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 ――凄惨な夜が明けた、朝。

 サミュエルは憂鬱な気持ちで目を覚ました。


 昨夜は恐ろしい騒ぎだった。

 怪しい集団とすれ違った後、家に帰ったサミュエルは、言い知れない不安のためになかなか寝付けず、クレマンに借りた論文をろうそくの明かりの下で読みふけっていた。


 そろそろ論文も読み終わる、というときだった。

 喧嘩でもしているような荒々しい声が外から聞こえた。普段であったら絶対に様子を見に行くことなどなかったが、そのときは、一人でその声を聞いている恐怖の方が上回った。ずっと気味の悪い不安を、胸騒ぎのようなものを感じていたせいだろう。


 サミュエルは家を出て、外の様子を見に行った。

 同じような不安を抱えた人がたくさんいたのか、外には怯えたように暗い顔をした人がちらほらいて、喧嘩の様子を眺めていた。酔っぱらい同士の喧嘩は珍しいものではないが、内に抱えた不安をぶつけ合うように彼らの喧嘩は激しく、とても見ていられるものではなかった。

 目を逸らしたサミュエルは、喧嘩など目もくれず一方向へ向かっていく人々を見た。集団ではないが、誰かに誘導されたかのように一つの方向にばらばらに向かっていく人々を。気になったサミュエルは彼らと同じ方向を目指すことにした。背後では、喧嘩がまだ続いていた。


 集団とは言えないばらけた動きをする人々の向かった先は、王宮だった。普段閉じられていることの方が多い門が開き、その中へ人々が殺到していた。サミュエルはその中へ入ることは躊躇した。恐ろしい熱気が渦巻き、狂気に陥ったかのように騒ぐ人々に混じるのは、危険だと思ったからだ。同じように判断した人は門の前に固まり、血気盛んで少々向こう見ずな人は門の中へと飛び込んでいった。何が起きているのかは、よく分からない。普通ではないことが起きているというのはよく分かった。


 中に入るのは危険だが、何か分かることはないだろうか。そう思い、サミュエルは王宮の裏手に回ってみることにした。似たような考えの者はやはりいて、王宮の裏の門にも正門より数は少ないが人の群れがあった。しかし彼らは裏門をこじ開けようとはしていない。慎重な者が多いのか、サミュエルのように様子を窺うことが目的なのか、不安げに囁き合って王宮の大きな建物を見つめていた。


 今夜は眠れそうにない、とその場を離れようとしたとき――裏門が開いた。





「司書長、おはようございます」

「おう、サミュエル。浮かない顔だな。まあ、今日は街全体が沈んでるが」


 苦笑する司書長の表情もまた、暗いものだった。司書長の言葉通り今日の街は重く暗い空気が漂っていた。昨夜の事件は瞬く間に街中に広がっていたのだ。


 王宮が襲われた、と聞くと多くの者が隣国の革命を真っ先に思い出したことだろう。人によっては嬉しい報せかもしれないが、この街で快適に過ごしていた多くの人にとっては不安立ちこめる話だ。


 この国で革命は起こりえない。打ち倒す王権はもはやないからだ。では、昨夜の襲撃は何だったのか。危険因子がこの国にもいるのか。不安が不安を呼ぶ。


「……司書長、今日休みを頂いてもいいですか」

「何か用事か? どうせ今日は来館者もほとんどいないだろうから構わんが」


 今日、呑気に外を出歩く人は少ないだろう。昨夜の一件で何もかもが終わったわけではないのだから。


 今朝配られていた号外新聞によると、王宮を襲った多くの人間は捕まったらしい。だが、首謀者と言えるリーダー格の人間は逃げ延び、未だどこにいるのかは分かっていない。いつどこでまた同じようなことが起こるかは分からないのだ。昨夜は王宮が襲撃目標だったが、人が集まるところならばどこでもいいのかもしれない。例えば劇場、例えば市庁舎、例えば美術館や博物館、図書館――。


