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魔法道具で得たものは。  作者: 透迷(とうめい)/東容 あがる
第六章 砂漠の大陸編 前編
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第五十九話 漂流 前編

 滴る汗があごを伝って落ち、蒸発していくのをぼんやりと見た。


 動かす足は異様に重く、油断すれば滑りそうな黄金の砂地に延々と体力を消耗されながら、歩き続ける。

 きっと後ろを見れば地平線の向こうまで自分の足跡が続いているのだろうが、わざわざ振り返る気力も必要性も感じない。何かの苦行をさせられているような気分だった。


 乾いた熱気が全身にまとわりつくこの場所では、背中に伝わる人の体温はむしろ煩わしく感じた。

 視界の端にチラチラと映り込む赤い髪と、耳元に届く苦しそうなうめき声のおかげで、背負っている魔人の少女――エフィール・エーデルハイドがまだ生きていることが確認できた。


 『見捨ててしまえば自分だけは助かるかも』と一度も考えなかったといえば嘘になるが、仮にそれを実行に移したとして、その後感じるであろう後味の悪さを想像するととても置いては行けなかった。――たとえこの少女が、かつての敵であったとしてもだ。


「……はぁ……はぁ……あっつ……」


 強烈な日差しを避けるため、今はエフィールが羽織っていた暗色のマントを上に乗せている。

 一番下から足としてのスロウ、背負われたエフィール、そして一番上に日差し避けの暗色のマントという層構造的な状態だ。蜃気楼で揺らぐこの砂漠じゃ、きっと自分たちの姿は布をかぶって歩く小鬼のように見えることだろう。

 日差し自体は防げているものの時々ひじに当たる黒いマントは異様に熱を帯びていて、狙い通りに暑さを和らげられているかは不明だった。


 疲れた……何か飲みたい……。


 腰に下げた革袋に手を伸ばす。

 エフィールが所持していた貴重な飲み水である。

 緊急時だからと言い訳して拝借し、ときどき本人にも飲ませてやっていたがもう底を尽きかけているらしい。ただでさえ量の少なかったそれがもうあと数滴しか残っていないことに気づき、茫然とする。


 結局、最後の数滴は所有者だったエフィールの口を湿らせるのに使った。

 今までに自分の方が多く飲んでいたという罪悪感が主な理由だった。


 天を仰げば、空はもう抜けるような青が広がるばかりである。

 際限なく顔を上げ続けてもまだ足りない。視界いっぱいに広がる晴天に足元がおぼつかなくなるような感覚を覚えたところで目線を下げると、熱く乾いた風に煽られて、遠くに続く黄金の丘で砂塵が舞っていた。




 水の太陽によって転移させられてから二日目の午後のこと。

 いまだ、人はおろか、生物の痕跡すらも見つけられなかった。




「寒っ……なんでこんなに寒くなるんだ……?」


 冷たい月光が乾いた大地を平等に照らす夜、辺りは一変して異様な冷気に包まれていた。


 はじめは自分が病にかかったのかと思った。しかし靴底に伝わる砂地の冷たさや、エフィールも身体を震わせているのを見て、環境の方が変化しているということに気が付いたのは記憶に新しい。

 昼間には噴き出すほどの汗に苦しめられたのに、今度は一転して極寒の寒さに打ち震えることとなった。しかも汗で衣服が濡れていたことも相まって身体は冷えきり、いよいよ生命の危機を感じ始める。


 今までにも多くの場所を旅してきたが、ここまで急激な寒暖差ができるところは初めてだ。

 まさしく異世界に漂流したような気分だった。


 腹をさすりながらほとんど意地だけで足を動かす。

 歩き続けているのは、身体が温まるからだ。

 眠気と疲労で頭がガンガン唸っているが、だからといって仮眠をとると凍死してしまいそうなので必死に進み続ける。


 唯一救いだったのは、赤髪の少女を背負っているおかげでわずかながらに体温を維持できていそうなことだった。昼は煩わしく感じた彼女の体温が今だけは心地良く、そしてありがたかった。


 薄青く閉ざされた大地はとても静かだった。

 天を満たす星空はこれ以上無いくらいに輝いており、残酷なまでの静けさと月明かりを下ろしていた。




 三日目。


 また強烈な暑さが戻ってきた午前中――たぶん午前中だったと思う――に、岩塊を見つけた。


 何もないサラサラの砂漠にぽつんと現れた一つの岩である。

 後で思ったが、この岩もどこかから転移されてきたものだったのかもしれない。それくらい何の予兆もなく現れた大岩だった。


 揺れる視界を制御してその物体を注視すると、やや斜め上方向から照りつける陽光によって、ちょうど二人が入れるくらいの影ができていた。

 物も言わずその岩影に入り込み、背中からエフィールを降ろす。


 まとわりついていた熱気が嘘のように剥がれ落ち、いくぶん快適となった環境に直感で安全を見出したのだろうか。突如として襲ってきた強烈な眠気に抗えず、スロウはそのまま泥のように眠った。


