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一度書いた話を手直しして上げているのですが、今話はほぼ書き直したため更新遅れてしまいました。

後半、残酷な描写・流血表現注意です。



(は……?)


 ついていけない状況にリゼットはしばらく固まっていた。

 今、何と言った?

 ――求婚。

 結婚を申し込むことだ。

 その事実がリゼットの頭にゆっくり浸透していく。理解するにはもうしばらく時間がかかった。


(何を、言ってるの……?)


 冗談にしても笑えない。

 暗闇に慣れた目でフェルナンの瞳を見つめる。

 フェルナンは甘く微笑むだけだ。

 冗談なのか本気なのかは読み取れない。

 ゆっくり立ち上がったフェルナンはリゼットの手を優しく握る。


「君はやりたいことがあるのだろう? 僕はそれを応援しよう」


 リゼットを気遣うような穏やかな声音。

 初対面のときとはまるで別人だ。


「本を読みたいなら読めばいい。学びたいなら学べばいい」


 前回会ったとき、本など読めるのかと侮辱してきた人とは思えない台詞。

 どちらが本音なのか。何が目的なのか。


「それに……僕と結婚すれば、社交もそれほど出なくていいよ。僕は爵位は持ってないからね」


 それはどうだろうか。

 爵位を持たずとも、フェルナンは今夜の夜会に参加している。扱いはほとんど貴族と呼ばれる人間たちと同じではないのだろうか。


「爵位の有無は結構大きいよ。今日だって本当は僕は呼ばれていない。もちろんこっそり入り込んだわけじゃないよ。知り合いの伝手で参加させてもらったんだ」


 わざわざこの夜会に潜り込んだということか。

 商売をやっている家だ。いろんな伝手があるのだろう。


「君に会うために、ね」

「……」


 どこまで本気なのだろうか。

 じっと見つめても、フェルナンは真意の読めない笑みを浮かべるだけだ。仮面のように。

 本気なのか、からかわれているだけなのか。

 可能性としては後者の方が大きい。

 前回会ったとき、リゼットはフェルナンの頬を殴った。仕返しに来たと考えた方が納得できる。

 ――けれど。


(価値と言ったわ)


 リゼットに価値があるから求婚すると。

 なんて打算的で、回りくどい。

 まるで言い訳をつけてリゼットに結婚を申し込んでいるみたいだ。

 そこまでしなくとも、別のやり方で報復はできるはずだ。


「僕の手を取れば君の望みの多くは叶う。そう思わないかい?」


 リゼットの望み。

 それは学ぶこと。社交界から遠ざかること。

 大学に入ることは今となっては本当の望みだったのかはよく分からない。社交界から遠ざかるための手段に過ぎなかったのかもしれない。


「家族の望みも叶えられる。皆君が結婚することを望んでいるんだろう?」


 よく調べてある。

 リゼットの望みも。リゼットに望まれていることも。その上で、全てまとめて解決すると。

 悪魔の囁きのように魅惑的な誘いだ。


(……でも)


 フェルナンに握られていた手をすっと抜く。

 冗談でも本気でも、フェルナンの話は受け入れ難い。

 確かにフェルナンの提示した話は魅力的だった。けれど、だからこそ受け入れ難い。フェルナンはリゼットにとっての利点しか話していないから。

 話されたことが全てだと盲目的に思える程、信用できる相手ではないから。

 リゼットは首を横に振った。


「そう。残念」


 フェルナンはおどけた調子で肩をすくめた。

 あまり残念そうには思えないあっさりとした態度だった。やはりからかわれていたのだろうか。


「またね」


 立ち上がったフェルナンはくるりと背を向け暗闇に消えた。


(……笑った?)


 リゼットに背を向ける直前、フェルナンが笑ったような気がした。今まで見せていた単純な作り笑いではなく、もっと複雑な感情の入り混じった、けれどどこか優しい微笑み。そんな表情を浮かべている気がした。

 暗い夜だ。リゼットの見間違いかもしれない。

 けれど――違和感。

 初対面のときとはかなり印象が違ったせいだろうか。何がとは言えないけれど、何かが違う気がした。


(そういえば、わたしの価値って何だったのかしら? ……あら?)


 ふとリゼットの耳が微かな音を拾った。人の声だ。

 暗い庭のどこかで、誰かが会話しているらしい。


「……警備……問題な……」

「………………」


 ほんの少しだけ聞き取れた内容から判断すると、王宮を警備する者たちの会話みたいだ。

 王宮で夜会が開かれているのだ。警備も厳重に配備されていることだろう。


(大変なのね……こんなに暗いのに)


 それに今夜は少し冷える。外にずっといては寒そうだ。

 冷たい風が首元を通り過ぎていく。

 ぶるりと身体が震えた。

 両手でさするようにした腕はひんやりと冷たい。そろそろ戻った方が良さそうだ。あまり気は進まないが。



 *



「――リゼ! どこ行ってたんだよ、もう」


 大広間に戻ってすぐに酒臭いディオンに捕まった。

 リゼットは顔を顰め、少し距離を取った。


「酷いなぁ、リゼが見当たらないから探してたっていうのに……」


 リゼットの反応にディオンは子供っぽく口を尖らせた。


(酔っ払い……)