「――あのっ、こちらにお嬢様は、いらしてないでしょうかっ!?」


 静かだった館内に、女性の大きな声が響いた。

 カウンターの側で話をしていたサミュエルと司書長はびっくりしながら入口に目をやった。


「あ! 貴方『サミュエルさん』じゃないですか? お嬢様の日記に書かれていた……」


 初老にさしかかったぐらいの女性がサミュエルに詰め寄ってきて、サミュエルは思わず後退る。


「は、はい、サミュエルです。お嬢様って、もしやリゼットさんのことでしょうか?」

「そうです! お嬢様の居場所を知りませんか!? 昨夜、お嬢様だけが屋敷に戻ってこなかったのです! 何か知りませんかっ!?」

「なあ、おい。それってまさか、お嬢さん、昨夜あの王宮にいたのか?」

「はい……昨夜はご家族で王宮の舞踏会に出席なさって……初めてご家族揃っての夜会でしたのに、それなのに、あんなことになるなんて……!」


 目元を拭う女性は今にも泣き崩れてしまいそうだった。

 サミュエルは呆然と女性を見つめ、ぽつりと呟く。


「――見、ました……見間違いかと思っていましたが、リゼットさんに似た少女が男に担がれて、王宮を去って行くところを」

「本当ですか!?」


 女性ががっしりとサミュエルの両手を掴む。


「今すぐ、来てください!」

「は、どこに……?」

「お屋敷です!」


 女性は問答無用とばかりにサミュエルをずるずると引きずって歩き出す。ものすごい膂力だ。


「え、あの、司書長!」


 慌てたサミュエルは振り返り、司書長に助けを求める。

 もともとサミュエルには女性の要求を拒否するつもりはなかったのだが、思わず司書長に助けを求めたのは、女性の引っ張る力が余りに強く腕が引っこ抜けそうだったからだ。


「ん? どうした、サミュエル。おまえの休暇申請はもう受け入れたはずだが」

「え、あ、はい。では、行ってきます……?」

「ま、気をつけてな」


 司書長にサミュエルを引き留める理由はなく、サミュエルは見送られて、図書館を出た。



 到着した屋敷は立派な門構えで、サミュエルが尻込みするのには充分な豪邸だった。


「――ディオン様、お止めください!」


 そんな豪邸の手入れの行き届いた立派な庭で、女性の悲鳴のような声が響いた。


「大丈夫だって。俺の怪我は、本当に大したことないから」


 馬車の前で、何やら身なりのいい男性と使用人らしき女性が言い争っている。男性の方はどこか雰囲気がリゼットと似ていた。おそらくリゼットの兄弟だろうとサミュエルは見当をつける。


