焼きボーンフィッシュ
ダンジョンの深層には帯水層が変質した階層、通称“騒がしき揺籃の死海”があり、ボーンフィッシュを含めた異形の水棲魔物が潜んでいる。
地底の亀裂で海と繋がり、魔力を帯びた水が流出することでボーンフィッシュは内海でも生きられるのだ。
だが、彼女は、そこまで行ったわけではない。ダンジョンには潜ってすらいないのだ。
「おっとぉ!ミサヤ亭のハペリナ!彼女はダンジョンに潜らず、市場に行った数少ない料理人だ!すでに戻ってきていたとは!まさしく俊足!」
「市場から食材を買って戻るだけでも二時間は掛かるだろうに、まだ一時間半だぞ……」
「へへっ。ダンジョンに潜るくらいなら、マラソンの方が断然マシだしよっぽど早い、ってことね」
ベレリの呟きに、ハペリナが丸っこい顔に満面の笑みを浮かべて返す。
彼女はショートフォーク。
大人になっても身長は人の子供程度のサイズしかない、すばしこく、手先が器用な、感覚が鋭敏な種族だ。
背が低く、童顔なため人間の中で生活していると子供と間違われるが、彼女はとうに成人している。年齢的にはナーサよりも歳上だ。
戦闘能力は低いため、持ち前の俊足と持久力を活かし市場を往復する道を選んだのだ。
食通と審査員が食べる。
「上品な塩気ねぇ、お店にあれば絶対頼んじゃう料理だわ」
「塩味の染み具合が良いな。振っただけじゃこうはいかないけど、干物にしては淡い感じが……塩水に浸けて来たのかな」
シイダの頷きに吉仲が続ける。ハペリナが驚いた。
「へぇ、真ん中のニイちゃん、よく気づいたね。ただ魚を持ってくると、この暑さで悪くなるかもしれないから、塩と氷を入れた水で冷やして来たのさ。保冷の効果だけじゃなく、それが味付けになってるんだ」
審査員長が頷く、文句なしの味だった。
「遠方の市場と往復して、焼き魚の高い水準を保つ技術と味の工夫。……ミサヤ亭ハペリナ!合格!」
「よっし!……さて、ウチのアンちゃん達はどっかな?」
ミサヤ亭で合格した人間達、そして落ちた人間達がハペリナを囲む。ハペリナが、ミサヤ亭の店長なのだ。
「……ふんふん、アタシを入れて八人中四人合格、まだ審査してないのが二人か。悪くないね。落ちた奴は、これから一ヶ月店の掃除と皿洗いだよ!……おっと……」
ハペリナの合格を持って、枠は残り三人。審査時間は残り二十分を切っている。
「……なあナーサ、リヨリとフェルシェイルはまだか?」
<そうねぇ。まだ見えないわねぇ、門から入ってきた人は全員チェックしてたけど……>
「今から料理となると、難しい気がしますね……」
吉仲は立場的に誰かに肩入れすることはできないが、やはり二人の動向は気になった。
ナーサもヤキモキしているらしい。
全ての調理台が埋まり、後続は順番待ちが発生している。百人に対し調理台は二十台、既に十名ほどが捕獲した食材の下処理を終えて待っている。
新たに、三人の料理人が吉仲達の前に立った。
「レストラン・ドヴァイ、料理長ラクレフ。審査を請う」
「ミサヤ亭トーマです、お願いします!」
「鴎屋のセガルだ!審査を頼むぜ!」
黒毛のウルフフォークの料理人と、トーマ、そして羽を短く刈り込んだシーガルフォークの料理人が同時に料理を並べた。
ハペリナがニヤリと笑う。
「……そう言ってる間にトーマか」
トーマは、ミサヤ亭のコックの中では一番の若手だが、最も勉強熱心だ。
店が休みの日もイサの元で修行し、最近の遠征の敗北以降、より一層腕を磨いている。
「あら、ラクレフさんにトーマさん、セガルさんも」
三人とも、マルチェリテの知り合いでもある。
トーマは、吉仲に微笑みかけた。その瞳は自信に満ちていた。吉仲は、微妙な微笑みで返す。
<この三人で決まると、終わっちゃうわよリヨちゃん……>
「……ああ」
だが、吉仲にはどうすることもできない、審査をするのは吉仲ではないからだ。もっとも吉仲だったとしても手心を加えるわけにはいかないが。
審査員がそれぞれの取り皿に手を伸ばす。
「――ちょぉっと待ったぁぁぁ!」
試食が始まるちょうどその瞬間、リヨリとフェルシェイルが門から高らかに叫んだ。