第三章 しかし、誰がオリ主を描くのか?
さて、今のところ最終的なトップとなったハーメルン。
しかし、ハーメルンとは、システムが「小説家になろう」の相互互換(個人的には上位互換というか、久しぶりになろうで投稿していたらハーメルンとの違いにかなり苦戦しています。自動保存機能がないってこんなに不便だったんだ……)であるArcadiaでした。
少なくとも、かつてはそうです。
では、どこをポイントにして「Arcadia」から今の「ハーメルン」に変わったのでしょうか。
今回はそこを語りましょう。
ハーメルンはArcadiaからの影響がかなり強かったのですが、「批判を受け止めるのは作者の責任」と言い切られる文化は弱まりました。
サイトが変わった事やシステムがなろう寄りになった事、もちろんあります。
にじファンのユーザーも一緒に取り込んで、評価が寛容になった事。あるかもしれません。
しかし、私にはもっと大きな流れによる物に思えるのです。
つまり「非匿名が当たり前になった事でのネットユーザーの価値観の変化」
作者も読者も、ある程度は自分を晒して語らなければならなくなった時代、
「クリエイターは無欲で無口な芸術家気質の職人ではない」という考え方は、あらゆる創作業の作者達の声から、あるいは彼らと交流していたユーザー達の中からあふれ出し、
直接は関係していなかった人々にまで波及。
そして、匿名で罵声を浴びせる事が許される時代は過ぎ去っていきました。
「感想が欲しい!」
「褒められたい!」
「評価が欲しい!」
という、一昔前なら「創作家として純度が低い」と言われた考え方も、ある程度は許容されるようになった。
しかし、読者の評価基準、という意味では大きく差は出ません。
言葉に出さなくたって、批判をやめたって、「面白いもの」の基準までは変わらなかった。
つまり、にじファンの人気作品と、Arcadiaで人気だった要素をそのまま引き継いだのです。
そう……オリ主も。
「なろう批判を批判する」で語られている様に、オリ主というジャンルがあり、それはにじファンやArcadiaで大流行しました。
(読んでいない方の為に説明すると「二次創作における、原作キャラではないオリジナルの主人公であり、彼らの視点で進行する作品。だいたいチート能力を持っていて、原作読者だから未来を疑似的に知っている」の事です)
このオリ主、ハーメルンではどうなったのでしょうか?
最初のうちのハーメルンは、にじファン的な「ひたすらチートハーレム」なオリ主と「オリ主という存在」を深堀・考察するArcadia的なオリ主が見られました。
今もさほど変わりはありませんが、細かな部分では大きな変動があります。
ハリー・ポッターの二次創作が流行した、というのがまず最初の変動でした。
今でもハーメルンの累計最高位を争う作品はハリー・ポッターの二次創作であり、これは今現在「野生のラスボス」で書籍化している方の作品です。
(こういう、「なろうで書籍化した作家の二次創作」はハーメルンには幾つかあります)
まずはこの一発目が「にじファンでありArcadia」だったハーメルンに、新しい風を吹かせました。
王道と言われた「なのは・ネギま・Fate・ゼロ魔」などのにじファン達から引き継いだ人気原作達。これらを飛び越えて、新しい人気の原作を生み出したのです。
この瞬間から、ハーメルンというサイトは独立し、己の道を歩むようになったと言っても良いでしょう。
さて、そんな独立したハーメルンで成立したのが、寡黙系勘違いオリ主、あるいはハイテンションオリ主です。
……えっ。それはなんだって?
寡黙とハイテンションってどういう事だってばよ、って?
確かに、知る限りなろうでは控えめなジャンルです。幾つかありますけどね。有名どころでは、「夜伽の国の月光姫」でしょう。読んだ事ありますかね? あの作品をイメージすれば分かりやすい。
これはつまり、
・他人から見れば寡黙で、行動が何より雄弁に精神を語るからこそ、聖人あるいは邪悪の化身と扱われる人物
・でも中身はテンションが高かったり、一般人的な性格をしていて、読者の感情移入がしやすい
こういった特徴を持つオリ主を指します。
「言動と内心が一致していないから、スゴイ人だと勘違いされる主人公」です。
端的に言ってしまうと、原作ヒロインと遭遇して挨拶するシーンで
「よろしくねっ」(わぁ……カッコいい人だなぁ)
「ああ、よろしく頼む」(やっべええええ! 原作ヒロインクッソかわいい!! え、何このこ超かわいいんだけど! こ、これが……正ヒロインの風格っ……圧倒的っ……! 圧倒的っ……!!)
