夜の魔物
ドラコキマイラはキマイラの亜種と呼ばれている。
キマイラの身体に龍の頭と翼が追加され、赤黒い体色を持つのが特徴だ。
遥かな太古、多個体同体の魔物全体の共通祖先から、双頭系統のキマイラと三頭系統のドラコキマイラに分岐し、そこから姿を変えることなく残っている。
ドラコキマイラは夜行性のため、昼の内は出てこない。
日の光が届かず昼夜の区別が存在しないダンジョンでも、太陽や月の位置関係による引力の差、地上の消費魔力の昼夜の変化の影響を受け、魔力の濃度に時間ごとの周期的な差が生まれる。
昼間より夜の方がダンジョン内の魔力が濃くなり、生存により多くの魔力を必要とする強力な魔物が目を覚ますのだ。
「防御力場、いつでも使えるように準備して」
緊迫した女性の声がリヨリに向けられる。リヨリはナイフを握り直し、さきほど受け取った札を取り出した。
大男は今までのように突撃せず、相手の出方を伺っている。
夜の魔物と戦わずに済むなら、それに越したことはない。
「まだ寝起きだろ……いつもの行動開始より二時間は早いからな……」
だが、ドラコキマイラに見逃してくれる気は無さそうだ。
突然、龍の頭が口を大きく開き、火球を吐き出した。
ドラコキマイラの炎は、キマイラの炎の息と異なり魔力由来だ。
二者は収斂進化により身体の見た目が似ているが、中身の構造はまるで異なる。
夜の潤沢な魔力の中で、捕食者も被食者もより強力に、狡猾になる夜に、ガスの炎などほとんど役に立たない。
大男の目の前で、間一髪、三枚重ねの防御力場が出現する。
二つの魔法はぶつかりあい、火球は炎を撒き散らし消失した。同時に防御力場の方も淡い輝きと共に弾けて消える。
もうもうと黒煙が立ち込める。
全身を覆う空気は、火事場を思わせるほどに熱されている。呼吸するだけで喉が焼かれそうだった。身体がチリチリと熱い。
大男は、その一瞬の内の判断で、炎で相手の視界も塞がれたと踏んで突撃する。
しかし、その斧の一撃は右翼に阻まれた。
「ちっ!」
ドラコキマイラの身体は、飛ぶようには出来ていない。だが、その翼は決して生殖のための装飾ではない。
龍の翼は長い年月を経て硬化し、防御用の甲羅にも似た形質を発展させている。すなわち、鋼にも匹敵する硬度を誇る龍鱗だ。
大斧を振り切った大男に向け、獅子と龍、蛇が同時に噛みつく。大男は斧を反転させ、柄で獅子と蛇の噛みつきをいなし、その反動で龍の口からも逃れた。
「圧空穿……」
同時に、空気を圧縮した白い槍が三発、キマイラに向けて飛んだ。眼鏡の女性の手の中で防御力場とは異なる札が白い光を放つ。
圧縮した空気を飛ばすのが、攻撃魔法の中では最もコストが低く、早く発動できる。
弾丸は大気中から無限に取り出せて、燃焼や凍結といった余分な工程を飛ばせるうえ、威力も申し分ないからだ。
空気の槍はドラコキマイラの構えた左翼に衝撃を与える。だが、鋼の翼を穿つには至らなかった。
龍の頭は女性に狙いを定め、火球を連発した。一方で獅子と蛇の頭が大男を狙う。
山羊は、二つの戦況を同時に把握しつつ、身体を動かす。左右の翼はそれぞれが意思を持っているかのように器用に動いた。
斧をいなし、飛び道具を防ぎ、他の三つの頭が攻撃しやすい位置に身を翻す。
次第に、大男は獅子の頭と蛇の頭からの防御に、眼鏡の女性は龍の頭の猛攻から自分とリヨリの身を守るのに、それぞれが手一杯になっていく。
これこそが、多個体同体の魔物が厄介な理由だ。
群れなし狩りを行う狼やライオンの恐ろしさを、ただ一体に宿す。身体の数で言えば二対一でも、実情は二対四だった。