした後それぞれ桂むきに、リヨリは丁寧に洗い泥を落とし、皮ごと刻み始めた。
牛丼チェーンのバイトで素人に毛が生えた程度の吉仲から見ても、イサの手のスピードと洗練さに比べれば、リヨリは圧倒的に遅く、稚拙に見える。
もっともリヨリが下手なわけではない。イサの手際が際立って見えるのだ。その証拠に、切り落とした動根は瑞々しいが、傾げればこぼれるような水滴が一つも垂れない。
「流石、鯨波のイサだねぇ。あの流れるような手際、見ていて惚れ惚れしちまうよ」
老人達は皆並んで二人の作業を見守っている、退屈な田舎のことで彼らにとっても良い娯楽のようだ。
「イサさんも言ってたけど、げいはってなんです?」
吉仲が老婆に尋ねた。老婆は呆れたように吉仲を見返した。
「大波のことさ。兵隊達があげる鬨の声のこともそう言うね。あの男の二つ名だよ」
老婆は熱っぽい視線でイサを眺める。
「あの男はね、かつて街一つ丸々飲みこむような巨大な鯨のモンスターを一人で倒し、鯨の腹の中の暗闇で細々と暮らしていた街の人々にその身の料理を振る舞ったって伝説があるのさ。その時の雄々しい戦いぶり、そして海の幸への造詣の深さから鯨波の二つ名がついたと言われているね」
吉仲はイサを見返した、巨大な体躯、丸太のように太い首に腕、たしかに料理人と言うよりも歴戦の戦士のようにも見える。
「へっ、噂だよ噂。包丁一本でそんな化け鯨倒せるわけがねぇや」
イサが鼻で笑う。作業の手はいっさい緩めず、マンドラゴラの全ての桂むきを終えた所だった。
桂むきにした身を水に浸し、皮を千切りにしはじめる。
その皮には余分な凹凸は一切なく、千切りも全てが均一の太さで切られている。見る見る細いマンドラゴラの皮が積み上げられていった。吉仲が見えていたのは白い実の部分だけだったが、いつのまにか、青々とした葉も同じように刻まれ、積まれていた。
「たしかに、ただの噂かもしれないねぇ。でも火の無い所に煙は立たない物さ」
イサは皮肉っぽく微笑んだまま黙り込み、棚からいくつかの調味料を取り出し器に入れる。
軽く混ぜた後、同じく千切りを終えた根と刻んだ葉と、リュックから取り出したつるつるの丸い石を入れた。リヨリはと言うと、ようやくマンドラゴラの細切りが半分まで到達した所だった。
「おい嬢ちゃん、マンドラゴラの皮は硬くて、そのままじゃ煮ても焼いても食いにくいのは知ってるよな」
イサは一瞬手を止め、リヨリに話しかける。リヨリは何も答えず黙々と自らの作業を続ける。イサは口元だけで笑った。
「……おっと、良い集中力だ。対戦相手からの心配は無粋だったな」
イサは再び真剣な面持ちになり、棚から鍋を取り出し、リュックから出した白い網袋と共に湯を沸かし始める。出汁を取っているようだ。
「なんで都にいたイサが、この店の作業場で手に取るように動けるんだい?調味料も鍋も完全に分かっている動きじゃないかい。カチさん、アンタ何か知ってるんだろ?」
老婆がカウンターに座り見ている老猟師に声を掛けた。老猟師はお茶をすすり、笑い出す。
「そうかそうか、チーメダさんは知らんかったな。この店は元々ヤツキの師匠の店だったことは聞いたことあるじゃろ?イサはな、かつてヤツキの兄弟子だったんじゃよ」
老婆、チーメダは目を丸くした。
「ヤツキが突然この店に現れた時に、先代の一番弟子だった男がイサじゃ。二人は兄弟のように仲良くなり共に腕を磨きあったものじゃ」カチは目を細める、かつてイサ達は彼の獲ってきた食材を使って料理を作っていたのだ。
「そうそう、そのあと二人が旅立ってなぁ。何年もして先代が病に臥した頃にヤツキがふらっと帰ってきたんだった。リヨリを妊娠した嫁さんと一緒になぁ、あれには驚いた。まさかヤツキに子供が出来るとは」
「まったくじゃ。しかし、イサだとよく気づいたなカチさん。ワシは全然分からんかったぞ」
「アンタはボケてとっくに忘れてただけじゃないのかい?アタシは一目見てピンと来たね」
「ワシらと店に入ってきたくせに何を言う!イサよ、昔の面影がまるで無いぞ。昔はもっと痩せておったのにのう」
「うるさいねぇ……そうだ、昔はシュッとした男前だったのに、今じゃまるでオーガみたい面相じゃないかい」
老人が口々に思い出話を続ける。
鍋にマンドラゴラを入れて茹ではじめたイサが話を引き取った。
「そう、昔々の話だ、俺はヤツキに負けたのさ。師匠が倒れ、この店の後継者を決める時の勝負でな。ヤツキが勝ちこの店を継いだが、その時にアイツは今回の勝負の証書を渡してきたんだ。ここの主人と料理勝負をして、勝った方が店の権利を得るってな。世界中ほうぼう旅して腕を磨いて、いざリベンジマッチだって帰ってきたら、アイツ死んじまっててなぁ。……まったく、どうしようかと途方に暮れたぜ」
イサは語り言葉に感情を載せつつも、目と手は思い出話に浸ることもなく淡々と作業を進める。
吉仲はリヨリを見た、多分リヨリはこの話を知らないだろう。だが、リヨリは自分の作業に集中して、まるでこちらの話を聞いていない。黙々と千切りにしたマンドラゴラに、さらに包丁を入れている。