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探偵は依頼人の押しの強さに負ける

 嵐は唐突に訪れた。


「助けて、いそえもーん!」


 奇怪な叫び声とともに部室のドアを開け放ったのは、名前も知らないひとりの女子生徒だった。囲碁部と書かれた暖簾をくぐり、ずかずかと入ってくる。


「俊、おまえにお客さんだぞ」


 碁石をパチンと碁盤に置きながら、俺は対局相手に言った。磯井(いそい)(しゅん)は、黒縁眼鏡越しにちらりと闖入者を瞥見したあと、ぷいとすぐに顔をそらした。


「あ、無視した! わたしのこと無視した! いそえもんのくせに」

「誰がいそえもんだ、誰が。おまえのネーミングセンスほんとゴミだな」


 女子のうるささに耐えきれなくなったのか、俊が反応する。心底嫌そうに顔を歪めていた。


「相談に乗ってもらいたいことがあるの」

「相談室なら一階廊下の突き当たりだぞ」

「事件なの、事件! しかも大事件! これはいそえもんにしか解決できないのよ」

「探偵小説同好会なら特別棟四階、ミステリー同好会なら特別棟三階、的場(まとば)探偵事務所なら、鷹山(たかやま)駅から歩いて五分だ」

「実はね――」

「人の話を聞かないやつの相談なんてお断りだ」

「ちゃんと聞く。だから、相談にのって!」

「相談室なら一階廊下の――」

「それはさっき聞いたわよ!」


 女子生徒は俊の両肩をつかんでがくがくと揺らした。細い首がぽきりと折れるんじゃないかと、俺は少し心配になる。


「わかったよ、聞くだけ聞いてやる」


 根負けした俊が、乱れたワイシャツを直しながら言う。


「やった! ありがとう、いそえもん!」

「それじゃあ、俺はこれで」


 そそくさと場を退散しようとした俺だったが、案の定、俊に捕まる。


「乗りかかった舟だ。隆平(りゅうへい)、おまえも聞いていけ」


 断るのは面倒だとわかっていたので、俺は仕方なく上げかけた腰を座布団に戻した。





 ショートカットの彼女は、栗原(くりはら)静香(しずか)と名乗った。学年は俺たちと同じ二年。大きな瞳が印象的で、溌剌そうな顔立ちをしている。俊とは中学のときに塾で知り合ってからの付き合いだという。なるほど、だからあんなに息の合った漫才を繰り広げられたのか、と俺は納得する。


「で、相談ってなんだ? 彼氏とうまくいってないのか?」

「すごい、どうしてわかったのっ?」

「マジかよ、図星かよ……」


「栗原さん、彼氏がいるの?」そういうゴシップとはあまり縁のない俺は、野次馬根性丸出しで訊いた。


竹ノ内(たけのうち)(かおる)だよ、おまえと同じクラスの」栗原さんの代わりに、俊が答える。


「え、そうなの?」


 竹ノ内薫といえば、学年で一二を争うイケメンだ。成績優秀、スポーツ万能、気配りもでき、少しSっ気のあるところが女子の人気を集めている。聞いた話では、数週間前、タチの悪い男子生徒に絡まれている女子生徒を颯爽と助け出したこともあったらしい。そこからさらに人気はうなぎ登り。学年を問わず、告白させることすでに数回。男子からは羨望と嫉妬の入り混じった視線を向けられているという。そんな彼に、まさか恋人がいたとは。


「おまえ、ほんと他人に関心がないんだな」

「同じクラスって言っても、接点はぜんぜんないし。そういう話を教えてくれる友達もいないから」

「かわいそうなやつ」


 俊が同情するように見てきたので、俺は蚊を振り払うように手を動かした。


「それで? 薫とはなにがうまくいってないんだ?」と俊。


「……実は、前にわたしがあげたお守りを、彼がなくしたの」

「お守り?」

「うん。これなんだけど」


 栗原さんはスマホをぽちぽちと弄り、画面をこちらに向けてくる。

 赤色の布地に、黄色の小鳥が数羽刺繍された、小さな布袋だ。紫色の紐で口部分が縛られている。


「この中に、願いを書いた短冊を折って入れるの。それで一年間、袋を開けずにいると、その願いが叶うって」

「へえ、これ、お守りをつける本人じゃなくて、渡す人が願いを書くんだ」


 画面に表示された説明文を読みながら、俺は言う。たしかに本人が書いたら願いの内容がわかってしまうのだから、それも当然か。しかし、開けるなというのに、縛るのが紐だけというのはいかがなものだろうか。禁止されると破りたくなるのが人間だ。古今東西、パンドラの匣やら鶴の恩返しやら、事例をあげようと思えば枚挙にいとまがない。これ、開けずにいるのはけっこうな忍耐力が求められるぞ。


