誓い
大男はニヤリと笑った。
「もっとも、何も考えずにより美味い方を選べば良いだけでもある。……それが一番難しいけどな」
吉仲は戸惑った。彼は自分の舌に自信が無い、というか、味に無頓着で何を食べても大体うまいのだ。
なんなら三食バイト先の牛丼でも良いくらいだ。
自分と違い無事に就職できた彼の友人達と、学生時代と同じ安チェーンの居酒屋に行った時のことだ。
吉仲は何も感じずいつも通り美味しく食べたが、社会人となった友人の一人がもっと美味しい物がある、チェーンの居酒屋は料理も酒も不味いと講釈を垂らしたことがあった。
大声で賛同する者と、これはこれでコスパが良いし、それを考えれば味もそう悪い物でもないと反論する者とに分かれたが、吉仲だけがなんとも言えなかった。
そこ以外の居酒屋の味を知らなかったのだ。
思えばコンビニ弁当ですら高価な感じがして、いつもバイト先のまかないか、近所の安いスーパーの弁当で腹を満たしている。それでも問題なく満足できていた。
しかし成人した彼は、たまに引け目を感じることもあった。
社会人として順調な道を進んでいる友人達は新たな味のステージが開けている。
自分だけは学生時代とまったく変わらない食生活だ。
そんな自分が、料理対決の判定だって?吉仲は逡巡した。
少女はうるみつつも目で訴えかける。
負けた時にほっぼり出されても良いから、チャンスが欲しいと言っているようだ。
吉仲が何もしなければ、大男は少女を言いくるめて店を持っていくだろう。
少女の人生に、責任を取れるかは分からない。
「……わ、わかった。やる」
大男は地響きのような大声で笑い出した。
「……おもしれぇ。これも何かの縁だ、料理勝負してやるよ!」
少女の顔がパッと明るくなる。
「テーマはお前の得意な食材、さあ、食材をきめろ!……何を選んでも構わないが、間違っても海の幸だけは選ぶなよ?俺の得意なフィールドだからな」
「……食材は、マンドラゴラよ!裏の山に自生地があるわ!」
「ほう、ちょうど良い食材を選ぶじゃねぇか」
少女は震える声で大男に指を突き付け、大男は不敵に笑う。
「マンドラゴラ?」吉仲には聞きなれない名前だった。
――マンドラゴラ。
人型の根菜であり、地面から抜く時に発する叫び声は聞いた者を絶命させる魔力を持つ。
薬効があり、大昔は一握りの魔女達が自らの薬を作る時に使う薬草だった。
その後一般に知られた後も、長らく訓練された犬一頭と引き換えにしなければ手に入らない高級食材だったが、今や安全な収穫方法が確立されて大衆にも手が届く価格になっている。
ひとかどの料理人なら一度は触ったことがある食材と言って間違いないが、収穫まで自分でこなせる料理人は未だに少ない。
「自生地があるなら普段から使い慣れてるんだろうな、それに都にいて基本的に市場で買う俺には収穫からのルールは不利だ。あわよくば収穫に失敗して死ぬとかな、はっはっは!」
「さ、さすがにそこまでは思ってないよ!ほら、君も行くよ!」
大男は愉快そうな笑いを上げ、少女は吉仲の手を引っ張った。大男が少女を制する。
「おっと、その前に誓いだ」
「誓い?」
「一人前の料理人同士、料理の腕に依って物事の決着をつけると改めて宣言するんだ、こんな風にな」
大男は威儀を正し直立した、今までと違って真剣そのものの表情だ。
「都カルレラの料理人、人呼んで“鯨波”のイサ!自らの腕と我が師から受け継いだ包丁に賭け、料理の味での勝敗に異論を挟むことなし!」
店中に声が轟く。吉仲は圧倒される。
大男、イサは少女に、次はお前の番だと言うように目配せをした。
驕りや昂りの無い、純然たる自信に満ちた目に圧され、少女は緊張の面持ちで直立した。
「リストランテ・フラジュの料理人、“食の革命児”ヤツキの娘、リヨリ。……この店と父の名に賭けて、料理の味での勝敗に異論を挟むことなし!」
イサは満足そうに頷き、そして二人は吉仲に視線を注ぐ。厳正な審査の誓いを求めているのだ。
その視線は熱を帯び、二人は今にも叫びだしそうだ。とにかく何か言わなければ、吉仲は焦った。
「須磨吉仲、えーと、なんだろ……バイトリーダーの地位に賭けて、厳正に審査しまーす……」
誓いは、ここに立てられた。吉仲は、カラカラに乾いた喉でツバを飲み込む。しかし、何も出てこない。
「……で、えーと。あの。水、もらっても良いですか?」