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 混乱の最中にある夜の街を一台の馬車が駆け抜ける。街の外へ向かって。

 馬車の中は沈黙で満たされていた。


(思えば、不自然だったわ……)


 リゼットは冷静に思考を巡らす。

 正面に座るフェルナン・アデールを油断なく見つめながら。


 彼はおそらく今宵の王宮襲撃に加担していた。

 王宮が襲撃され、リゼットが危なくなったとき、彼は剣を手にして現れた。

 だが、フェルナンはどうやって剣を手に入れた?

 正式に夜会に参加していたフェルナンが初めから剣を所持していたはずがない。だからあの剣は、襲撃が起きてからフェルナンが手に入れたもののはず。

 しかし奪ったものである可能性は低い。

 まず剣を持った襲撃者はリゼットの見た範囲ではいなかった。

 加えて、フェルナンの握る剣はずっと鞘に収まっていた。

 誰かから剣を奪ったというのなら、鞘から出た状態の剣を奪うことになるはずだ。剣を持っている人間があの状況で鞘に収めたまま、というのは考えにくい。

 おそらくフェルナンは、受け取ったのだ。奪ったのではなく。

 夜の庭でフェルナンと別れたとき、リゼットは彼がどこへ立ち去ったのかは確認していない。

 考えられるのはあのときだろう。それから少しして騒ぎは起きたのだから。きっとあのときフェルナンは仲間から剣を受け取った。

 剣を鞘から抜かなかったのは必要がないと知っていたから。

 大広間からも王宮からも驚くほどスムーズに逃げ出せたのは、襲われなかったから。

 フェルナンがリゼットの前に現れてからの逃走はあまりにも上手く行き過ぎだった。

 決定的なのは、馬車が用意されていたこと。

 初めから、フェルナンはこの騒ぎが起きることを知っていて、リゼットを連れて逃げる気だったのだ。リゼットを連れ去る理由も目的も分からないが。


(――いいえ。理由は……)


 価値、だ。

 フェルナン本人が言っていた。

 リゼットに価値があると。

 どんな価値があるのかは分からないが、何かしらの利用価値があるのだろう。

 その価値がある内は、リゼットの命は保証されているのかもしれない。


「……」

「……」


 リゼットはずっとフェルナンを警戒して見つめていたが、フェルナンはずっと暗い窓の外を退屈そうに見ていた。

 どれだけの時間が経過しただろうか。やがて馬車が止まった。

 扉が開く。


「ついたよ、お嬢さん」


 フェルナンが先に降り、リゼットに手を差し伸べる。リゼットは大人しくその手を取った。

 馬車の外は暗く、静まり返っていた。

 ――街の中では、ない。

 馬車の移動時間からしてみても容易に分かることだが、知らない景色に足が震えた。

 目の前には一軒の屋敷。周囲は鬱蒼とした木に囲まれ、まるで屋敷を覆い隠すようだ。


「ここはただの別荘だよ。そう怖がらなくても大丈夫。最終的な目的地はここじゃなくて、もっと遠くだから」


 もっと遠く。

 それはあの街から、リゼットの家から離れるということ。もしかすると、国からも。

 リゼットは唇を噛みしめ、フェルナンに手を引かれるままに、別荘だという屋敷に足を踏み入れた。

 屋敷では使用人たちがフェルナンを出迎えた。

 フェルナンは女性の使用人に、リゼットの世話を命じ、早々とどこかへ行ってしまった。



 使用人に世話を焼かれ、寝支度を終えたリゼットは案内された寝室のベッドに潜り込み、横になった。が、眠気はやって来なかった。

 だからといって、起きていてもできることはない。今は眠って体力を温存すべきだ。そう思ってはいるが、目を閉じるとどうしても、思い出してしまう。たった一夜に起きたこととは思えない、恐ろしい出来事を。

 エドガールとベアトリスが痛々しく横たわる姿を。

 深い悲しみが心の底から這い上がってくる。


(ああ……!)


 目元を手の平で覆う。じんわりと熱い雫が指に吸い付いた。


(わたしは、なんて愚かだったの……!)