 リゼットは冷たい視線をディオンに送る。

 これは相当飲んだに違いない。


「あはは、リゼは本当に母さんにそっくりだね。さっき母さんにもそんな目をされたところだよ」


 楽しそうなディオンはぽんぽんとリゼットの頭を叩く。リゼットは鬱陶しそうにその手を払おうとする。


「飲み過ぎちゃったんだよ。自覚はなかったけど、リゼと一緒に夜会に来られて舞い上がってたみたいだ」


 リゼットの頭を叩くのをやめたディオンは、照れくさそうに頭をかいた。

 リゼットはまじまじとディオンを見つめた。

 意外だ。

 ディオンがそんな風にリゼットに影響されるなんて。

 ディオンは型破りではないが、それなりに自由な性格だ。振り回す側のイメージがあったし、リゼットがいようがいまいが影響はないと思っていた。リゼットに関心がないと思っていたわけじゃない。ただ、ディオンはどちらにせよ好きに振る舞うのだろうと思っていたのだ。


「綺麗に着飾ったリゼが見れて嬉しいよ。一生見ることができないかとひやひやしていたからね」


 リゼットはエリーヌとのことがあってからずっと社交の場に出ることを拒んできた。

 ドゥシー家の屋敷で開かれる茶会すらも参加してこなかった。

 その上、年頃になったというのに大学を目指すと言い出すのだから、ディオンの危惧ももっともだった。

 ベアトリスが動かなかったら、ディオンの言葉が実現していたかもしれないだろう。

 リゼットの胸が罪悪感でちくりと痛む。

 父も母も兄もリゼットがここにいることを望んでいる。この、空虚で華やかな世界にいることを。けれどリゼットはここが苦手だ。理由は分かったけれど、克服できるかは分からない。


「暗い顔だね、リゼ。どうせまた変なこと考えてるんだろうけど」


 ピンッと額を指で弾かれた。

 地味に痛くて、額を押さえたリゼットはディオンを睨み上げる。


「あはは」


 何がおかしいのかディオンは陽気に笑った。まあ、たいていの場合ディオンは笑っているが。


「ま、たくさん悩むといいよ。悩むことができるのは、幸せだよね」

「……」


 首を捻る。

 幸せなのだろうか。

 自分ではとてもそうは思えないが、ディンから見ればそうなのだろうか。


「ねぇ、リゼ。俺も父さんも母さんも大学へ行くこと自体を否定してはいないよ」


 けれど応援してもいなかった。

 リゼットは首を振る。

 もういいのだ。大学の話は。

 エリーヌを避けたいその一心で目指すべきところではないのだから。


「大丈夫。リゼの意思に反してまで強引なことはできないよ、両親(あの人たち)は」


 リゼットの否定のジェスチャーをどう受け取ったのか、ディオンは含みのある笑みを浮かべた。

 リゼットは小首を傾げる。父はともかく母は強引な方だと思うのだが。


「あらあら、ディー。何の話かしら?」


 いつの間にやらベアトリスがディオンの背後に立っていた。

 扇子をゆらゆらと揺らすベアトリスはうっすらと笑みを滲ませる。

 振り返ったディオンは驚くこともせず、ああと笑みを見せる。


「父さんと母さんはリゼに甘いって話だよ。というか母さん、ディーはやめて欲しいんだけど」

「嫌よ、ディオンなんて長くて呼びにくいもの」

「名付けたのは父さんと母さんなんだけど……」


 ディオンは溜息を吐きつつ、乾いた笑みを浮かべた。

 ディオンは愛称で呼ばれることがあまり好きではないらしい。ベアトリスに呼ばれる度に訂正を求めているが一向にベアトリスは受け入れない。「リゼ」と愛称で呼ばれるのが結構好きなリゼットにディオンの気持ちはよく分からない。

 ベアトリスに腕を貸すエドガールが穏やかににこにこと笑う。


「違うよ、ディオン。名付けたのはベアトリスだ。リゼットは私だが」

「なお悪いじゃないか……いや、名前に不満なんてないけどね。呼びにくいなら呼びやすい名前にしときなよ……」

「あら、わざわざ縮めて呼ぶからいいんじゃない」


 不敵に笑うベアトリスに、ディオンは諦めたように息を吐いた。


「ところでリゼはどこ行ってたの? 外?」


 投げやりぎみなディオンの問いに家族全員の視線がリゼットに移る。

 途端、笑っていたベアトリスが心配そうに眉を下げた。


「リゼ、あまり一人でうろついては駄目よ。寒くなかった?」


 一人でうろつくなと言われても、ディオンには放置されていたし、エドガールとベアトリスは踊ったり話をしたり忙しそうにしていた。他に知り合いのいないリゼットは、一人で行動するしか選択肢はなかったのだが。

 エドガールもまた笑みを打ち消し、眉間にしわを寄せた。


「アデールの息子と一緒にいたと聞いたが、本当なのかい?」


 初め、リゼットがフェルナンに声をかけられた場所は簡単に大広間から見えるところだった。誰かが見ていたとしても不思議はない。もしかすると手を引かれたところも見られていたかもしれない。他人の目からあれはどう映るのだろう。

 それからよく分からないままに求婚されたことを言うべきかどうか。

 とりあえず少しの間一緒にいたのは本当のことだ。こくりと頷く。

 ――それと、ほぼ同時だった。


 ――ガシャン!