こうなる。
この、見た目の格好良さに対する中身のギャップが、楽しまれる・親しまれるポイントでした。
「主人公がなにかする」
↓
「別視点のキャラが主人公の言動に感じた事が描かれる」
という流れは、オリ主、あるいはそれ以前の俺TUEEE系主人公ならお約束でした。視点変更時にキャラ名を表記する手法、俗にいう「side使い」でよくある描写です。
そこに加えて、「主人公が実際にスゴイ事をするし、周囲の人からは凄い人だと思われるけど、内面はテンション高めの一般人で、別に凄い事をやったつもりはない」という勘違い要素を絡める事がスタンダードになったのが、
「寡黙系ハイテンションオリ主」です。
幾つか、これの源流となったと思わしき作品はあります。
しかし、ハーメルンでこれらの形式を広めた一つの転換点といえば……ああ、あの作品の名前を出さざるを得ないでしょう。
それは、にじファンに投稿されていて、そして後にpixivとハーメルンで投稿されていたSSでした。
それは、東方プロジェクトの二次創作でした。
それは、オリ主でした。
2012年周辺で読み漁っていた読者の皆様には、「寡黙系ハイテンション」の超人気作という時点でお察しの事だろう!
何を隠そう、パイマン様の「東方先代録」!
……私は今も更新待ってるからな!!
この先代録の主人公である「先代巫女」の存在は、大きな影響をもたらしました。
彼女は原作知識有のオタクで、目の前に原作キャラが現れると、内心でテンションを上げてはしゃぎまわるわけです。
しかし、外見的には寡黙な武人気質の大人の女性で、言葉少なく背中で語る漢女……と勘違いされる、という風に描かれました。
チートで最強……というキャラではありませんが、感謝の正拳突きを行ってハンターハンターの(疑似)百式観音を使い、幻想郷の強敵達と熾烈なバトルを繰り広げ、強敵と書いて友となり、なんども死にかけながら人間の底意地を見せて勝利を拾う、という内容でした。
もちろん、勘違いされるからには、主人公以外の視点が必要です。
本人はシリアスをやっていない時はハイテンションなノリで、いかにもオタク的にタイミングを見計らって他作品の名台詞を拾って話しただけなのに、話す姿は堂々とした漢女である為に、相手は「なんて立派な言葉なんだ」と感服する、というのが基本的な流れでした。
娘である霊夢を筆頭に、主人公との関わりで起きた登場人物の心境の変化。苦悩・喜びがしっかりと描かれていて、ただ「主人公最強!」という風な作品ではありません。
この、「チートな能力があるけど最強ではなく、熾烈なバトルがあって、登場人物の感情描写が多彩」な作品、いかにもArcadiaウケするこの作品は、最初はにじファン。そしてpixivとハーメルンで投稿され、当然の様に大ヒットしました。
「寡黙だけど内心はテンションが高くて一般人的で、本人はそのつもりではないけど、周囲からは凄い人物だと認識される」というオリ主の見せ方。
何も先代録だけがこの見せ方を取った訳ではありません。他にも幾つかの作品があり、それぞれに人気がありました。
しかし、何にしても先代録は凄まじいヒット作だった。ビジュアルノベルを作ろうという人が出るほど。直接の三次創作が幾つも作られるほどに。
もしも全く同じ内容のオリジナル作品として人気になっていたなら、今頃書籍化してアニメまで行っていたかもしれません。そのくらい、強烈な人気がありました。
これは新しい流れです。この流れに感銘を受けた作者達は、すぐに似たコンセプトの作品を書き始めました。
ここに、「ハイテンションオリ主」が誕生しました。
「内心での考えと行動が一致しない」
これはやがてもう一つの大きな流れを生む事になります。
そう、今のユーザーならすっかりおなじみの「なりきりオリ主」です。
何かといえば、読んで字のごとく
「別のキャラクターになりきっているオリ主」
言動や能力は、例えばFateのエミヤだったり、ギルガメッシュだったりするのですが、中身はれっきとしたオリ主であり、傍から見るとエミヤ本人・ギルガメッシュ本人だけど、心はオリ主。
そういった演技をしている、キャラクターになりきっているオリ主を指します。
あるいは、なりきっているのではなく「神にかけられた呪いで思ったように言葉が話せず、主人公の意図とは全く違う風に翻訳されて口に出てしまう」というパターンもあります。
これがどういう風に生まれたのかは、はっきりとはしません。
しかし、ハイテンションオリ主というジャンルが広まる中で、こんな認識が現れたのではないかと思っています。
「ハイテンションオリ主の親しみやすさとギャップの面白さ」を持ちながらも、「オリキャラではない主人公」を登場させたい。
ハイテンションオリ主は人気の要素となりました。が、これには一つ問題がある。
どうあっても、クロスオーバーの主人公にはできないのです。
有名どころで言えばFateのエミヤとかギルガメッシュとか、彼らを主人公にした作品を書く時は、ハイテンションオリ主は封印される要素になってしまう。
彼らの内面がハイテンションだったら、読者は強烈な違和感を覚えるでしょう。
でも、クロスオーバーのキャラや、原作内のキャラを主人公にしたい!
そう思った時、どうすればいいのか?
どうすればいいのか!?
……つまり、こうだ
「オリ主にキャラの演技をさせれば良い」
これは、ハーメルンの大きな変化でした。
主人公に感情移入できるように書くのは物語のスタンダードで
時には、主人公が失敗すれば読者は自分が失敗して恥をかいた様に感じる。主人公を馬鹿にされれば読者は自分自身が馬鹿にされたと感じるようになる事もある。
では、感情移入できないようなキャラを主人公にする時は?
