アヒージョ
リヨリも不安げに観客席を見回す。
むしろ噂の存在を知る吉仲と違い、突然の罵声に心底驚いたのだ。
「せっかくの勝利に水を差されてしまいましたわね」
「と、トーリア王女……」
トーリアミサイヤ王女が、リヨリの肩に手を置く。
「外野がどうあれ、あなたの料理の勝ちですわ……私の敗因は宮廷料理にこだわったこと。コースの一品じゃ勝てない勝負でしたわね」
そして、宮廷料理にの伝統に変革をもたらすと宣言したことが、シイダの反発を受けたのかもしれないとも思った。だが、初めの一歩は踏み出せた。
王女は、ふっと微笑みを浮かべる。
「胸を張りなさい。勝者がそんな様子では、ランズもコクトーも悲しみますわ」
「う、うん……ありがとう」
リヨリが王女を伴い出口へ向かう。
さっきの遠慮がちの拍手とは違い、今度はしっかりとした拍手がリヨリを包んだ。
座り直しため息をつく吉仲を、マルチェリテが心配そうに見つめる。
「……とんだ災難でしたね。でも、どうして吉仲さんだけがあんなことを言われるのでしょう?」
「まったくだ……心当たりは後で話すよ。変な噂があるんだ」
〈でも、完全に収まったわけじゃなさそうねぇ。その噂かしらぁ?隣の人に熱心に話しかけてる人が後ろにいるものぉ。……王女様に叱られて、ぶつくさ言ってる声も聞こえるわぁ〉
ナーサのひそひそ声に、吉仲はもう一度深いため息をつく。
吉仲が観客席を見渡すが、広い観客席は一人一人の顔がよく見えない。自分に敵意を持つ、顔も分からない人間が無数にいる。
その実感は、吉仲の心に陰を落とした。
ただ、それ以降の勝負は、どこかわだかまりを残しつつも平穏に進んだ。
イサの勝負は対戦相手との優劣がはっきりとしていたために、ブーイングが起きなかったのだ。
イサの料理は香草を入れたたっぷりの油に、ミミックの肉片を入れた揚げ煮。すなわちアヒージョだった。
ミミックそれぞれの部位に適した切り方と下ごしらえでそれぞれ油と馴染ませ、ミミックの味わいを油に移して揚げつつ煮る。
アヒージョは様々な具材を入れて風味を煮出すが、イサの物はミミックと香草のみの風味とは思えないほど様々な味わいがした。
ミミックから油を煮出す段階から、複数種類の油と香草をそれぞれの部位に対応させ、油の味わいを変えていたのだ。
対戦相手はハペリナ門下ミサヤ亭最後の一人で、彼が作ったミミックのフライもよく調理されていた。
腕はたっぷりと油を吸わせてジューシーに、薄皮は短時間でパリッとさせ、肉厚の貝柱と胃は二度揚げで柔らかさを保ちつつ火を通す。
ハペリナの教え通りの神経質なまでの時間配分が、最高のフライを作っていた。
だが、イサのアヒージョは、包丁と煮出しの技術、油の工夫で、ごく短時間の揚げ煮でも十全にミミックの風味が移っている。
そのままでも油を飲めそうなほどおいしく、圧倒的な技術を見せつけていた。
満場一致で、イサの勝利だった。