 ガラスの砕け散る鋭い音が、大広間に響いた。

 星の欠片のようにキラキラと破片が舞い散る。

 閉め切られていた窓が一つ、無残に破壊されていた。

 一瞬の静寂の後、悲鳴が上がった。

 けれどその悲鳴をかき消すかのように、大きな足音が雪崩れ込んでくる。暗闇から現れた、たくさんの人影。全員が全員、武器を持っていた。

 彼らは近くにいた紳士に棍棒で襲いかかり、背を見せた淑女にナイフを突き立てる。

 悲鳴と罵声と狂ったような笑い声。ほんの少し前までの華やかで優雅な空間はもうここにはない。


「リゼ!」


 混乱しながらも、ベアトリスがリゼットの腕をぐいと引く。ディオンとエドガールは二人を庇うように立つ。

 ベアトリスの手は、震えていた。リゼットの肩もまた震えていた。

 皆、扉に向かって逃げていた。

 侵入者は窓から、つまり外から来た。逃げ道は扉の向こうにしかない。

 けれど、扉は閉ざされていた。人集りが扉を開けろと叫んでいる。


「……不味いわね。リゼ、手を放しちゃ駄目よ」


 こくりと頷き、きゅっとベアトリスの手を握る。

 扉がみしみしと不穏な音を立てて、開く。同時に悲鳴が上がった。

 血が流れ、人が倒れていく。扉の外にも襲撃者がいたのだ。


「やっぱり……最悪ね」


 ベアトリスが顔を顰める。


「うわ、よくこれだけ集めたね……」


 扉からも雪崩れるように人が入ってきて、ディオンの表情がこわばる。けれどその手には襲撃者から奪ったらしい棍棒が握られている。いつの間に。


「数が多いのは厄介で困るね」


 エドガールは頷きながら、困った表情を浮かべる。手にはいつの間にか杖が握られていた。あれは襲撃者ではなく倒れている紳士から奪ったものなのだろうか。やけに高級感がある。

 ともかく、二人は応戦していた。

 二人が戦えるとは知らなかったリゼットは驚くばかりだった。

 けれど多勢に無勢。二人の他にも武器を奪い、応戦する人たちはいたけれど多くはない。次々と人が倒れ、血が流れていく。

 エドガールの前に大柄な男が立った。男が斧を振るうと、エドガールの持っていた杖は簡単に折れてしまった。男の蹴りがエドガールの胴に入る。床に倒れたエドガールは起き上がらなかった。


「あなた!」


 ベアトリスの叫び声に、顔を布で隠した男の瞳がベアトリスを射貫く。


「!」


 ベアトリスがぐいとリゼットの手を引いて男に背を向ける。

 手を引かれたリゼットが背を向ける直前、男の前にディオンが立つのが見えた。


(どうして……)


 何が何やら分からないまま、惨憺たる大広間の中をリゼットは走った。

 涙と共に嗚咽がこぼれる。何かが口から出て来てしまいそうだった。


「――っ!」


 横たわった人につまずいて、転ぶ。流れ出ていた誰かの生ぬるい血に手をつく。

 むせ返りそうなその臭いに、堪えていた何かが胃からせり上がって来そうだ。


(なんで……)


 早く立ち上がって、逃げなくてはいけない。

 頭では分かっていても、身体が動かなかった。震えて力が入らなかった。


「リゼ!」


 ベアトリスがリゼットを抱きしめるように覆い被さった。

 温かくて優しい腕の中。何も見えなくなる。恐ろしい光景など何も――。

 鈍い音が頭の上で聞こえた。

 リゼットの肩に回していたベアトリスの腕から力が抜ける。ずしりと重さがのしかかる。

 ――重い。


(何、が……)


 分からない。分かりたくない。

 ずるり、とベアトリスの身体がリゼットの上から落ちる。

 抵抗もなく床に転がったベアトリスから目が離せない。目を閉じ、力なく横たわるベアトリスから。


(何故――)


 今夜なのだろうか。

 この国は平和だ。表面上は、平和だった。

 それは、隣国があまりにも過激だったから。

 隣国の二の舞になることを避けたから。

 それは、この国にも不穏分子がいたことを意味する。

 王家が途絶え、貴族が滅んだ隣国。

 王族も貴族も未だ華やかに生きる自国。

 どうすれば貴族たちからその地位を奪えるのか、民衆はもう知っている。隣国に学んだ。

 足音が近付いて来る。

 誰かが何かを喚いている。汚い言葉。言葉よりも自分の価値をすり減らしてしまいそうな低俗な言葉。誰かを傷つけるための言葉。


「――死ね!」


 鈍い音が頭の奥で響いた。


ありがとうございました。


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