 ずっと、口を噤むことが正しいことだと思っていた。自分の思いを正確に伝えるためには、大事なことだけを口にすればいいと。

 けれど、いつしか大事な言葉も何もかも頭の中で思うだけで、上手く伝えられなくなっていた。サミュエルの前ではどうしてか伝えられたが、家族の前ではそうではなかった。

 どれだけ大切な言葉でも口に出さなくては伝わらない。思うだけでは何も伝わらない。嘘つきと罵られることもないかもしれないが、正直者だと思われるわけでもない。ただただ何を考えているか分からない人間ができあがっただけだ。

 ――伝えたかったことは、たくさんあった。だけど。


「……っ」


 肩が震えて、悲鳴のような引き攣った短い声が喉の奥から出る。

 失った。

 機会を失ったのだ。


 ――喋る口も喉も言葉も機会も持っているんだからふいにするなんて、もったいないことなのよ?


 ベアトリスの言葉が頭の中でよみがえる。彼女はどんな顔をして、どんな声音で言っていただろうか。

 私はその言葉に何を思い、どんな態度を返しただろうか。

 ベアトリスの言葉はその通りだった。正しかった。

 だからこそリゼットは今、こんなにも後悔している。


(――ずっと、もったいないことをしていたのね、わたしは)


 リゼットは何もかも持っていながら、全て自分から放棄していた。なんて贅沢で、無駄なことをしていたのだろう。

 たくさん言い訳をつくって、ただただ逃げていた。

 傷つくことを恐れて、伝えることを蔑ろにして、失ってから後悔する。


「なんて、愚かなの……」


 涙混じりで震える情けない声だった。喉がひくりと震えた。

 ここにはリゼットひとりしかいない。

 だから、今伝える相手は自分自身。


「わたしは、口無しじゃ、ないわ……!」


 口なし令嬢と言ったのはフェルナンだったか。なんて失礼な言葉だろうか。けれど、事実だった。失礼だと思う資格はリゼットにはなかった。


「もう、違うわ……!」


 声は震えていたが、涙を拭った瞳は揺らがない。


 言葉を伝えて、思いを軽んじられ、傷つくことは怖いこと。小さい頃に学んだ。

 けれど、何も伝えず、伝えられないまま失ってしまうのは、もっと恐ろしいこと。今、ようやく学んだ。


「もう、違う。わたしには、ちゃんと口があるもの」


 言い聞かせるように繰り返す。

 恐れてもいい。傷ついてもいい。だけど、言い訳して、逃げるのは駄目だ。だってこんなにも後悔する。自分の行いを恨み、詰りたくなる。


「この口は、伝えるためにあるんだもの」


 口も喉も言葉も機会も持っていたリゼットに足りなかったものは、きっと覚悟。それから踏み出す勇気。

 失ってから気づいては遅い。けれど気づかないよりよっぽどいい。


「絶対に帰ります。お父様、お母様、お兄様」


 決意を秘めた瞳をゆっくりと閉じた。



 *



 ガタゴトと馬車が揺れる。

 結局リゼットはあまり眠れないまま、朝日が昇るより早くに起こされ、馬車に乗せられた。

 向かいに座るフェルナンは窓の外を見るばかりで、車内には沈黙が続いていた。

 リゼットは寝不足の重い頭を振る。

 目の前の男から逃れて、家に帰る。そう決意したは良いけれど、何かいい案があるわけではない。

 下手に抵抗をして拘束されたら困るので、確実な案が浮かぶまで大人しく従う方が、今はいいだろう。


 馬車の中を見ていても退屈だ。窓の外に目をやる。

 知らない景色だ。

