準決勝開始前
準決勝当日朝。ダンジョン三階層でのことだ。
ダンジョンクローラーの魔術師、ニーリがしゃがみこみ、ポータルの魔法陣を眺める。
一階層のダンジョンクローラーが使うポータルは残しているが、三階層や四階層から深層に続くポータルは、料理人達が間違えて入らないよう彼女が封鎖していた。
「……あれ、なんでここのポータルの封鎖解除されてるの?」
「ああ、なんか貴族が来て、料理大会で深層を使うんだとよ。さっき入って行ったみたいだぜ」
筋骨隆々の大男、ゾートが呆れたように禿頭をかいた。ニーリが勢いよく振り返る。
「深層に素人が?自殺志願者でももっとマシな死に方選ぶでしょ?解放したのは誰?ダンジョンクローラーは着いて行ったの?――それに試合は今日じゃない、今から入って何するつもり?」
ニーリは矢継ぎ早に弟に問いただす。その表情は真剣その物だ。
「いや、俺に言われても……俺も他のヤツから聞いただけだしよ。……それに屈強な護衛が付いているから大丈夫だって無理に開けさせたらしいぜ」
ゾートはバツが悪そうに肩をすくめ、両腕を上げる。幼い時から姉に問い詰められると敵わない。
ニーリは、厳しい瞳でポータルを睨んだ。
――準決勝は、あいにくの大雨だった。
アリーナには薄白色のドームが掛かり、雨粒が容赦なく弾かれ、流されていく。
風の魔法式が記された柱を立てることで屋根を掛け、その風圧で雨粒を押し除けているのだ。
水しぶきが弾け、四方八方に流れる水は、まるで滝壺を真下から覗いているようだった。
だが、涼しげな見た目とは裏腹に湿気と熱気が籠もり、かなり蒸し暑い。
換気魔法のリソースも、ドームの構築に使われているためだ。
そして、会場の異常さのせいでもあった。
「吉仲引っ込めー!」「俺はお前を認めてないぞー!」「このやらせ野郎ー!」
口汚い野次が次々と飛ぶ。吉仲は苦々しい表情で、審査員席の中央に腕を組み座っていた。
「これは……前回から急に酷くなりましたな。……例の噂ですか?」
「数日前に市場主催のイベントで食材を間違え、お前の舌が当てにならないことを露呈したと聞いたが、本当か?」
ガテイユとベレリが心配そうに吉仲を見る。二人は吉仲の野次は根も葉もない噂というスタンスだ。
シイダだけは心なしか距離を取っている。ただ、噂を信じているのではなく、都の民に嫌われないためだろう。バツの悪そうな表情が彼女の心境を物語っている。
「……やっぱり、そう切り取られたか……十数個あった食材の一番最後で、市場にも置いてない外国の食べたことない食材だったんだよ。それも、本当のお題とすり替えられてたんだ……食べたこともない物は当てようがないだろ?」
吉仲はウンザリしたように釈明し、マルチェリテが頷いた。
食通三人はそれで納得したみたいだが、それをここまで感情的になっている人間に言って伝わるかは怪しかった。ベレリが不愉快そうに観客席を見回す。
最初こそ野次を止めようと努力していた司会もすっかり諦め、無視を決め込んでいる。
そして、不思議な顔で入り口を眺めていた。
「リヨリ選手と、イサ選手は……」
スタッフが駆け寄る。
「ええ……?二人ともどこにもいない……?」
野次を中断し、観客がざわめく。
司会の呟きは聞こえなかったが、その身振りで何かが起こったことは分かった。
食通達が顔を見合わせる。
<ねえ、ちょっと、どうしたのぉ?>
「よく分かりませんが……リヨリとイサさんがいないみたいです」
「……じゃあ先に、フェルシェイル選手とテツヤ選手を……」
司会が言葉を最後まで言い終わる前に、空中に静止していたビジョンズが揺らぐ。
「え?あれ……」
ざわめく観客の中、何度か明滅を繰り返し、一人の男が画面に映った。