おいしい
「……リヨリおねえちゃん、どこ行ってたの?」
翌日、シエナがおずおずと、厨房で作業をするリヨリに話しかけた。
昨日は深夜遅くにダンジョンから帰ってきて、ダンジョンクローラーに晩ご飯をご馳走したと母から聞いた。
しかし、リヨリは今日も朝から外出していたのだ。シエナが起きた時には、リヨリはもう店を出ていた。
「へへっ、ちょっとね。 ……それよりシエナ、今日のご飯は特別製だよ!」
夕方に大量のキマイラ肉を抱えたリヨリが戻り、そのまま厨房に直行したタイミングだった。
リヨリがシエナに微笑む。
昨日、試しに作った料理は大成功だった、リヨリはたしかな手応えを感じていた。
「……?」
シエナが小首を傾げる。
一ヶ月の付き合いで、リヨリとシエナはすっかり打ち解けていた。歳が近く、境遇も似ているため、人見知りのシエナも懐いたのだ。
最近では、リヨリが作るご飯も美味しいと言って食べている。
だが、それが本心では無いのはリヨリも知っていた。シエナは、リヨリの料理で笑ったことが一度も無いのだ。
リヨリの中では、まだシエナに心から美味しいと言ってもらえていない。
「……よしっ、と……」
鍋からシチューを皿に盛り付け、シエナにホールに戻るよう促す。
サリコルが座っている隣にシエナを座らせ、三人分の料理を置いた。
「さ、晩ごはんにしよう!」
「……これって……」
とろみのついた白いスープに黒い肉と、色とりどりの野菜が浮かぶ。
散らされたパセリが目に美しい。黒い肉は白いスープの艶やかさを帯び、キラキラと輝いている。
「昨日のシチューと違うのねぇ……」
バターとスパイスの香りが食欲を刺激する。そして、どこかで嗅いだことのある懐かしい香りもする。シエナとサリコルの脳裏に、今は亡き父の、夫の笑顔が浮かんだ。
ごくり、とシエナの喉が鳴る。
「さあ、召し上がれ!」
リヨリの声に押されるように、シエナが木のさじを握る。その手は、少しだけ震えていた。
「いただきます……」
まずはスープを一口飲む。温かく柔らかな口当たりと共に、スパイスの風味を感じた。
もう一口。食べているはずなのに、空腹が強まっていく。
シエナが黒い肉を持ち上げ、震える手で口まで運ぶ。同じく黒い肉を食べたサリコルが驚き、目を見開いた。
「リヨリおねえちゃん……これ……」
シエナが言葉に詰まる。
「どうかな?シエナのお父さんのレシピで作った、キマイラシチューだよ!」
「これ……」
シエナが俯いた。
今までの料理も、どの料理人の料理も美味しかった。だが、どうしても亡き父と比較してしまっていた。
父の料理と比べると、物足りなく感じていたのだ。
それだけじゃない。心から美味しいと思うと、父との絆が断ち切られるような気もしていた。
だから、皮に包むように言っていた言葉がある。その言葉を言っていない気がしていたのは、シエナも同じだった。
サリコルが、にっこりと微笑む。
「大丈夫よ……お父さんも言ってほしいと思ってるわ」
母の言葉に、シエナが目を丸くする。
「これ……」
少女は意を決し、顔を上げる。
「……これ……おいしい!」
シエナは満面の笑みだった。そして、滂沱の涙を流している。
「本当に……お父さんの料理みたい……おいしいよぉ……」
左手で涙をぬぐいつつ、右手のさじは休むことなくシチューを口に運ぶ。
「そうね、あの人の味だわ……リヨリちゃん……ありがとう……」
サリコルも涙ぐんでいた。父が死んで以来、娘が初めて見せた笑顔だったのだ。
「へへ……これで修行は無事完了、かな?」
思わずもらい泣きをしていたリヨリが、目をぬぐいつつはにかんだ。