 なだらかで起伏の小さい草原がどこまでも広がっている。所々にぽつり、ぽつりと小屋が建っていた。あれは人が住む家なのだろうか。

 何もない、と思った。

 のどかな風景と言えば、多少は聞こえがいいのかもしれない。

 だが街中で育ったリゼットには、寂しい風景に映った。

 閑散として、ただただ広大な緑がどこまでも続いていく風景はどことなく恐ろしくもあった。終わりが見えなくて、恐ろしい。


「……」


 街の中はいつも賑やかだ。どこに行っても人がいる。今見ている外の景色とは全然違う。

 贅を尽くした建物が建ち並び、裕福な人間が集まり、たくさんのお金が動く。賑やかで、美しい街。

 リゼットはずっとそれしか知らなかった。あの場所がリゼットの基準で、世界だった。


「知らないことが多いわ、本当に……」


 ぽつりとそんな言葉が口からこぼれた。誰かに伝えるためでない、ただ思っただけの言葉。少し前だったら、心の中だけで呟いていたような言葉だ。

 そんな言葉をフェルナンは拾って返した。ちらりとこちらを見ながら。


「だから学びたいんじゃないの、君は」


 世界はきっと自分が思っているより広くて、単純なのだとリゼットは思った。

 怖がっていたことが嘘みたいに、するりと口から言葉が流れ出る。


「……そうね。やっぱりわたしは、大学へ行きたいわ」


 大学に行きたいと思った。けれどそれは嫌なことから逃げるための手段だったと気づいた。

 ――でも、大学を目指した心は嘘ではない。

 社交界やエリーヌから逃げるための手段なんて他にいくらでもあったのに、リゼットは大学へ行くことを選んだ。

 行きたいと目指した時点でリゼットはもう選んでいたのだ。

 知らないことを知りたかったから。学びたかったから。たぶん大学を目指した理由はそんな単純なものだった。

 ああ、そうかと腑に落ちる。

 知らないことばかりだったのだリゼットは。

 他の貴族たちを馬鹿にできないほどに狭い世界しか知らなかった。だから、学ぶための場というのを大学しか知らなかったのだ。

 そしてそのことにリゼットは全く気がついていなかった。だから、家族たちは心配していたのだろう。もう少し広い世界を知って、それから判断して欲しいと夜会に連れ出したのだろう。そのためにこんなことになってしまったが。


 リゼットは窓の外から目を離し、フェルナンに向き合う。フェルナンはまた窓の外を見ていた。


「――ねぇ、昨夜の襲撃、あなたはどこまで絡んでいるの?」


 今なら聞き出せるのではないかとなんとなく思って訊いた。ずっと悩んでいたことに解を得た高揚感がそうさせたのかもしれない。

 フェルナンはくすりと笑みを浮かべリゼットを横目で見る。


「どこまで、ね。僕が首謀者だとは思わないの?」


 リゼットは首を振り、答える。


「思わないわ。あなたがあんな騒ぎを起こすメリットはないもの。商人にとって貴族は金払いのいい商売相手でしょう? わたしをさらうことだけが目的なら、もっと良い方法はいくらでもあるわ」


 フェルナンは窓を向いていた顔をリゼットに向け、まじまじとリゼットを見つめた。


「……じゃあ、君は僕がどこまで絡んでいると思う?」


 試すように目を細める。

 リゼットは考える間もなく答えを返す。


「王宮にあの人たちを入れたのはあなただと思ってるわ。警備にでも扮装させて紛れ込ませたのだと。そうだとすればあなたが剣を持っていたことも、襲撃が起きたことを誰も伝えに来なかったことも頷けるもの」


