晩餐会
吉仲は後悔した。絶望と言っても良い。
さっきまでなんとかなりそうなんて思っていた自分を、殴り倒したい気分だ。
あまりに場違い過ぎた。さらに言うと、テーブルマナーが分からない。
この世界の晩餐会も、位の高い人間達の会食の例に漏れずコース料理だ。
料理を食べることより会話をすることに比重が置かれる。それでいて、料理もしっかり味合わなければいけない。
つまり、知らない人間と上品な会話、最低でも料理についての会話が出来ない人間は置いていかれる場でもある。
さらに純白のナプキン、料理ごとの曇り一つないフォークとナイフ、花びらのあしらわれた瀟洒なフィンガーボウル。これらを正しく使う能力も求められる。
マナーとは他者を不快にさせないことだが、上流階級の世界では、麗しい所作を正しくできることという意味も内包する。
晩餐会の出席者は二十名、大広間の長テーブルに十人ずつ、対面になって座っている。
席は決まっていて、吉仲は入り口近くの末席に座らされた。
大学の頃友人に誘われた、知ってる人間がほとんどいない飲み会を思い出す。居心地が悪すぎる。
頼みのマルチェリテはテーブルの中頃だ、気軽に話かけられる距離ではない。
マルチェリテもこちらを気にしつつも、自分の隣、盛り髪の女性との談笑から逃げられないらしい。
隣は不機嫌そうな顔の太った小男。目の前はヨボヨボの老人。二人とも吉仲とは反対隣の人間と話をしている。
「……あの末席の、随分と大人しい方じゃのう……」
「……なんでもさる方のご推挙だとか……」
「……それにしては……物静かなご様子ですことね、慣れていらっしゃらないのかしら……」
少し離れた所から聞こえるこんな声も、まだ囁き声だからマシな方だった。
「――ホホホ。おそらく生半可な舌の、食通気取りのお坊ちゃまに世間の厳しさを教えようというところでしょうかねぇ!」
「いくらなんでもそこまで言っては可愛そうでしょう、フフフフフ!」
「いやまったく。ただ都で一番の食通を決めるこの場に、なぜあのような若者が座れるかは疑問ですがな。ハッハッハ!」
上座、部屋の奥の方に座る人間達は部屋中に轟く大声で笑い合っているのだ。歳は吉仲とそう離れていない。
だが、上座の人間達は位が高いのだろう。
マルチェリテをはじめとして、周囲の食通達の中にはその物言いに顔をしかめる者もいたが、表立って批判する者はいない。
この場に集った食通達はほとんど貴族や大商人、一線を退いた名料理人だという。
上座の人間達は、余りに不躾な言葉とは対象的な、きらびやかな身なりと洗練された立ち居振る舞いをし、端正な顔には自信が漲っている。
就職浪人でバイトだった吉仲からすればまったく接点の無い人間たちだ。
ただひたすら恐縮するばかりで、置かれた前菜を食べても味がしない。無遠慮に向けられる当てこすりにも何のリアクションもできなかった。
無限の時間にも感じられたが、実際には十分も経っていない。コースはまだ一品目だ。
舌は麻痺して、目は硬直したように動かせない。じっと前菜が置かれていた空き皿を凝視するばかりだ。なぜか声だけは、やけによく聞こえた。
上座の方から、扉を開ける音がする。
吉仲達が入ってきた扉以外に、奥にも扉があったらしい。
誰かが開けて入ってきた。藁にもすがる思いで、吉仲はそちらを見る。
食通達も全員扉を見ていた。今や誰も、吉仲のことなど見ていない。
白髪をカールさせ、背筋をピンと張った小柄な老人が入ってくる。
食通達が食器を置き、居住まいを正す。どうやらこの老人は集まった人間達より偉いらしい。
「これはこれは宰相閣下。本日はお招きいただき光栄です」
老人――宰相が入ってきた扉に近い貴族、吉仲への当てこすりで笑っていた首席が立ち上がり、宰相へ向けて唄うような口調で恭しく礼をした。芝居掛かっている。
この国は、王政を敷いてはいるが、王がそのまま政を執り行うことは少ない。
王に代わり貴族議会、市民議会と官僚組織を束ね国政運営を行う、立法と行政の長が宰相だ。
実質的には王と同等の権力を保有している。
宰相は厳しい視線で貴族を一瞥し、礼を手で制した。そのまま扉の横に立つ。
まだ他に誰かが入るらしい、それも、宰相より偉い人間が。