「わたしが、薫に叶えてもらいたい願いを書いたの。薫が一年間開けずにいてくれたら、その願いが叶うはず、そう思ってたのに……」

「まさか、おまえがこんなロマンティックな代物に手を出すなんてなあ」

「これ、家族で旅行にいったときのお土産で、一週間前彼に渡したの。カバンにつけておいてって言って」

「ところが、薫はそれをなくしたわけだ」


 俊がそう言うと、栗原さんは目に見えて落ち込んだ。


「最初はつけてくれたの。わざわざわたしにも見せてくれて。だけど、今日の朝……」

「なくしたと告げられたのか」


 そのときのことを思い出したのか、空気が抜けたようにしゅんとする。


「あいつは、なくした理由についてなんて言っているんだ?」

「いつのまにか紐が切れて、どこかに落としたんだろうって。でもたぶん、嘘」

「そう思う根拠は?」

「女の勘よ」

「そういうのはもっと実績を積み重ねてから使え」

「だからいま実績を積み上げようとしてるんじゃないの」

「ほかでやれ」

「お願いよ、俊!」


 栗原さんは真剣な眼差しを向けた。俊は居心地が悪そうに視線を逸らした。


「中身を見ちゃったんじゃないか。それで、想像以上に変な内容の願いだったから、思わずはずしちゃったとか」

「そんなおかしなことは書いてないよ!」

「じゃあなんて書いたんだよ」

「それは……言えない」


 栗原さんは毅然とした態度で言った。俊は肩をすくめた。


「おまえが変じゃないと思っていても、薫が同じように思うとは限らないだろ」


「わたしってそんなに信用ない?」薫の友達にも同じこと言われたんだけど、と栗原さんは不服そうな顔をした。


「その友達とやらも、おまえのことをよくわかっているようだな。……まあ、あいつの性格からすると、うっかりお守りを開いてそれを黙っているとは考えにくいが」俊は眉根を寄せる。「それで、おまえはどうしてほしいんだ? あいつがお守りをなくしたと嘘をついた理由を知りたいのか?」


 栗原さんは首を縦に振る。


「本当にただなくしただけかもしれないんだぞ」

「それなら……それで納得する」

「できれば、いますぐに納得してもらいたいんだけどな。動機を他人が推察するなんて無謀だ。人の心なんて、他人が正確に読み取れるわけがないんだから」


 俊が珍しくまともなことを口にする。感心していると、ぎろりと睨まれた。


「おまえ、いま失礼なこと考えただろ」


「よくわかったね。その調子で、薫くんの真意も読み取ってみたらどう?」俺は冗談めかして言った。


「協力してくれるのっ?」


 目を輝かせる栗原さん。俊は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、はっきりと舌打ちをした。忌々しそうに言う。


「……期待はするなよ」





 翌日、薫くんに直接事情を訊きに行ったが、予想通り彼は「なくした」の一点張りだった。とりつく島もない。取り巻きを連れて教室を出て行ってしまった。仕方なく周囲の生徒に聞き込みをしていると、おもしろい目撃情報が出た。


「つまり、拓也(たくや)くんが薫くんにお守りを貸してほしいって頼んでいたってこと?」


 昼休みの教室。確認のために訊き返した俺に、とあるクラスメイトの男子は、椅子に座ったまま頷いてみせた。


「この前の昼休み、二人がそんなやりとりをしていたのを聞いたんだ」


 情報収集に勤しんでいた俺と俊は、顔を見合わせる。


「お守りを借りようとするなんてどういうこと?」俺は首をかしげる。


「嫉妬に狂った女子が、腹いせに盗んだって話ならまだわかるんだけどな」と俊。「いつの話だ?」


「ええっと、確かおとといかな」

「そのとき、二人はどんな様子だった?」

「最初は和やかに話してたんだけど、竹ノ内くんがお守りを見せた途端、田母神(たもがみ)くんがひどく驚いた顔をして。それから急に、お守りを貸してくれって頼み込んでいたんだ」


 田母神拓也。確か薫くんの友人の一人だ。一年のときにクラスが同じだったので、うっすらおぼえている。日本史などの暗記科目が非常に得意だったはずだ。彼がいたせいで、試験の順位でクラストップになれなかった。お、だんだん思い出してきたぞ。