 警備に扮装させれば、王宮であろうと剣を所持することができる。

 襲撃が起きたときに扮装した人間が伝令係を買って出れば大広間まで連絡は来ない。

 内部に仲間がいれば、襲撃はずっと楽になるだろう。

 フェルナンはまたくすりと笑みを浮かべた。


「紛れ込ませてはいないよ。僕は一部の警備を買い取っただけだ」

「……」


 確かに紛れ込ませるより、お金をちらつかせて言うことを聞かせる方が手間はかからない。

 金につられて、王宮警備の任にあたる人間が王宮を襲わせるなど、なんとも腐りきった話ではあるが。


「どうして、協力していたの?」


 先程リゼットが言った通り、フェルナンがあの襲撃に協力するにはデメリットが大きい。貴族という顧客を減らすだけだ。


「共感したから」

「共感……? 彼らに?」


 リゼットにはまるで理解できない。

 彼らがやったことは人殺しだ。もっともな理由を掲げていたとしても、とても共感などしたくない。


「カフェでね、出会ったんだ。そいつは没落した貴族で、いつも何かを熱心に書いていた。王家を憎み、生き残った貴族たちを恨んでいた。だから話が合ったんだ」

「『だから』……?」


 文脈がおかしい。

 それではまるで、フェルナンも似たような感情を持っているかのようだ。

 だが、フェルナンは商家の息子だ。社交界に顔を出せる程の財力も権力も持っている商家の息子。爵位などなくとも貴族とそう変わらない立場にあるはずだ。


「僕はこの国の貴族が嫌いなんだ。僕たちは国から追い出されて必死に生きてきたのに、この国の貴族たちは今も昔と変わらずに優雅に暮らしている。腹が立つ話じゃないか。何かが違えば革命が起きたのはこの国だったかもしれないのに」


 フェルナンは笑いながら淡々と言う。


「待っ、て……追い出されたって、革命って。あなた、隣国の……」

「亡命貴族。といっても、亡命は僕が産まれるより前の話だけどね」


 隣国では約二十年前に革命が起きた。

 市民層が立ち上がり、王権を打ち倒したのだ。

 市民たちの不満は王族だけでなく貴族にも向いた。

 次々と貴族たちを処刑したと聞く。

 もちろん他国へ逃げ延びた貴族もたくさんいた。彼らのことを亡命貴族と呼んだ。

 そうして、隣国から貴族は一掃され、市民が政治を担う社会となったのだ。


「君も他人事の話じゃないよ。君だって、僕と一緒だ」

「何、を……」


 一緒? リゼットは亡命などしていない。

 両親もきちんとこの国の人だ。

 祖父母だってこの国の人間だ。

 何が一緒だと言うのか。


「君の母君も亡命してきた一人だ。それも僕なんかとは比べものにならないくらい、とびきりの血筋だよ」


 フェルナンは嬉しそうに笑う。宝物を見つけた子供のようだ。


「君にはね、王家の血が流れているんだよ」


 王家。

 あまりに突拍子のない単語に、リゼットの思考は一時止まった。

 ガタン、と馬車がはねてようやく思考がゆるりと動き出す。

 王家の血。フェルナンの口ぶりからして隣国の王家の血だろう。真偽は定かではないが、少なくともフェルナンはそう信じているらしい。リゼットが亡国の王族の血を引いていると。


「……それが、あなたの言うわたしの価値なの?」

「そうだよ」


 フェルナンは甘い笑みを浮かべながらリゼットを見つめる。

 リゼットは顔を顰めた。

 リゼットを狙った理由は王家の血が流れているから。

 リゼットを担ぎ上げて、王家を復興でもさせるつもりなのだろうか。


「でも、それならお兄様にだって同じ血が流れているわ」

「そうだね。でもあの男は扱いにくい。世の中を知らない箱入り娘の君の方がよっぽど扱いやすい。――と、そう思ったんだけどね。どうやら君も扱いづらい人間だったみたいだ」

「……あなた一人の企みなの?」


 おそらく、違うだろう。

 一人でこんなこと成し遂げられるものではない。

 同じ考えの亡命貴族たちがいるのだろう。

 そしておそらく今、リゼットはその人たちのもとへ向かっている。

 王家の血を引くというリゼットを旗頭に据え、仲間を集め力を蓄えるつもりだろう。


「もちろん違うよ。もともと首謀者は僕の父だ。今は君が考えている通り、父や仲間のもとに向かってる。国境付近の街だよ」


 それきり、フェルナンは口を閉じ、眠るように目も閉じた。

 もう話す気はないのだろう。

 リゼットも静かに口を閉じた。

 ガラガラと馬車が進む音。馬が前へと進む音。それから時折、鳥がのびのびと鳴く声。

 そんな静けさは瞼を重くし、リゼットはゆっくりと眠りに落ちていった。




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