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短いです。サミュエル視点。



 ――赤い。

 窓の外は燃えるように赤く染まっていた。日が沈もうとしているのだ。

 サミュエルは眩しさに目を細める。


「すみません、教授。そろそろ帰りますね」


 ここは、サミュエルの母校であるウォルドー大学の一室。クレマン・ベルトンの研究室だ。


「ああ、もうこんな時間か。わざわざ来てもらってすまなかったね」


 サミュエルが腰を浮かせると、向かい合って話をしていたクレマンも立ち上がる。

 クレマンはサミュエルの恩師であり、ウォルドー大学で教鞭を執っている教授の一人だ。

 サミュエルは休日である今日、クレマンのもとを訪ねていた。


「そういえば、今日はやけに騒がしいんですね」


 窓の外から賑やかな声が聞こえてくる。そのことが、ふと気になった。


「ああ、今日は祭りだからね」

「祭り?」

「と言ってもこの国のじゃない。共和国の解放記念祭だよ」

「へぇ、共和国の学生がいるんですか?」

「いるかもしれないが……こういうのは騒げる理由が欲しいだけじゃないかね」


 苦笑したクレマンは机の上に置いてあった紙束をサミュエルに渡す。


「サミュエル君はあまりあの国のことは詳しくないと見える。これを読んで勉強したまえ」


 紙束の端には穴が開いており、紐で綴じられていた。

 表紙には著者名とタイトルが記されている。


「……革命についての論文ですか」

「草稿のようなものだがね」


 隣国が如何にして共和国となったのか、大まかなことであれば知っている。だが、確かにあまり詳しいことは知らない。

 そもそもこの国では革命の話は避けたがる傾向にある。論文や本はあまり出回っていないはずだ。


「教授が書いたのですか?」


 パラパラとめくれば、見覚えのある筆跡が並んでいる。


「いいや。学会に来ていた研究者のものだ。大学を出ていないらしく、発表する場がないと言うから書き写させて貰ったのだよ」

「大学を出ていないんですか?」

「正確には、入学はしたが卒業していない。学費が続かなかったそうだ」

「ああ……」


 珍しいことではない。

 これを書いた研究者は裕福ではないのだろう。

 大学の授業費は安くない。サミュエルのように万年首席であるぐらいに優秀であれば援助もあるが、そうでなければ高額の費用を大学在籍中払い続ける必要がある。

 卒業できずとも論文を書き上げたということは、能力もやる気もあったのだろうに。

 ただ卒業できていたとしても、真っ向から革命をテーマにしたこの論文がこの国でまともに発表できたかは分からないが。

 鞄に紙束をしまう。


「では、お借りしますね。今日はありがとうございました」

「ああ、それではね」


 サミュエルは頭を下げて、クレマンの研究室を後にした。



「今夜は三日月ですか……」


 大学は街外れにある。大学を出る前に見た真っ赤な夕日はとうに沈み、三日月が暗い空に浮かんでいた。

 頼りない月明かりの下、サミュエルは街の中を歩く。

 よく見知った街だ。多少暗くとも困ることはない。

 それに酒場からは賑やかな話し声と共に明かりがもれている。街というのは夜であっても明るく賑やかなのだ。


「――わ!?」


 のんびり歩くサミュエルの腰当たりに突然何かがぶつかってきて、よろける。


「ええと……」


 勢い良くぶつかってきたのは十歳ぐらいの少年だった。

 ぶつかった反動で尻餅をついた少年は、キッとサミュエルを睨むように見上げた。

 少年の髪はボサボサで、衣服もぼろきれ同然にすり切れ汚れている。やせ細った少年が貧しい暮らしをしているのは一目瞭然だった。

 サミュエルは手を差し伸べる。


「大丈夫ですか?」


 しかし少年はその手をはねのけ、勢い良く立ち上がり、あっという間にどこかへ行ってしまった。

 サミュエルは少年の小さな背をただ黙って見送った。


「……」


 少年のような子供は少なくない。

 この街は華やかだけれど、その分たくさんの闇が潜んでいる。

 美しく華やかなのは大通りだけ。一歩細い路地にでも入れば、孤児や浮浪者はいくらでもいる。貧しい者だって掃いて捨てるほどいる。

 彼らは昼間の街には出てこない。街を守る警備隊が厳しく目を光らせているからだ。そこにいるだけで罪であるかのように、彼らは追い払われるのだ。

 少年が去ってすぐに、大柄でたくましい男が走ってきた。


「にーちゃん。こんぐらいの子供見なかったか?」

「どうかしたんですか?」

「どうもこうもない。泥棒だ! ウチの店に入り込みやがったんだ」

「何か盗まれたんですか」

「さあな。ガキを見つけてすぐに追いかけてきたから分かんねぇ」

「……店に鍵はかけてきましたか?」

「あぁ? そんな暇――って、あのクソガキ! そういうことか!」

「すぐ戻って確認した方が良さそうですね」

「言われなくともそうするよ、ちくしょう!」


 悔しげな顔をした男は元来た道を戻っていく。

 あの少年は何も盗っていない。ぶつかったときに何も持っていなかったから。隠せる場所もなかった。

 もしも少年に仲間がいて、彼が囮役だったとしたら、今あの男の店の商品は盗まれているかもしれない。けれども、店主に見つかって驚いて逃げただけだとしたら、あの男の店は無事だろう。

 どちらが真相かは分からない。

 ただ、あの少年が今すぐに捕まることのない道をサミュエルは選んだ。

 貧しく生まれることに罪はない。けれど貧しさは罪だ。簡単に犯罪者を作り出す。

 生死がかかれば道徳や法など、軽々と破られる。

 罪を犯さなければ生きていけない少年にサミュエルは同情したのだ。自分がそうなる可能性もかつてはあったから。


 人生というのは、たった一つの出会いが途轍もない大きな変化をもたらすことがある。

 あの出会いがなければサミュエルは今、ここにはいなかっただろう。司書になることも大学を出ることもなく、この街にすらいなかったに違いない。

 あの少年にもそんな出会いがあればいいと思う。


「ん?」


 前方から集団が歩いてくるのが見えた。道の端に体を寄せる。

 随分大人数だなと、すれ違いざまに横目で眺めるとギロリと睨み返された。


「――!」


 慌てて視線を背け、早足で集団から遠ざかる。

 心臓がばくばくと鳴っていた。

 何だったのだろうか、あの集団は。

 皆が皆ピリピリとした空気を纏っていて、恐ろしかった。


 どうしてだろうか――とても、嫌な予感がした。



ありがとうございました。


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