冴える紫刃
シーサーペントのいくつかの部位の鱗を剥ぎ終えたイサは、紫の包丁・流転刃を軽くなぎ払う。
刀身に付着した鱗が地面に落ちると同時に、その姿は出刃包丁へと変わった。
「ナーサ……あの包丁は?」
<そんなの分からないわよぉ……。でも、ただの魔法道具じゃないわねぇ。マルチェちゃんの方が知ってるじゃない?>
「いいえ、私もはじめて見ました。イサさんが切り札と呼び、肌身離さず持ち歩く包丁があることは知ってましたが……」
ナーサとマルチェリテの声は困惑していた。
吉仲のおたまほどではないが、料理人が持つ物にはそぐわない魔力だ。
イサはザルを並べ、出刃包丁を振るった。
流転刃を器用に操り、鱗を剥いだシーサーペントの頰肉、首の裏を切り出す。
もう一度薙ぎ払うと共に、今度はスッと長く、直線状に伸びる。グリフォンと戦った時と同じ長剣の形を経て、さらに細く。
ついにはマグロを解体するような片刃の長包丁となった。玉虫色の輝きが揺らめく。
長包丁で胴の中程の肉、リヨリが切り出した腹味の上の背身、そして尾の周りの肉と次々と切り出して行く。
シーサーペントの身体の構造を熟知しきった動きは、素早く正確だ。
観戦者達に包丁の紫の軌跡が見えるほどだ。ザルには各部位の肉が次々と盛られて行く。
「さすがは“鯨波”のイサ!まさしく電光石火の太刀捌きだ!」
司会の言葉にアリーナが熱狂した。
グリフォンとの戦いと同じく、イサの包丁捌きはまさしく剣技と言っても過言ではない。
流れるように尾の先まで刃を引き、驚異的なスピードで使う食材を切り出し終えた。
「随分バラバラな部分から肉を取るんだな」
「たしかに……アレを全て使う料理というのは想像もつかんな」
「いえいえ、サイズが大きいからそう感じますが、魚一尾を使う料理とそう変わりませんよ」
吉仲とベレリの疑問にガテイユが答える。
「さすがにシーサーペント丸ごと一頭を尾頭付きで焼くわけにはいきませんからな。……ただ、恐ろしいのはあのスピード、そして作業を一人でこなす所です」
ガテイユがイサをまじまじと眺める。
イサは流転刃を長包丁から再び出刃包丁に変化させ、細かい肉の切り出しやヒレの処理を行なっている。
「シーサーペントの一部位を切り出すだけでも、普通の作業者は少なくとも六人掛かり、熟練の職人でも三人は必要。……それだけあの大きさは厄介なんです」
鱗以上の、シーサーペント調理における最大の課題はその大きさだ。
鱗を剥いだ後の肉は専用のノコギリ刃の包丁を使い肉を切り出していくが、全長十メートルの生物から切り出す作業はどうしても数人掛かりとなる。その様子は大工仕事の方が近い。
ガテイユも他に二人は熟練作業者がいなければ、シーサーペントを解体しようとは思わない。
しかし、イサは流転刃を巧みに操り、通常数人掛かりの作業を一人で行っている。
イサの包丁技術は音に聞こえていたが、ここまでの高みにいるとは思わなかった。ガテイユすら思わず惚れ惚れする技術だった。
「昔、シーサーペントの解体ショーを見たことがあるけど……あんなに綺麗には切れてなかったわよ?」
シイダの疑問にガテイユが頷く。
「切り出した肉は柔らかくても、あのサイズの密度だとどうしても通常の刃は通りません。そのためノコギリ刃が必要となる。……だが、ノコギリ刃だとどうしても身はスッパリとは切れません」
ガテイユは再びイサを見つめ、少し思案した後続けた。
「……考えられるのは、あの形状を変えられる包丁の刀身が通常よりも薄いことですが……」
「刃は薄くなるほど折れやすくなり、力を掛けられる角度が狭まる。ほとんど垂直じゃなければとっくに折れているでしょうね」
ガテイユとマルチェリテの解説に、食通だけでなく司会、そして観客も感心の声を上げた。
イサが流れるように振るう刃は全て、刀身を痛めない角度で振るわれている。
十五年に及ぶ、世界を巡る修行の末に辿り着いた境地だ。