 ――体感でそれから数時間もしないうちに、足に伝わる熱で目が覚める。

 影の位置が変化したせいでどうやら足に日が当たっていたらしい。


 身体を起こし、重い頭を持ち上げる。

 ……すぐに太陽が真上に来て、この涼しい岩影はなくなってしまうだろう……でも、あと少しくらいは休めるだろうか。

 いつの間にかに晒されていたエフィールの背中をこちらまで移動させながらぼんやりとそう考えた。


 もう無くなっているはずの水を飲みたくてポケットを探り、代わりに出てきたのは錆びついた腕輪だった。


 顔の前に持ってきてじっと眺める。

 確か転移前、ベレウェルに向かう途中のスラム街みたいなところで交換したものだったはずだ。傷つきながらもオレンジ色の剣を抱いて眠っていた少年の姿を思い出す。

 これをくれたあの幼い兄弟はなんとか生きているだろうか……。


「……そういえばこの腕輪も、まだ能力分かってないんだよな……」


 茶色く汚れた腕輪を観察する。結局その効果は分からずじまいだった。

 というか最近、用途不明の魔法道具が多かった気がする。この腕輪だって、元々はよく分からない壺の魔法道具と交換して手に入れたものなんだし……。

 試しに腕に装着してみたが、ざりざりとしたサビの感触が不快なだけで、特に何も起きない。

 心なしか頭痛が和らいだような気もしたが、きっと錯覚だろう。どうしてこんなものを持ち歩いていたのか、今となっては不思議である。


 そうだ……よく分からない能力はまだあるじゃないか。


「どうして、水の太陽と同じ力が使えたんだろう……?」


 真ん中の芯が欠けた、音叉の剣に目を移す。

 岩影の範囲内にぎりぎり収まっているその刀身は影の涼しさを吸い込んだみたいで、触れるととても冷たく感じた。


 水の太陽によって転移させられる直前の、ベレウェルでの出来事をぼんやりと思い出し、視線が下に落ちた。


「……あいつら、無事なのかな……」


 脳裏に浮かんでいたのは、薄暗く湿った都市を照らした、紫色の光。

 転移魔法。それに巻き込まれて自分はこうしてこの砂漠に放り出されているわけだが、今までずっと一緒に旅をしてきた仲間たちは、その転移魔法から逃れられたのだろうか。


 しかし、もうそれを確かめる術はない。


 手元に抱えた音叉の剣をぼんやりと眺めながら、ポツリとつぶやいた。


「……もう、デューイたちのところには戻れないのかもな……」


 ……あの化け物と同じ力を使える存在なんて、受け入れがたいに決まってる。


 それはこのエフィール・エーデルハイドの事例を見れば明らかだ。重力魔法を使う魔人でさえあれほど迫害され、ジャッジなる部隊に命を狙われるのに……あの異形の魔物と同じ姿形の水像を生み出す力など、どう見なされるか分かったもんじゃない。第一、あの瞬間脳裏によぎった青い髪の女性は誰だったのか……。


 意味の分からないことが多すぎて、なぜ自分がこうしてこの砂漠にいるのかもわけが分からなくなってくる。くそ、このエーデルハイドの魔人がいなければこんなことにはならなかったのに。


 そんな風にして、苦しそうに横たわっている少女をにらみつけているときだった。


「ん……?」


 手元の剣から、何かを、感じた。


 ポチャリと、液体が浮き上がって落ちたような、形容しがたい何かを知覚する。


 立ち上がって辺りを見回す。

 気のせいだろうか?


 試しに、水像の能力を使用すると――やはり、どこか近くに反応があるように感じる。

 水源を必要とするこの能力が反応するということは、もしや……。


 ぼんやりとしていた頭が一気に冴えてきて、痛みを含んだつばを飲み込む。


 慌てて小高い砂丘に上り、その方角に目をこらした。


「……あ」


 黄金の地平線のわずか下方、明らかに色の違うものが見えた。


 それはゆらゆら、きらきらと光を反射し、蜃気楼の向こうで確かにさざめいている。

 近くには緑色の葉を携えた細い木が一本と、砂漠のそれとは明らかに異なる角ばった岩の輪郭。

 

 それら特徴的な自然物のすぐ下に、青い水面がゆらめいていた。

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