不気味な遅さ
「ど、どういうことだ?」
吉仲が混乱し、左右を見る。
「自分の料理にそこまで時間をかけるつもりはないのかしら?」
「ううむ……全体の作業量から、あのスピードで十分と判断した可能性はありそうですが……」
フェルシェイルからテツヤに視線を移したシイダとガテイユも不思議そうな表情だ。
思い返せばテツヤのこれまでの料理は、一回戦のキマイラのシチューを除けばほとんど料理らしい料理の手は加えられていなかった。
それが結果的には観客、そして食通達の度肝を抜くパフォーマンスとなっていた。
もちろん、手数が少なくても料理の味は言うに及ばず、対戦相手を上回っていた。
もしかしたらテツヤは、今まで対戦相手を少しだけ上回る程度の手しか加えていなかったのかもしれない。
事実、テツヤが二回戦で戦った料理人より、一回戦で戦ったトーマの方が技量や味は上回っていた。
吉仲はふとそう思いついた時ゾッとした。
つまり、今までのテツヤはまるで本気ではなかったのだ。
そしてそうなると、今回も本気ではない可能性もある。フェルシェイルを上回る料理を作れれば勝てるのだから。
その証拠にフェルシェイルの本気の動きを見ても、テツヤはまったく意に介していないようだった。
まだ、料理の全体像は見えていないも関わらずだ。
脳の下処理を終えてタレにつけたフェルシェイルが、赤い軌跡をなびかせて再びシーサーペントの方へ跳ぶように走る。
テツヤが悠然と鱗を剥ぎ取り続ける反対側に陣取った。
観客全員の視線がフェルシェイルに戻る頃には、すでに鱗をはぎ始めている。
イサほど際立って手際が良いわけではない。
だが赤熱化したままのフェルシェイルの動きは、神速で流転刃を振るうイサに負けず劣らぬスピードで鱗をはいでいく。
テツヤの動きと比較すると、倍以上の速度差だ。
フェルシェイルがさっさと背身を切り出し終え、次は身体の中間から尾寄りの腹身に包丁を入れる。
「あら?白子を使うつもりみたいね。今はちょっと時期が早いかもしれないけど……」
その位置と動きを見ただけでシイダが断言した。
シーサーペントの精巣、白子の旬は繁殖期であたる秋に限られるため一般的ではないが、美味な食材だ。
時期が早いと多くは取れず味も淡白だ、だがそれでもフェルシェイルは白子を見て頷く、十分なようだった。
「脳に白子、良い食感の食材を使うな」
ベレリが楽しみが増えたような口調で同意する。
白子を取り出したフェルシェイルが、再び跳ぶような速さで調理台へ戻っていく。
テツヤはと言うと、フェルシェイルから大分遅れ、食材として使う背身と尾を切り出しはじめていた。
「む……尾の肉の鱗を……落としていない……?」
ガテイユは信じられない物を見るようにテツヤを眺めた。
鱗は身を切り出す前にはがなければいけない。
固い鱗ははぎにくく、切り身となった状態でははぐのは困難だ。
無理に鱗をはごうとすると、切り身を崩して台無しにしてしまう。
司会も同じ所に気づいたようだった。
「おっとテツヤ選手!尾の肉の鱗がそのままだぞ!?これで料理ができるのか!?」
司会の声に観客がざわめく。しかし死神もまた、周りの声など何も聞こえないかのように淡々と作業を進めていく。