「ディオン様! お目覚めになられたのですね!」


 サミュエルを連れてきた年嵩の女性が喜色に染まった声を上げ、ディオンと呼ばれた男性に近付く。ディオンは苦々しい表情を浮かべた。


「うわ、増えた……って、ルーチェ後ろの人、誰?」

「サミュエルさんです。昨夜お嬢様を目撃した貴重な人物でございます」


 不思議そうに首を傾げたディオンに女性は淡々と答え、サミュエルを前に突きだした。ディオンはサミュエルを観察するように見つめてから、にっこりと笑う。


「へぇ、君が。よし分かった。君も連れて行こう」

「へ、あの?」

「話は馬車で移動しながらいくらでもできるよ。さあ、乗った乗った!」

「え、は、はぁ」


 勢いに流されるまま馬車に乗ったサミュエルは、何が何やら分からないまま、ドゥシー邸を後にした。後ろからは、ディオンの名を呼ぶ女性使用人の声が悲痛に響いていた。


 馬車に乗ってしばらくは気まずい沈黙が続いていた。

 サミュエルは何が何だか未だによく分からず、ディオンに訊ねようにも彼は考え込むように目を伏せていて声をかけづらい。

 しばらくの時間が過ぎた後、ふとディオンが顔を上げ、サミュエルの顔を見つめた。


「サミュエル」

「は、はい」


 唐突に名を呼ばれ、反射的に返事をする。

 こちらを見る目は真剣で、何を言われるのだろうかと無意識に身構えてしまう。が、そんなサミュエルの緊張とは裏腹に、ディオンは言った。


「――って、名前長くない?」


「……はい?」


 真剣な表情で何を言い出すのかと思えば、名前。拍子抜けしてしまったサミュエルに構わず、ディオンは続けて問う。


「サムでいい? 呼び方」

「はぁ、好きに呼んで下さって構いませんが……」


 名前なんかよりも、もっと話すべきことがあるのではないだろうか。

 余裕があると言えば聞こえは良いが、どこか呑気な人だと、不安になる。


「俺のこともディオンでいいよ。あ、俺リゼ――リゼットの兄ね」


 ディオンはにこり、というには些か挑発的な笑みを浮かべた。


「気になってたんだけど、サムってリゼの恋人なの?」

「こここ、恋人!? そんな恐れ多い!」


 サミュエルは耳を疑った。どうしてそんな話になるのか。

 一体リゼットはサミュエルのことを何と家族に話しているのか。


「あはは。なんだ、違うのか。サムの名前が書かれた帳面ノートをリゼが大切にしているって聞いたからてっきり」


 サミュエルの反応にディオンは愉快そうに笑い声を上げた。


「まあでも、リゼ可愛いでしょ。不器用で変なやつだけどね」

「はい。可愛らしくて魅力的な方です。しかし、不器用かはともかく、変だと思ったことはありません……自分はあまり女性と関わる機会がなかったものですから」


 ディオンがきょとんとした表情を浮かべたかと思うと、途端、声をあげて笑い出した。


「サム、素直とか真面目ってよく言われるでしょ」

「ええ!? よく分かりますね」

「誰でも分かるよ」


 くすくすと笑いの余韻を引きずったディオンは、次の瞬間には纏う空気を変えた。


「――さて、そろそろ本題に入ろうか」


 ディオンの表情から笑みが消える。車内は一瞬にして、ピンと糸が張り詰めたような緊張感で満たされた。


「昨夜、リゼを見たって言ってたよね。そのときのこと、教えてもらえる?」

「――はい」


 一度、唾を呑み込み、喉を湿らしてからサミュエルは昨夜のことを話し出した。


 昨夜、リゼットらしき少女を見かけたのは、サミュエルが王宮の裏門に回ったときだった。

 突然、裏門が開き、男が姿を現わした。人々が手に持つ明かりに照らされて、彼が誰かを担いでいるのが見えた。それがドレスを着た女性だということはすぐに分かった。綺麗に整えられていただろう髪型は崩れていたが、それでも明かりを跳ね返す綺麗な淡い金髪に目が行った。そしてリゼットの髪色と同じだと、そう思ったのだ。


「……髪の色だけ?」


 ディオンが呆然とするのも無理はない。

 髪色だけで人物を特定するなど馬鹿げているのだから。同じ髪色をした人などいくらでもいる。それこそ、色だけなら、ディオンもリゼットと同じ色だ。


「はい。ですので、あれが本当にリゼットさんだったのか、確信はありません……。ですが、その後は馬車に乗ってどこかへ去って行ったんです。あらかじめ王宮の外に馬車を用意してなくては、そんなことできません」

「あらかじめ用意しておけるのは、あれが起きることを知っていた者だけ……で、リゼがいなくなったと聞いたから、それを結びつけたんだね? 事件に関わっている人物がリゼを誘拐したんじゃないかって」

「……はい」

「うん、たぶんあってると思うよ。サムが見たのはリゼで、犯人は襲撃に関わっている。リゼを連れてった男の顔は見た?」

「いえ……よく見えませんでした。背の高い細身の男で、髪を一つに結んでいましたが……」

「へぇ」


 にっ、とディオンが唇の端をつり上げた。


「それは良い情報を聞いた。俺の読みは間違ってなさそうだ」

「え? そういえば、この馬車ってどこに向かってるんですか?」


 流されるままに乗ってしまい、そのままディオンの調子に呑まれて話してしまったが、行き先を聞いていない。窓の外の景色を見るに、明らかに街の外へ向かっている。


「国境だよ」

「え……え? ……国境?」


 耳を疑った。


「うん、国境。共和国とのね」


 もう一度さらりと言われて、サミュエルは頭を抱えた。


「何日、かかる場所ですか……! 無断欠勤……」


 国境など今日明日で行って帰って来られる場所ではない。

 今日休むことは伝えてあるが、明日以降のことは何も伝えていない。


「あれ、そのぐらいの覚悟で来てくれたんじゃないの? 今すぐ降りる?」

「覚悟も何も、無理矢理乗せましたよね……!?」


 悪戯げに笑うディオンを恨めしく見つめる。

 が、すぐに思い直す。

 ディオンが馬車に乗せてくれなかったら、リゼットの無事が分からず仕事なんて手に付かなかったに違いない。助けに行きたくとも、居場所も分からず、長距離を移動する手段も持っていないサミュエルにできることは高が知れる。ディオンの気まぐれにしろ何にしろ、こうして連れてきてもらえたことはすごく運が良いのだ。

 司書業務の放棄については、ひとまず頭の隅に追いやっておく。リゼットと仕事を秤にかければ、当然のように、リゼットの方に傾くのだから。


「向かう先が決まっているということは、そこにリゼットさんが居るんですか?」

「そうだよ。俺の推測通りなら、犯人はそこへリゼを連れて行くはずだ」

「え!? 犯人が分かってるんですか?」


 驚きにサミュエルは身を乗り出す。犯人も行く先も分かっているのならば、サミュエルの話を聞くまでもなかったのでは。


「違う可能性もあったけど、サムの話で確信できたよ。犯人はアデール家だ。リゼをさらったのは長男のフェルナンだろうね」

「……アデールって、確か大きな商家ではなかったですか? そんな家が何故、リゼットさんを……?」

「あー、どう説明したらいいかな……まあ、あの家とうちにちょっとした因縁があるってことで納得してもらえる?」

「……」

「無理か。でも気軽に人に話すことじゃないんだ。悪いね」


 少しも悪びれた様子のないディオンは、苦みの混じった笑みを見せた。



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