右腕骨
フェルシェイルから解き放たれた熱気が吉仲の全身を包む。
頭から足の先まで溶鉱炉の間近に立っているような熱気だが、石板を持つ手と腕は零下の冷蔵庫で氷を握っているような冷たさだ。
間髪入れず、蒸気が巻き起こり、視界が全てホワイトアウトする。ゴウ、と風の音が轟いた。
吉仲は熱さからも冷たさからも解き放たれ、戦闘のことも忘れ、心地よさをすら感じる。
蒸気がぼやけたスクリーンとなっている。白く包まれた視界は、外側の炎の光でひどくまぶしい。蒸気の奥で赤い炎が明滅しているもわかる。
全周囲からゴウゴウと風の音が聞こえる。微かに、何か軽い物が風に翻弄される音も聞こえる。絶え間なくさざめくパラパラとした音は、雨音のようにノイジーだ。
蒸気の膜の奥で、何かとんでもないことが起こっている。だが、具体的には見えなかった。
吉仲の手の中で、石板が粉々に砕け散った。粉末が黒い布の上に落ちる。
音は急激に遠ざかり、視界が、徐々に戻っていった。
「な、なんだったの……?」
リヨリが黒い布から頭を出し、おそるおそる辺りをうかがう。完全に混乱し、リッチのことも頭から抜けているようだ。
ナーサとマルチェリテに二人がかりで押さえられ、身動きが取れなかった。
「……あっ!」
黄色い照明はゆらぎ、さっきよりも光量を落としている。
吉仲がぼんやり見ていた建物は真っ黒く焦げ、今も外壁の一部がメラメラと燃えている。
床のタイルが吹き飛びはげて土の床が露出している、自分たちが立っている場所だけタイルが残っていた。
祭壇、そして祭壇に乗った骸骨こそ変わりはないが、今まで周囲を埋め尽くしていたスケルトンは一体たりとも残っていない。
「さすがですね、フェルさん」
「吉ちゃんも……ありがとぉ」
マルチェリテとナーサの読みは当たった。
無限に増殖するスケルトンは、最初の一体を複製したものだったのだ。
そして、四階層にはすでに別のコピーがいたのだろう。最初の一体を倒すことが無限増殖のトリガーだ。
一体を倒してもすぐに別のスケルトンからコピーが生成され、全体の数を保つ。一体でも残っていれば、ねずみ算式に増えてすぐに元どおりとなるのだ。
これもまた禁じられた古代魔法だ。
対抗策は一体も残さず吹き飛ばすこと。
そのためにフェルシェイルの全力の炎と吉仲の暴風の合わせ技が必要だったのだ。
ナーサはさらに念をいれ、蔵にも使われる冷気の石板で中心に均衡状態を作りだした。
暴風により熱は遠ざかっていくが、それでも残る灼熱の熱気は冷気とぶつかり中和される。蒸気は、その副産物だ。
<すばらしイ……すばらしいゾ……フェニックス>
リッチは愉悦の声をあげる。
ここまでの強大な力を目の当たりにできたことは、彼の長い死後はおろか、生前も含めてない。
枯れ果てた心に久方ぶりの感動が芽生えているようだ。
自分の目的、そして知的好奇心の前には、邪魔な羽虫を消すことなど元から些末なことだった。
<そしテ、我ガ右腕ヨ……>
何より、今の攻撃でリッチの目的は達成されている。
「え?」
吉仲は、不意に手に冷たいものを感じる。おたまを握っていた右手だ。
さっきまで激しかった脈動はもはや止まっている。
変わりに、何かがカタカタと動くのを感じる。
右手を持ち上げる。おたまの形はない。白いものがある。吉仲は叫びをあげるが、あまりの衝撃に声は出なかった。
自分の右手が、骨を、右腕の手骨を握っていたのだ。




