逸脱
五階層の廊下は、奇妙に入り組んでいた。
汚れた床のタイル、古びた狭い檻、薄暗い廊下。見たところは四階層と変わらない。
だが、ダンジョンの構造そのものが変わっている。十字、Y字、丁字の道が複雑につながり、迷宮のようだ。
「ずいぶん入り組んでるな……あまり奥に入ると道に迷うんじゃないか」
吉仲が後ろを振り返る。階段はまだ見えているが、いくつもの十字路に見えなくなるのも時間の問題のように感じられた。
――過剰に濃密な魔力に暴露されることで、存在が本来持つ形質から逸脱する現象がある。
魔力による逸脱が、遺伝子の変異をも引き起こし魔物の多様化と進化を促す。
また、魔物が発生するのと同じ逸脱は、無機物にも働く。
器物が元から持つ形質が、魔力によりねじ曲げられ、あるいは新たな形質が芽生えるのだ。
天然物の魔法道具とも言うべき、特別な力を持つアイテムがダンジョンから取れるのはそのためだ。
魔女がデザインした道具とは異なり、得られる形状や機能は元の形質を引き継ぎつつもランダム。
生物と違い進化の法則が働くこともないため、大半は意味をなさないただのガラクタだ。
それでも、無限に近い試行回数は有用なアイテムを生み出すには十分で、時には異物と呼ばれるほど絶大な能力を持つアイテムが産まれることもある。
そして、無機物に働く効果は、場や空間にも同様に働く。
逸脱が引き起こす変化は、環境、そして生態系すら丸ごと変異させるほどの力を持つ。
逸脱した環境はそこに棲息する魔物と共に変異を繰り返し、小さな差が積み重なり、やがて階層ごとに異なる風景、異なる魔物の生息域をもたらす。
王都ダンジョンの深層がいい例だ。
過剰な魔力が引き起こす逸脱こそが、魔物の発生、そして、ダンジョン生成の大元の原理だ。
「……空間が、ゆらいでいるのでしょうか?」
「そうとしか思えないけどぉ……元からこの形のダンジョンだったと思えるほどに安定してるわねぇ……」
マルチェリテの言葉を受け、ナーサが辺りに気を研ぎ澄ます。魔力の乱れに注意すれば、場の状態はわかる。
――空間に生じる逸脱は、最初は場のゆらぎとして確認される。
過剰に空間に蓄積された魔力の作用で、あるはずの物が消え、ないはずの物が現れる現象だ。
小物や家具のみならず、壁や階段などの構造体、時には部屋や空間そのものが出現と消失を繰り返す不安定な状態が続く。
だが、ゆらぎを繰り返し場の魔力が減少することで、徐々に逸脱は収まっていく。
場の構造は安定し、指向性を持った変異が始まる。やがて、ゆるやかな進化となっていくのだ。
迷宮とは、魔力の作用で進化した空間ともいえる。
「王都のダンジョンの入り組み具合とも違うね。……なんか、王都の街みたいな……」
「そうね……大通りを貫いて左右の通りが延びて、そこから裏通りにつながる感じは、迷宮というより街みたい」
リヨリの率直な感想に、フェルシェイルが同意した。話に聞く空間の揺らぎというには、あまりに整然としている。
入り口こそ放射状だったが、今や碁盤の目のように道が通っている。斜めに通る道、曲がり道もあるが、おおむねは直線で構成されていた。
「言われて見ればたしかにそうねぇ……吉ちゃん?」
ナーサは首を傾げながら辺りを見回す吉仲に声をかける。吉仲は我に返ったように反応した。
「あ、ああ……なんか、なんだろう‥…見たことある、というか……」
首を傾げながら道の奥を見つめる。
よく見知っている、ありふれた何かを忘れているようなもどかしい感覚が、吉仲を支配していた。