やりようはあります。でも、一つ、「中身が一般人」という事にすれば、読者はすんなり飲み込んでくれる。
大きな変化です。
この変化の真っただ中にいたのが、「ダンまち」そして、「オーバーロード」の二次創作でした。どちらもArcadia出身(頑なになろう作品とは言わない)ですね。
「オーバーロード」。あの作品がMMORPG転移もの(ゲームキャラの姿で転移)である事はご存知でしょうか。
この作品、オリ主を主人公であるアインズ様の友達である「至高の四十一人」として登場させれば、もちろんMMOなので別キャラのなりきり、ロールプレイという設定で別の作品の登場人物を出す事が簡単にできました。
そう「ゲームのロールプレイでキャラになりきり、異世界転移したオリ主」です。
このやり方は、他の作品でも見られました。
つまり最初にやった作品から遺伝子を引き継いだ作品が生まれ、その作品の遺伝子を継承した作品が生まれ、その作品からまた遺伝子を受け取った作品が生まれていった。
例えば
「Fateの古代世界に転生して、チート能力で好きなキャラを演じて英雄になって死んだらグランドオーダーなどでサーヴァントとして召喚されて、中身は一般人だけど英雄を演じる」
とか
「ダンまちに転生して、チート能力で好きなキャラを演じていたらロキかヘスティアのファミリアに入って演じるままにダンジョンを駆け抜け英雄視・あるいは化け物扱いされ、その生き方を親交の深い人々に心配されるが、中身は一般人なので周りの危惧なんかまったく無関係で基本ぽけーっとしている」
とか
「オーバーロードの世界で昔の人気作品の登場人物の真似をしてNPCも作って最終日までモモンガ様と残っていたら異世界転移して自分で作った設定をあくまで演じながらモモンガ様と一緒にやべーよやべーよ……俺たちただの一般人だよ……忠誠が重いよ……する」
とか
そう、この形式はテンプレの一種となったのです。
「ハイテンションオリ主」と、それに転じて生まれた「なりきりオリ主」
この二つが、ハーメルンでのオリ主という文化を作っていきました。
しかし、最近のハーメルンは「俺TUEEE」が薄れた気がします。
いえ、今も主人公の「強さ」はある程度重要視されます。しかし、物理的な強さ、という物をあまり重要視しなくなったと言えるでしょうか。
「真の護身は戦わぬこと」とはよく言ったもの。最近では、戦わない主人公が増えてきています。
オリ主は精神的な強さや立ち振る舞いが原作キャラより強い。
例え原作キャラの方が能力的に非常に強くても、戦えばほぼ勝てなくても、精神的には優位にある。
それが基礎的な部分になってきたように思います。
ここから転じて人気になったと思わしきものが、
「オリキャラ(チートなし・原作知識なし・転生なし)と原作キャラの恋愛」
これは原作にない展開をそれらしく作る・原作キャラをしっかり掘り下げて描く、という難易度の高いジャンルですね。
また、一次創作、つまりオリジナル作品の姿を時折見るようになりました。
もちろん人気なのは、なろう系……ではありません。
もちろんある程度の需要はありますが、どちらかと言えば男性向け恋愛小説、そこに軸が置かれています。
つまり、「変わり者のヒロインと普通の俺」。
今は二次創作でも一次創作でも、恋愛ものが好かれている雰囲気が出ています。興味のある方は、使ってみてはいかがでしょう。
……しかし! 俺TUEEEの炎未だ消えず!
もちろん、これまでもこれからも今は「なろう系」と呼ばれる様な作品は書かれ続けます。
メアリー・スーという名前をご存知でしょうか。あれが、当時のスタートレックの二次創作における「典型的オリ主」を揶揄した存在だというのは一部の界隈で有名な話です。
でも、そこには当然のように変化があり、人が次の世代へ渡していったミームのバトンがあるのです。
Arcadia、にじファン。かつて隆盛を誇ったこの二つのサイトの血脈は、ハーメルンに繋がりました。
そして今、ハーメルンはもう開設から六年になります。
次を引き継ぐサイトがいったい、いつ、どこで現れるのか。
今から気になるものですね。
若干ネタ切れ感がしてまいりましたので、ここらで締めようと思います。
最後にハーメルンのおすすめ作品でも上げておいた方が?
なろうが完全に衰退した時はハーメルンも危ないように思います。そもそもユーザーの層が限りなく近い上、なろう原作の二次創作が比較的活発なハーメルンは、その存在をいくらかの部分でなろうに依存しています。
むしろ、今の時代に書籍化など企業の絡む要素が一切ない個人運営の小説投稿サイトがこんなにアクセスされ、会員数も結構な数を誇るのが怪物的なのです。
作る人の機能追加速度を考えれば、新しい流れにも対応できなくはないと思いたいのですが、それでも栄枯盛衰、いずれは次が現れるのでしょう。