神速
イサの全身全霊の包丁捌きは、切るとも削ぐとも違う、かするような動きだった。
実際、吉仲達にはイサの包丁は空を切っているようにすら見えた。
切り身を抑えるイサの左手も細かく動くが触れるか触れないか程度、左手に包丁が当たったかのように見えるたび、観客から恐怖と驚きの騒ぎが上がる。
だが手のスレスレを飛び交う包丁はかすってすらいない、その証拠に紫の軌跡の只中にある左手は綺麗なままだ。
リヨリとガテイユが目を見張り、その手並をマジマジと見つめる。
虚空を流れるような包丁はそれでも微かながら、少しずつ魚の身を切り出しているらしい。
白身が、徐々に浮き上がり、盛り上がってくる。
「おおっとイサ選手の、あの包丁捌きは一体!?」
司会がガテイユに尋ねる。話を振られたガテイユは司会の方に頭を向けるが、すぐにイサの手元に視線を戻した。
「分からんが……あれはまるで……」
神速の包丁捌きと協調し、滑らかに動く左手。そして素早い手の動きとは対照的に、少しずつゆっくりと切り出され盛り上がっていく食材。
「宮廷料理の包丁技……?」
リヨリが呟く。リヨリとガテイユの頭に浮かんだのは、宮廷料理の技法だった。
もちろん、リヨリにもあの切り方は知らなかった。だが、そうとしか思えない。
リヨリがトーリアミサイヤ王女から学んだ基礎をどこまでも発展させていけば、あの包丁
捌きに行き着くだろう。
イサもランズから学んだんだろうか。それならなぜ最初から使わなかったのか?
リヨリは頭の片隅でぼんやりとそんなことを思いつつ、イサの包丁に引き込まれていく。
リヨリは魅入られるように、イサの手元に視線が釘付けとなる。紫の軌跡から目を離すことができない。
イサが包丁を翻す。まな板の上に、鮮やかな白身が踊った。
切り出された身は、一拍の後、思い出したように一口大に分割されて並んだ。
「さ、刺身ぃ!?」
「まさかそんな……ありえないわ!」
司会の叫びに呼応して、シイダも叫ぶ。
彼女が食べた宮廷料理の秘伝、秘料理はほとんど無いに等しい。だが、それでも美食家貴族の端くれとして名前や料理の特徴だけは知っている。
そんな彼女でも、シーサーペントの刺身というのは聞いたことが無かった。
イサは同じように包丁を振るい、カマ肉を切り刻みはじめる。
観客がワッと叫びを上げる。全身を押されるような音圧で、リヨリが我に帰った。
鍋の様子を見てから、時間を見る。ジャストのタイミングだ、少しでも気付くのが遅ければ煮込み過ぎていただろう。
湯に漬け温めた皿に肉をよそい、最後の仕上げとばかりに、付け合わせの蒸した野菜を並べる。
「時間切れです!そこまで!」
イサが最後の盛り付けを終えて流転刃を拭い、リヨリが皿の周りを拭き取ったのとまったく同じタイミングで、終了の合図がなされた。