「お守りを見た途端、ひどく驚いた、か……」

「そんなにインパクトあったのかな?」

「相変わらずおまえの脳内はお花畑だな。そんなわけないだろ」


 相変わらず俊の口は悪い。


「その話、誰かにした?」と俺。


 彼は首を横に振った。「話すような友達もいないから」なんとも返しにくい理由だ。

 俊が鼻で笑ったので、とりあえず頭をはたいておいた。ちょっとは自重しろ。


「薫は、理由を訊いていたか」俊は頭をさすりながら、彼に向き直った。


「うん」

「拓也はなんて?」

「いとこがそういった願いの叶うアイテムを探しているから、参考にしたいとかなんとかって」


 とってつけたような理由だな、と俺は思った。俊も同じことを思ったらしい。「薫はそれで納得したのか」と訊いた。


「それはわからない。結局、断ったみたいだし」


 それからいくつか質問をしたが、それ以上有益な情報はないようだった。俺たちは彼にお礼を言って教室を出た。騒がしい廊下を歩いていき、囲碁部の部室に入る。


「隆平、お守りを借りたいと思ったことあるか?」俊が畳の上であぐらをかきながら、訊いてくる。


「ないよ。よっぽど効果のあるお守りで、世界に数点しかないものだったらわからないけど」


「栗原の渡したのは、誰でも買えるやつだからなあ。効果覿面ってわけでもなさそうだし」俊は押入れから碁盤を引っ張り出すと、碁石を並べ始めた。


「いとこのくだり、本当だと思う?」


「まさか」俊は鼻を鳴らした。「もし仮に本当だとしても、わざわざ他人のものを借りていこうなんて考えないさ。せいぜい写真を撮らせてもらうぐらいで」


「だとしたら、拓也くんはどうしてあんなことを頼んだんだろう」


「お守りを見て、拓也はなにかに気がついたようだって言っていたな……なにに気がついたんだ?」俊は視線を宙にさまよわせた。


「刺繍に目を惹かれたとか」俺はお守りの表面に縫われた精緻な小鳥たちを思い出す。「あまりの美しさに言葉を失ったんだ」


「中学の家庭科の裁縫で針を指に刺しまくったのがトラウマになって、それ以来そういうものには食指が動かされないってさ」

「どこから仕入れるの、そのどうでもいい情報?」


「どうでもいいとはなんだ、いま役立っているじゃないか」俊が憤慨してみせた。


 はいはい、と俺は軽く受け流す。


「いっそのこと、拓也くんに直接訊いてみる?」


「それで喋ってくれればいいんだけどな。とぼけられたら、そこでおしまいだ」こっちに切れるカードは一枚もないんだから、と俊は呟く。


「うーん、難しいか」俺は唸った。「そういえば、さっきの話で、ひとつわかったことがあるね」


「なんだ?」

「少なくとも、お守りはおとといの昼休みまではあったってことさ」


「ああ。まあ、それがわかったところで、薫の証言の真偽は不明なままだが」俊は碁笥に手を突っ込むと、じゃらじゃらと音をたてながら碁石を弄った。「お守りを借りられたとして、拓也はそれをどうしたかったんだろう」


「普通に考えて、中を見ようとするよね」

「普通なら、な。ただそれなら、借りるんじゃなくて盗むほうが手っ取り早い……盗む?」

「どうかした?」


 唐突に手を止めた俊を、俺は訝る。俊はなにも言わずにスマホを取り出すと、どこかへ電話をかけた。


「あ、栗原?」と最初に言い、それからお守りを薫くんに渡したときのことを訊いていく。「そのとき、拓也は? ……いた? 一緒に? いや、それだけわかれば充分だ。……え、あいつがそんなことを訊いてきたのか? いつ? ……放課後? おとといの? ああなるほど、あのときの友達ってあいつのことか。……ふうん。おかげですっきりした。ありがとう」


 俊は通話を終え、スマホをズボンのポケットにしまった。どこか興奮した様子だ。


「なにかわかったの?」

「確証はないけどな。拓也がどうしてお守りを見て驚いたのか、その理由は予想がついた」


 おお、と驚く俺に、俊が身を乗り出して訊いてくる。


「なあ、薫を恨んでいるやつに、誰か心当たりはあるか?」


 思いもよらない質問に、俺は「へ?」と頓狂な声をあげてしまう。いきなりどうした。


「心当たりってほどじゃないけど、もしかしたら薫くんのことを恨んでいるかもしれないって人はいる」


 俺はとあるエピソードを思い出しながら言った。


「なるほど。そいつのことを教えてくれ」

「いいけど。でも、彼がいったい今回の件にどう関わるって言うの?」


 俺の問いかけに、俊はにやりと笑った。


「もしかしたら、そいつが犯人かもしれない」


 犯人? いったいなんのこっちゃ。

 拓也くんがその人物と会っていたという情報は、それからすぐにもたらされた。俊が噂好きの女子に電話をして訊いてみると、あっさりと回答があった。


「二人が会っていたのはおとといの放課後、か。なるほど。栗原から内容を教えてもらうことができず、八方ふさがりになって仕方なく、って感じかな。だけど、どうしてそこまでして」


 俊がぶつぶつとひとりで呟いている。彼がどういった推理を組み立てているのか、俺にはさっぱりだった。

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